カイロプラクティックテーブルの変遷 その3とその4

の間の期間に重大な事件がパーマースクールに起きます。

1924年

NCMと言う背骨を調べる器具をパーマースクールの教育に

導入する事を決定した学長のB.Jパーマーと一部の教授陣の

間で論争が起こり

結果的に分裂、反対派の教授達が生徒をつれて通りの反対側で

学校を作りました。

この分裂した学校が後のナショナルカイロプラクティック大学になります。

カイロプラクティック業界を2分する

ストレート系(パーマー系)と

ミキサー系(ナショナル系)

の派閥が出来てしまいました。

B.Jパーマーに依って1930年 HIOが開発される

上部頸椎サブラクセーションが起こる可能生

が高いとされ、当然ではあるがHIO用のテーブル

が開発された。

それは横臥によるアプローチであった。

多分第1頸椎の横突起に1番触り易いと

考えたのかもしれない。

ここで思うのであるが、わざわざテーブルまで開発

して、横臥の状態でアジャストメント(調整)

しようとしたのか?

謎は深まるばかりである。

このテーブル頸椎の1,2番だけをアジャストメント

するためのもので、それ以外の目的には使えない

テーブルです。

 

ハイローテーブルは現在でも

多くのカイロプラクターが使っている

多くの改良が加えられ洗練された

物になっているが、

初期のハイローテーブルを見ると

作られた意図を読み取ることが

出来る。

道具と言う物は、目的があって造られている

トラックは荷物の運搬の為

乗用車は人の移動の為

スポーツカーは走りを楽しむため

レーシングカーは速く走る為

では、カイロプラクティックテーブルは

サブラクセーションをアジャストメント(調整)

するために造られている

その造られ方を見れば当時のカイロプラクティック

の方法論を見て採ることが出来るのでは

ないだろうか?