Dr. グロスティック(Grostic)は

ミシガンのカイロプラクター

彼は重篤な病、ホジキンリンパ腫を

持っており余命宣告されていたが

B.Jパーマーの施術によって奇跡的に

回復する事が出来た

後にグロスティックはカイロプラクター

と成り、活躍していた。

 

しかし、B.Jパーマーが世界旅行に出て

留守をしている間に交通事故に遭い

体調を崩し再発

他のカイロプラクターに依る施術では

回復する事は無かった

瀕死の状態の時、ようやくB.Jが帰国

アジャストを受け回復する事ができた。

 

Dr. グロスティックは特定の人に健康を

依存する事を良しとせずB.Jパーマーの

分析、施術を誰でも出来る様に研究を続け

独特な分析法とアジャスト(調整)

を構築した

Dr. グロスティックのアジャストの方法は

頸椎の1番に限定して行われるが

素早いものでは無く極わずかなフォースを

一定のベクトルで保守する方法を取る

このアジャストを成功させるには

頭部の固定が肝になる。

それを実現させる為の特別なヘッドピース

を開発したのが

グロスティックテーブルである

その考えはdr.スエットに受け継がれ

AO(アトラス オーソゴナル)に繋がる

 

カイロプラクティックの変遷を見て頂いていて

よく見るとこれらのテーブルの上で

ディバーシファイドテクニックを行うには無理がある

と判って居だだけただろうか?

当初のテーブルは、

ターグル・リコイルテクニックの為に作られたと

言ってもいいのかもしれない。

カイロプラクティックテーブルの中で

一部のマニアの憧れのテーブルがB.Jスペシャルである。

重厚で、気品と美しさをもったこのテーブルは

B.Jパーマーの伝説を引き立てている。

 

10年以上前になるが日本でこのテーブを復刻した

ジャパンクオリティーで造られたこのテーブルは

今でもオーナーの先生によって伝説の続きを

作っているだろう。

木製のニーチェストテーブルと比べると

真にスペシャルなテーブルと成っている。

1974年に米連邦政府教育省から公認を受け

CCE (Council on Chiropractic Education)

カイロプラクティック教育審議会が設立した。

この機関はアメリカに置けるカイロプラクティック大学の

教育の質を保証を認定する機関である

この機関を創ったのはアメリカンカイロプラクティック師会

である。この中心になったのがナショナルカイロプラクティック大学の

卒業生グループであったと考えられます。

大学でのテクニック教育の必須として

背骨全体をアジャストメント(調整)出来るテクニックが選定され

それがディバーシファイドテクニックとガンステッドテクニック

とされた様です。

ガンステッドテクニックは、特別なテーブルを必要とする上

難易度も高いことがら必然的にディバーシファイドテクニックが

教育のメインテクニックとなったと考えられます。

ライセンス試験に於いてもディバーシファイドテクニック又は

ガンステッドテクニックが要求されますので

学生は、これらの技術の習得に力を入れ、他のテクニックへの

ウエイトは低くくになってしまいます。

 

カイロプラクティックのオリジナル・テクニックである

ターグル・リコイルテクニックは、

カイロプラクティック教育のメインから外れ、

一部の大学(パーマー系の大学)

でのみ教授される事になってしましました。