「ニッポン戦後 サブカルチャー史」
あの時があるから…今がある
ニッポン戦後サブカルチャー史
その2からつづく
ナレーション
オタクがカタカナへと変貌した90年代後半。
コミケは会場を移転する事になった。
宮沢はコミケが開かれる場所に注目する。
宮沢章夫さん
1996年に…コミケはビッグサイトに動くんですね。
これもやっぱり…すごく大きな意味があるような気がするんです。
これは紀伊國屋書店ですね。
60年代の新宿という街を象徴する建物である。
これは前川國男さんが建てられた。
これすごくはっきりした名前があるわけですよね。
新宿…それから前川國男という建築家の名前というものがありました。
一方…ビッグサイト。
ビッグサイトを設計したのは誰だか知ってますか?
風間俊介さん
黒川紀章さん。
宮沢章夫さん
違います!
株式会社佐藤総合計画というところなんですよ。
風間俊介さん
なるほど!それの設計者というのを調べてったら会社が…
宮沢章夫さん
会社であると。
そういうところはいくつもあるんだけど…でもこれも無記名性であると。さっきの60年代の前川國男という一つの名前記名された名前とは違うという…僕はこの事を発見した時にちょっと面白いなと思ったんですね。明確な名前がない。
風間俊介さん
感覚的に…海の端っこじゃないですか…何かこう…他の人に干渉されない端っこ感というか。
その…まぁ…もちろんここにはお台場があったりあそこの島にはいくつかのものはあるけれども…島の中でやるっていう感覚が、何かここだったのかなって個人的には思うんですよね。
宮沢章夫さん
なるほど…なるほど
あのコミケっていうのは明らかに閉鎖空間だったと…というふうに…僕らも感じてたし…やってる側もそういうふうに考えてた。開かれた閉鎖空間。
福嶋麻衣子さん
うーん。まさに。
宮沢章夫さん
これは謎なんだけどさ…50万人集まる閉鎖空間なんですよ…恐らく。
ぎゅうぎゅうなんですよ。
すごい意識的にね…意識の問題として。もちろんここに50万人いたら大変な事になるんだけど意識としての閉鎖空間は保ってると思うんだ。
じゃないと、コミケじゃなくなってしまうという何か…矜持みたいなのがありつつの…あの50万人というふうに思いますけどね。
ナレーション
開かれた閉鎖空間コミックマーケット。
そこでは何が生み出されていたのか?
90年代コミケを席巻していたのは…二次創作。
二次創作とは既存のマンガやアニメなどの物語の設定やキャラクターを利用し創作された独自の作品。
二次創作がブームとなったのは…
80年代
サッカーマンガの名作
「キャプテン翼」がきっかけだった
「キャプテン翼」のキャラクターの人間関係や物語の世界観をアレンジした同人誌が登場。
特に女性ファンの間で男性の同性愛を題材にした作品が人気に。
更に通常のストーリー構成に必要な「山場オチ意味」がない事を意味するいわゆる「やおい」系作品がブームに。
二次創作はさまざまな作品やジャンルに波及してゆく。
そして90年代…
美少女キャラクターが変身し敵と戦うアニメ「美少女戦士セーラームーン」が子供、大人性別の垣根を越え爆発的人気に。
自分もそのキャラクターになりきる「コスプレイヤー」が増加。
更にコスプレの対象は、当時流行していた格闘ゲームの人気キャラクターにまで及んだ。
90年代は…さまざまなメディアから大量のコンテンツが登場。
キャラクターに強い愛情を持ち、その思いを表現するツールとしてコスプレカルチャーが拡大していったのだ。
今年コミケの会場で作品販売を行った漫画家「一本木蛮」
80年代「うる星やつら」ラムちゃんのコスプレで一世を風靡した伝説のコスプレイヤーだ。
90年代は海外で開催されたアニメイベントにも招待されていた。
一本木蛮さん
コスプレというものって目で見て分かるじゃないですか。
同人誌とかっていうと…すごく描いて…印刷をして…それを搬入して並べて売って買う側も手に持って開いて中を見ていかないとどれだけ面白いものなのか分からないわけですよね。
それに対してコスプレというのはもうポーンと出てきたらそれだけでもう見た目で分かるわけですよ。
誰にでもできる…最も簡単な二次創作がコスプレ。
一番最もハードルの低い普通の人でも簡単にできる遊びだという事に…いろんな人が気付き始めた時代だと思います。
ナレーション
90年代大きなムーブメントとなったコスプレは現在に至るまでコミケに多くの外国人を呼び寄せる起爆剤となっている。
同人誌…そしてコスプレという二次創作。
コミケという空間は新たな表現を生み出す場でもあったのだ。
宮沢章夫さん
二次創作に関して…これはもう完全にコミケに関して言えば愛ですよね。
リスペクト…
それから敬意を持つとかという事があるじゃないですか。
ものまねっていうのあるじゃないですか。
ものまねも2種類あって批評のものまね。
これは…例えばタモリさんとかがそうだったんだけど…竹中直人がもう愛しかないんですよ。
ある時…竹中に誘われて松田優作さんが主演する映画の舞台挨拶がある上映の時に行ったんですね。
竹中はもう既に松田優作になってるんですよね。
で…行ったら15人ぐらいは松田優作がいるんですよ客席に。
これ考えてみれば…今考えるとコスプレだよね?…
風間俊介さん
だし…やっぱり二次創作だし…愛ですよね。
宮沢章夫さん
音楽の話ちょっとすると…風間君が好きそうな。
風間俊介さん
ああもうどんぴしゃですね。
宮沢章夫さん
どんぴしゃでしょう。
風間俊介さん
どんぴしゃです。
「ブギーバック」最高です。
宮沢章夫さん
この時代…例えば大瀧詠一さんの作品もそうだったけども…元ネタをみんな探すというところが面白いと。
それはリミックスとか…音楽というのがもう…オリジナルというものがもう存在しないのかもしれないというような事にも通じるじゃないですか。
二次創作もそうなんだけど、そもそも私たちが作るものは何かに影響を受けてるの。
僕も僕の舞台を作ってる時、あるいは小説書く時にこれは何かを見たからこうして作ったんだと感じし、それは「エヴァ」にも感じますよね。
福嶋麻衣子さん
ロボットアニメっていうのも…日本の昔からあるフォーマットですよね。
宮沢章夫さん
PIZZICATOFIVEだってねいろんなものから引用してきて。
ここからここまで使ってるなという事がやっぱり面白い。
90年代の二次創作という事は、単にコミケだけの問題ではなく…何かから引用してくる…引用先が何であるかという事ももちろんそうだけどそれに気付かなくてもいいわけじゃないですか。
気付いた人はそれは…そこに引っ掛かるだろうし…そうでなくてもいいわけですよね。
僕も舞台の中でものすごく引用するんです。
ただそれは分からなくても別にいいわけですよね。
その事を通じて言葉というものがより豊かになると思ってるんです。
それは僕がしゃべってる今この言葉も僕はどこかから引用してきた言葉であろうと。
僕は何かに影響を受けてしゃべってるんだと思うんですね。
歴史的に考えても…短歌の世界でも…本歌取りという歌をそれをちょっとこう…二次創作するんだよね。
それは平安か…それぐらいの時代からあったと。
そういうのはやっぱりある伝統なんだろうなと思うし…そういう事は絶対あるなと。
つづく…