今日は「高台家の人々」という映画を観ました。

今日は名古屋に行ってきて、久しぶりに学生時代やコロナ禍前に名古屋に行っていた時のことを懐かしく思う気持ちもあって、
なんとなく、邦画が観たい気分で、アマゾンプライムで目についたので観てみました。

①考える自由と、知ってもらいたいことと、知られたくないこと
②信じるということ
③言葉にしなくても、考えていることで人間は決まる

①考える自由と、知ってもらいたいことと、知られたくないこと
綾瀬はるかさんが演じる主人公の女の子の木絵は妄想空想好き
斎藤工さんが演じる相手の人は、心が読めてしまう力があり、見たくない心の中まで見えてしまう。

妄想、空想好きな一方で、愚痴や悪口などは心の声に漏れてこない綾瀬はるかさんの演じる役は、心が読めてしまう斎藤工さんの役にとっては笑顔になれる存在だったが、
心を読まれることをしった木絵は、自由に空想することができなくなる。

この自由に考えることと、考えていることを誰かに知られるかと思うと思考が停止してしまう、窮屈に感じてしまう気持ちは、ブログやYouTubeなどで考えを話している自分自身に通ずるところを感じました。

でも、そこに対して、傷つけることもあるかもしれないけど、恥ずかしいけど、自分は変わらず全部を見せると決めた最後、二人は一緒になれたところ、「決める」というところ、すごく大切なことだと感じました。

②信じるということ
知られたくない、ということは、相手のことを信じきれていないということなのかもしれないとも思いました。

もちろん、実際の社会では、何でもかんでも本音を言うことがいいわけではないと思いますが、自分が思っていることをそのまま伝える、表すということは、相手を信じている、そして、自分も相手から信じられていると思うことが大切なのかなと思いました。

③言葉にしなくても、考えていることで人間は決まる
映画の中では、心の本音で人を傷つけるような言葉が出てきて、心が読める高台家の人々は苦しそうでしたが、これは、現実の社会でも、たとえ言葉に出していなくても、傷つけていたり、自分自身の生き方として、恥ずかしいことになっているようにも思いました。

だからこそ、心は読まれないとしても、正しく思うこと、綺麗な心で考えることも大切にしていきたいと思いました。