岡田式正座法に代表される

呼吸法などの心身統一法は

療術の根底にある技術だと思う

 

 

気合いとは、声を張り上げるモノでは無い

自他の感応を作り出す奥伝でもあるが

これも呼吸法が基礎になっている。

 

 

カイロプラクティックの創始者D.Dパーマーは

メスメニズムの磁気治療師であった

この呼吸と気合いを知っていたであろうか?

 

 

行き過ぎたスピリチュアル主義は肯定しないが

癒しはそう言った感応の状況で発動する

 

以前、正座法を研究した時に偶然入手した書籍に

松本茂氏の正座法のすすめがある。

松本氏は、日本のカイロプラクティックの草分け

であるが、正座法にも精通されていたのは興味深い

 

呼吸、丹田、気合いは武道だけでなく

日本の文化の根底にある哲学でもある

興味の有る方はその辺りを調べてみるのも面白いかも

知れません

 

終戦記念日が過ぎた。

連合軍による占領が始まったのも

この日と言っていいだろう。

GHQの行った占領政策は

日本の弱体化を図るものであったと

思います。

 

 

財閥の解体

軍事産業、工業の仕組みを壊した

 

 

農地改革

地主の大規模農業を壊して

農業力(食物の自給率)を壊した

 

 

医業類似行為も禁止の憂き目にあいました

 

 

サンフランシスコ講和条約が

1951年9月8日調印、1952年4月28日発効

され、

この条約の発効により、連合軍による占領は終わり、

日本国は主権を回復したのです。

 

 

この時点で療術の禁止の無効も出来たはずです。

 

 

戦時中特攻隊には専属のカイロプラクターが

居たそうです。

 

何故なら

戦艦に攻撃をする際に海上2メーター程で

砲撃を避けながら、命をかける究極の状態で

目的を達成させるためには、肉体と精神を最適

にする必要があった。

そのためにカイロプラクティックが役に立ったのです。

 

 

多分、GHQはこの事を知っていてカイロプラクティックを

日本から排除させたかったのでは無いだろうか?

と言う疑問も出て来ます。

(あくまで、個人的見解です)

 

 

WGIP(War Guilt Information Program)は

GHQの宣伝政策であったが、そろそろ

目覚める時が来ているのではないだろうか?

 

 

身体均整法

 

亀井進氏によって創始された手技療術

明治44年(1911)2月10日、愛媛県生まれ

法華主義者

 

松山市の職員であったが政治活動に身を投じる

重度の胃潰瘍を起こして現代医学から匙を投げられる

奥様も産後の肥立ちが悪く両足不随、両眼失明。

長男は廊下を走っていて転んで足が立たなくなり、

医者に見せたが右下肢不随。

16人もの医者にかかっても家族の患いは治らない。

残されたのは悪化した症状と借財であった。

道後温泉の馬賊出身の療術師、

白袴のヨネ女氏に救われる

 

その後出兵し、ノモンハン事件で九死に一生を得

戦後、帰還した時に自分を救った療術が禁止の

憂き目に合っていることを知る。

 

広島の高松梅次郎氏より療術救済を懇願され

大会社の重役の椅子を投げ打って

療術の世界に身を投じる。

 

全国療術師協会主催の幹部研修会で

頭角を現し、

後に愛媛県療術師会会長を務める

 

日本カイロプラクティック協会の松本茂氏からも

カイロプラクティックの手解を受けた様です

 

窮地に追い込まれた療術師を救う為に

身体均整法を創始

 

昭和26(1949)年3月には、身体均整協会を設立

野口晴哉氏の整体協会との統合を試みるも

決別し、独自の運動医学を志す

 

当時の療術師が愛読していた全療新聞に

亀井氏の投稿があり、現在の療術家の皆さんも

参考に成ればと思い転載します。

 

 

 

身体均整法の操作の要領  (全療新聞より)

身体均整法の操作の要領の質問に答えて

その大網を述ぶ。

身体均整法の操作は、

手指の技術にあらず、呼吸の技術也

呼吸は整者の呼吸の謂にあらず受者の呼吸也。

均整法操作は、受者の気息に乗じる技術也。

受者の気息の波に乗る技術也。

受者の気息にリズムを融合せしむる技術也。

受者の気息の空を読み広さを読み、

静けさを読みはざまを読み

整する速さを自行他化にわたって読む技術也

均整法の操作は一定の波に乗ったリズムが、

空の適を得て受者を整する技術也。

其の強弱、緩急、長短、遅速、多少、軽重は、

受者次第、

         中略

操作に気を張るべし、気を満たすべし

手指を用いうるは気息にあり

気息の抜けた操作は

百年もちうるとも、しるしなき也

気息とは一念の心を指して言う也、

一念をこめて一念に依って

彼と吾の一念の融合をはかる。

之操作の要領なり。