カイロプラクティックテーブルの変遷 その3とその4
の間の期間に重大な事件がパーマースクールに起きます。
1924年
NCMと言う背骨を調べる器具をパーマースクールの教育に
導入する事を決定した学長のB.Jパーマーと一部の教授陣の
間で論争が起こり
結果的に分裂、反対派の教授達が生徒をつれて通りの反対側で
学校を作りました。
この分裂した学校が後のナショナルカイロプラクティック大学になります。
カイロプラクティック業界を2分する
ストレート系(パーマー系)と
ミキサー系(ナショナル系)
の派閥が出来てしまいました。


