待望のアンジェイ・ワイダ監督設立のManggha博物館へ
マングワァだけれどぉ・・・❤️
今回の旅、隠れたテーマ、
「アンジェイ・ワイダ監督の面影を追いたい」とManggha博物館へやって来た。
友人は「マンガ博物館館」と聞いただけで食指は動かなかったようで単独行動。
まずはManggha博物館のご紹介をHPから。
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日本美術・技術博物館 Manggha は、ポーランドにおいて、唯一日本文化を紹介している国立の機関である。1994年、アンジェイ・ワイダ (Andrzej Wajda) とクリスティーナ・ザフファトヴィッチ (Krystyna Zachwatowicz) の提唱により設立された。開館後の10年間は、クラクフ国立美術館の分館であったが、活発な活動を展開する京都―クラクフ基金の拠点でもあった。2005年、マンガは独立した国立文化機関となり、2007年から博物館としての活動を展開している。
Manggha は、創設者の意思に従い「日本美術コレクションのための家」としてクラクフに建設されたが、このコレクションはフェリックス・ヤシェンスキが収集し、1920年からクラクフ国立美術館が保管していたものであった。このクラクフ国立美術館の極東美術コレクションは、2009年最終的にマンガ博物館に寄託されることとなった。
設立当初から、Manggha は、博物館としての基本的な役割と、日本・極東の文化を広く紹介する文化の拠点としての役割を兼ね備えてきた。それは活発な活動を展開しつつ、新たな活動の形態を切り開いた今までに類を見ない文化機関だと言える。近代的でしかも親しみ易い建物の中で、新しいタイプの博物館として、画期的な方法と斬新な活動形態が築き上げられてきたのである。それは総合的な形での芸術の紹介といえるだろう。
Manggha 博物館にとって名誉なことであり、且つ広く認められたということの証となった出来事は、2002年7月11日の天皇皇后両陛下のマンガご訪問だった。また、年間10万人が来館するという事実も、Manggha の活動内容が人々にとって魅力的なものであるという証だといえるだろう。
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以上。。。
なんでアンジェイワイダ監督が日本に興味を持ったのかは分からないけれど、私は
長く、長くこの方に憧れていた。
『地下水道』
『灰とダイヤモンド』
『カティンの森』
封切り時に日本で観たのはこの3本のみ。
しかし、なんと衝撃的な映画だったろう。
それぞれの映画のラストシーンの絶望感。
惨さ。
観終わった時の座席に埋もれてしまいそうな体の硬直感。
今でも思い出すことが出来る。
時々、『灰とダイヤモンド』が好きな友人と話をする機会があるのだけれど、
友人はシーン、シーンを良く覚えているが、私は全く疎くて、
ただただ、沈み込むような感覚の衝撃が残っているだけ。
しかし、1番好きな監督は?と尋ねられたら、迷わず
「アンジェイ・ワイダ、黒澤明」と答えるなぁ。
どっちって決められないけど😂😅
アンジェイ・ワイダ監督のご紹介をWikiから。
🍒🍒🍒
アンジェイ・ワイダ(波: Andrzej Wajda [ˈandʐɛj ˈvajda]、より原語に近い姓のカナ表記はヴァイダ、1926年3月6日 - 2016年10月9日)は、ポーランドの映画監督。
来歴
1926年3月6日、ポーランド東北部のスヴァウキで生まれる。ポーランド軍大尉だった父は対独戦中にカティンの森事件に巻き込まれて亡くなる。1944年、青年時代に織物会館で開かれた日本美術展において喜多川歌麿や葛飾北斎などの浮世絵をはじめとした日本美術に感銘を受け、芸術家を志す。第二次世界大戦中は対独レジスタンス運動に参加した。1946年にクラクフ美術大学に進学する。その後、進路を変えてウッチ映画大学に進学。1953年に同校を修了した。
