数ある療術の中で卓越した療法を

幾つか紹介します

 

野口整体操法

野口晴哉氏に依って創始された

 

野口氏は松本道別氏(まつもと ちわき)

の門弟で人体ラジュウム療法を学び

自らの思想哲学を構築して行き

整体協会を設立する

 

幼い頃から才能を発揮し

関東大震災の折には、自ら負傷者の

治療に当たったと聞く(野口氏12才の頃)

 

 

全国領術師協会の中央委員長を務めたが

療術禁止の折に袂を分け

整体協会の活動に専念

 

輸気と活元運動(錐体外路系自律運動)と

整体操法を融合させた天才である

 

12種類の体癖を説き、体癖の操縦法が

整体であるとした。

体癖とは身体の勢いの方向性を分類した

ものである。

 

現在ちまたに溢れる整体とは全く違う

技術体系である。

 

井本整体の井本氏も野口氏の門弟で在ったと聞く

 

著作も数多くあり、彼の思想のを現在でも

学ぶことが出来るので興味ある方はご一読を

お薦めする。

私、個人的には「治療の書」が1番好きな書籍です。

 

 

明治44年1911年 

民間療法の範疇であった、あん摩、はり、灸が

按摩術営業取締規則、鍼灸術営業取締規則で規制される

   

身体均整法の亀井進 誕生

整体協会の野口晴哉 誕生

大正6年     

兒玉林平 スポンディロセラピー を日本に紹介

 

大正7年1918年 1次世界大戦 終結

柴崎吉五郎、山田信一氏らが日本にオステオパシーを

紹介川口三郎氏が神奈川県知事を治療したことが

契機となり、神奈川県で

「カイロプラクティック取締規則」が初めて制定さる

 

大正10年1921年頃 B.Jパーマー来日

※未確認だが、この時日本でカイロプラクティックの

 セミナーが開かれたと言う話がある

 その後の日本での整体ブームと

  関係が在るのかも知れない

 

大正11年1922年

3月 臼井甕男 霊気の治癒力に目覚める

 

大正15年1926年 

東村英太郎氏「カイロプラクティック」を翻訳、出版

昭和49年まで8版を重ねる

 

野口晴哉 入谷に道場 開設

岡田茂吉がお腹に光輝く玉が入ってきた神秘体験使命を悟る

 

昭和2年    

高橋迪雄氏、「正体術矯正法」を出版 

 

昭和5年  

11月29日

療術営業取締規則発布(警視庁令第43号)

 

本令ニ於テ療術行為ト称スルハ

他ノ法令ニ於テ認メラレタル資格ヲ有シ

其ノ範疇内ニ於テ為ス診療又ハ施術ヲ除クノ他、

疾病ノ治療又ハ保健ノ目的ヲ以テ

光、熱、機械器具ソノ他ノ物ヲ使用シ若ハ

応用シ又ハ四肢ヲ運用シテ他人ニ施術ヲ為スヲ謂」

 

※この後各道府県で療術営業取締規則が作られる

 

昭和6年1931年 

大阪無薬医師会  発会

兵庫県無薬医師会 発会

東京無薬医師会  発会

北海道治療師会  発会

 

岡田茂吉千葉の鋸山の山頂にて神秘体験 

岡田式心霊指圧療法後に浄霊を開始する

 

柴田 純宏 長生術 創始

 

黒田保次郎 日本橋で光線治療所 開業

 

昭和7年  

中部日本電療師会 名古屋で発会

京都無薬医師会  発会

 

日本治療師会設立(後の全国領術師協会)  

会長 守屋栄夫 会員3000名

 

昭和14年      

 第2次世界大戦 開戦

 

日本治療師会 内紛で2つに分裂

○日本治療師会             会長     守屋 栄夫

 (後に大日本療道協会に改名)

○大日本連合治療師会       会長 陸軍中将 国司 伍七

    陸軍中将 国司 伍七 病死 会長 福原 俊丸男爵

 

昭和15年      

北海道庁令で「療術行為取締規則」を公布

北海道治療師学院が開校

                 

浪越徳治郎 指圧学校 設立

 

 

催眠術の輸入

 

明治9年1876年、 

東京医学校、現在の東大医学部にドイツ人エルイン・

ベルツが日本に来日精神病患者に暗示療法を用いる

 

これに先立って

文久2年1863年  

江戸時代幕府海軍の要人で榎本武揚氏

 幕末にオランダに留学する。

この時に、下宿先で同居したウリエム・シュレーダーが

催眠術師であり、日本に催眠術の本を送ったり

世界で流行していると伝えた。

 

明治23年 

東京の小石川に漢方医だった真島等伯が最初の

催眠術病院を開設する。

 

明治35年1902年

桑原俊郎 教育時論誌に催眠術に関する

記事を投稿 精神霊動 桑原俊郎著

 

大日本催眠術奨励会、大日本催眠学会

精神研究会

帝国催眠学会は、1人30円で教授した(現代の66万円)

多くの催眠術の団体ができる

 

明治38年 

医師以外のものが行う治療行為が民間療法と

呼ばれるようになる

 

明治41年  

催眠術に於ける精神の現象を当局も憂慮しはじめ

催眠術で犯罪がらみが出てくる

 

警察範処罰令が出される(内務省令)

 病者に対し禁厭、祈、符呪、等を為し又は

神符、水神等を与え医療を妨げたる者を処罰する

 

この後、催眠術師たちは、

治療としての霊術家になるもの

教祖に成るものに別れていった様です。

 

※参考資料

霊術家の饗宴 井村宏次

バロンワールド バロン西田