1955年、『世代』で映画監督としてデビュー。1957年の『地下水道』が第10回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。1958年にイェジ・アンジェイェフスキの同名小説を映画化した『灰とダイヤモンド』は反ソ化したレジスタンスを象徴的に描き、1959年の第20回ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。これら三作品は、ワルシャワ蜂起時のレジスタンスや戦後共産化したポーランド社会におけるその末路を描いた「抵抗三部作」として知られている。以後、アンジェイ夢んくアンジェイ・ムンク、イェジー・カヴァレロヴィチらと並んで、当時の映画界を席巻した「ポーランド派」の代表的存在となる。
1960年、政治色を排した青春映画『夜の終りに』を発表。1962年にはフランソワ・トリュフォーや石原慎太郎らが参加したオムニバス『二十歳の恋』の一篇を製作。1965年の『灰』は4時間近い大作であり、日本では170分に短縮されてビデオリリースされた。1968年にはイギリスとユーゴスラビアとの合作『Gate to Paradise』を製作。1969年には『灰とダイヤモンド』に主演したズビグニェフ・ツィブルスキの死を受け、映画製作の現場を舞台にした『すべて売り物』を発表。同年の『蝿取り紙』は異色のコメディ作品であった。
1970年、第二次世界大戦後のポーランド社会を扱った『戦いのあとの風景』と1930年代のポーランドを舞台に三人の男女の関係を描いた『白樺の林』を発表。後者が翌1971年の第7回モスクワ国際映画祭で監督賞を受賞した。1972年にはワルシャワ工科大学教授ヤン ・ザフファトヴィッチの娘クリスティーナ・ザフファトヴィチと結婚する。
1975年には19世紀末のポーランドを舞台に三人の若者の姿を描いた大作『約束の土地』を発表。第9回モスクワ国際映画祭で金賞(最優秀作品賞)を受賞し、アメリカではアカデミー外国語映画賞にノミネートされた。1977年、1950年代に労働英雄となった男の末路を、彼に関する映画を製作しようとする女学生を主人公にして描いた『大理石の男』を発表。ポーランドでは上映禁止処分を受けたが、翌1978年の第31回カンヌ国際映画祭でスニークプレビューされ、国際映画批評家連盟賞を受賞した。1930年代のポーランドの田舎を舞台にした1979年の『ヴィルコの娘たち』は翌1980年の第52回アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされた。その他、ポーランド映画界で「モラルの不安」と呼ばれる運動が盛んになったこの時期には『麻酔なし』(1978年)や『ザ・コンダクター』(1980年)といった社会批判を暗喩的に描いた作品を製作している。
1981年、『大理石の男』の続編となる『鉄の男』を発表。1980年に起きたグダニスク造船所でのストライキに始まる連帯運動を描き、第34回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した。しかし、その反体制的な活動が原因となり、戒厳令布告によってポーランド映画人協会長などの職を追われることになる。1983年、フランスのゴーモン社の出資を元に、ともに国外を舞台にした『ダントン 』と『ドイツの恋』を製作。前者はセザール 賞監督賞や英国アカデミー賞外国作品賞、ルイ・デリュック賞など様々な賞を受賞した。その後、198年に『愛の記録』を製作し、ポーランド映画界に復帰した。1987年には京都賞思想・芸術部門を受賞。賞金の4500万円を建設基金として、多額の寄付などをもとに1994年に日本美術技術センター(日本美術技術博物館”マンガ館”)がクラクフに設立された。1988年にはドフトエフスキーの『白痴』を原作とした舞台『ナスターシャ』の演出を担当。同作では坂東玉三郎を主演に起用し、1994年には再び玉三郎を主演に映画化も行っている。
1989年に行われた議会選挙では、新たに新設された上院のスヴァウキ選挙区から「連帯」候補として出馬して当選し、1991年まで上院議員を務めた。1996年 、高松宮殿下世界文化賞を受賞。 神戸100年映画祭に出席、講演を開催した。
2000年、世界中の人々に歴史、民主主義、自由について芸術家としての視点を示した業績により、第72回アカデミー賞にて名誉賞を受賞。2007年にはカティンの森事件を扱った『カティンの森』を製作した。なお、ワルシャワ旧市街の再建に尽力した義父ヤン・ザフファトヴィッチの功績を取り上げたNHK総合テレビの紀行番組『探検ロマン世界遺産』「よみがえる街 未来への懸け橋~ポーランド・ワルシャワ~」(2007年4月28日放送)には、ザフファトヴィッチの娘である妻のクリスティーナとともにゲスト出演している。翌2008年の第80回アカデミー賞で外国映画賞にノミネートされた。2009年には『菖蒲』が第59回ベルリン国際映画祭でアルフレッド・バウアー賞を受賞した。
2010年12月6日、ポーランドを訪問中のロシアのメドベージェフ大統領から友好勲章を授与された。2013年、連帯の指導者から大統領となり、ノーベル平和賞を受賞したレフ・ワレサを描いた『ワレサ連帯の男』を発表した。
2016年10月9日、肺不全により死去、90歳。
🍒🍒🍒
Wikiを読んでいて、びっくりした。
トリュフォーや石原慎太郎とともにオムニバス映画『二十歳の恋』を撮っている。
観たよぉ〜〜💕
ポーランド編は覚えていないんだけれど、
石原慎太郎のは、
「日本映画ってなんでこんなに暗いんだろう」と強く思ったことで印象に残っている。
しかし、
あのオムニバスは全体的に暗かったかも知れない。
青春の苦味、みたいな雰囲気が充満していたなぁ。
さて、現実に戻って、
マンガ館💕
対岸からの全体像。
河っぺりに位置していました。
気持ちが勇んでいるので、早めに着いちゃった。
川沿いに散歩していた時の朝靄に煙るお城?かなぁ?
ヴァヴェル城望遠。
ちょうどヴァヴェル城の対岸にある、
マンガ館に戻りました。
カタカナ〜〜❤️
日本愛に溢れている。
特別展を見に。
超モダンな建物の空間に現れる日本人だって知らないでしょ!っていう茶室を建てる過程の展示でした。
1番乗りだったんだけれど、
ポーランド人たちもやって来ました。
道具類など、よくこれだけ集めたなぁと感嘆する。
堪能してお暇しようかと思ったら、
案内の女子学生(映画大学の学生がよくアルバイトしているそうなので、多分)が寄って来て、
ビデオがあるから見てゆくようにと言う。
ポーランド語じゃなく英語でした😅
この展示を指導した小川三夫(おがわ・みつお)さんのビデオとみた。
お弟子さんたちとの共同生活風景。
その中の言葉が印象深い。
「兄弟子は見せつけるんですよ。見せつけて追い越せと」
そうか、
展示物もそう言っている。
ポーランドの人たちに自分たちの技を
見せつけてやる!と。
殺風景にも見えた展示物がイキイキと語りかけて来た。
余韻に浸りながら、
本館の売店をひやかす。
いやいや、パリの日本文化会館よりもセンスの良い品揃えかも?とか思いながら、
冷やかしのつもりで入ったのについついお土産を買い込んだ😂😅
少し早めだけれど、
腹の虫抑えに、併設のカフェに。
前のお二人連れは器用に箸を使って、小鉢盛のお弁当を召し上がっていらしたなぁ。
私のお弁当😅😘
おむすびもお茶も美味しゅうございました😘
お腹もくちくなったので、おいとまをしましょうか?
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灰とダイヤモンド
舞台裏にて ノルヴィド
松明のごと、なれの身より火花の飛び散るとき
なれ知らずや、わが身をこがしつつ自由の身となれるを
もてるものは失われるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、あらしのごと深遠に落ちゆく混迷のみなるを
永遠の勝利のあかつきに、灰の底ふかく
さんぜんたる(星のごとく輝く)ダイヤモンドの残らんことを
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カティンの森
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