本日、2026年の大河ドラマが決まったと、発表がありました。
主役は、なんと豊臣秀長!!
26年大河ドラマ『豊臣兄弟!』主演は仲野太賀 主人公は天下人の弟・豊臣秀長(外部リンク)
https://www.oricon.co.jp/news/2318104/full/
現在、歴代大河ドラマで最も古い時代を扱っているのは、平将門を主役に据えた『風と雲と虹と』(1976年)
将門は、もちろん平安中期の人。
これが一番古いということは、奈良大河はまだやってない…。
だから、蔦屋重三郎の次は奈良大河が来ないかなー?と思っていたんですが、大河になったのは秀長。
別名「大和大納言」…そっちの奈良大河かーい!って、一瞬なりましたw
※秀長は1585年~亡くなる1591年まで、大和国(奈良県)を加増されて大和郡山城を居城とし、従二位大納言に昇進したので「大和大納言」と呼ばれています。
秀吉は1996年に大河ドラマになっていますが(演じたのは竹中直人さん)、その原作に作家の堺屋太一さんが名を連ねていました。
堺屋さん曰く「秀長を主人公にした本を書いたつもりが、いつの間にか半分くらいは秀吉の話になっていた」とのこと。
秀長を描こうとすると、秀吉の個性と経歴がモノを言わせて、主役を食ってしまうわけですね…そこをどう裁くか、あるいは諦めるかが手腕を問われそうですw
秀長は、豊臣秀吉の異父弟。
元々の名前は、秀吉が「木下藤吉郎」だった時代は、「木下小一郎」。
異父弟なのに同じ「木下」って何なんだろう?と思うのですが、関白・太閤にまで登り詰めた秀吉が、低い身分の生まれだったことを忌避して多くを語らなかったので、詳細不明のままになっているようです。
秀吉が立身出世を夢見て信長に仕えた時、小一郎は秀吉の御供として従事。
異父弟として一門衆の筆頭となって重んじられ、軍事や外交について、しばしば秀吉の名代として陣頭指揮や折衝に当たっています。
温厚で人柄もよく、秀吉と諸大名との取り次ぎ役・調整役としても抜群の存在感。「最高の補佐役」と言われ、秀吉の覇権確立と政権の安定には、なくてはならない人物だったと言われています。
薩摩の島津に責め立てられ、秀吉に泣きついた大友宗麟が言われた言葉。
「内々の儀は宗易 公儀の事は宰相存じ候 いよいよ申し談ずべし」
(内々のことは千利休に、公のことは秀長に相談せよ)
秀吉による九州平定よりも前の段階で、すでに秀長が政権の中枢にいたことが、よく表れていますなー。
そんな秀長の最大の欠点は「金銭欲のカタマリ」であること。
もとが貧しい農民だったことが金銭欲のタガを外してしまったのか、蓄財に目が無かったと言われています。
紀州を治めていた時代、材木流通で裏金疑惑があったようで、秀吉から相当怒られたりしています。
大和国を治めている時代にも、「奈良貸し」をやって社会問題に発展しています。
奈良かしや この天下殿 二重取り
とにもかくにも ねだれ人かな
「九州攻め」の時には、米を高値で売って諸大名の顰蹙を買ったという話も…。
亡くなった時、屋敷の一室に金銀が山のように蓄えられていたとか。
このあたりをどう描くのか、スルーするのか…。
しかし、これは長所と短所の裏表でもあり。
当時、金銭のことを考えるのを「はしたない」と忌み嫌っていた武将・武士にあって、金銭のことばかりを終始考えて行動できる秀長は、潤沢な資金にモノ言わせて日本を席巻した秀吉政権にあって重要な役割を占める人材だったわけですからね(兄のために金銭をかき集めていたとも言えるわけで)
それに、彼の「守銭奴」ぶりは、浪費家(お金にルーズ)な秀吉とは対照的で、クローズアップすることで秀吉に食われない個性にすることができるかもしれませんな。
もっとも、同じ金銭欲でも「守銭奴」と「ケチ」とでは違う特徴で、秀長は「守銭奴」だけど「ケチ」ではなかったと思います(もしケチだったら、寺社がひしめく大和なんて統治できないですよね…)
でも、秀吉のルーズな面をカバーするために「ケチ」っぽくならざるを得なかった部分は、あったかもしれないですね。
(あと、秀長は金銭欲のカタマリである一方、出世欲はそんなになかったようで、秀吉とはそこの部分も逆になっているような気がしますな)
その他に、秀吉ドラマでは難しくても秀長ドラマだったら可能なことの1つに、藤堂高虎の存在があります。
藤堂高虎は「7度主君を変えねば、武士とはいえぬ」と言い切り、地で行った人物でした。
近江の土豪の生まれで、中々の能吏・武将としての才能を持っていたのですが、14歳の時に浅井長政に仕えたのを皮切りに、阿閉家(あつじ)、磯野家、織田信澄(信長の甥)と、仕官先を転々とする不遇の時期を送りました。
そんな矢先の天正4年(1576)、高虎が出会ったのが、羽柴秀長。
天正9年(1581)、但馬攻略戦に従って現地の土豪を討伐。功績を認められ、3000石加増されて鉄砲大将となりました。若干25歳での抜擢。
それまでどの主君のもとでも、何をやっても認められず、全く出世させてもらえなかった高虎は、びっくり仰天。「え…この俺が出世した????」
篤実な性格で功績を評価し、高虎の才能を見抜いて抜擢を繰り返す秀長は、これまで出会ったことのない、最高の主君でした。
「この方とならば、どんな乱世でも共に行ける…!」
紀州征伐、中国征伐と、秀吉の軍略に秀長麾下として従軍し、これまた功績が認められ、ついには城持ち大名にまで出世。
城作りの名人となり、後世まで藤堂高虎の名が残ったのは、秀長のおかげといっても過言ではないのです。
そんな高虎をメイン級の登場人物に持ってくるのは、秀吉のドラマでは中々にキビシイ…でも、秀長ドラマだったら全く問題ありません。というか、高虎がいないと不自然とまで言えるわけ。
秀長大河、きっと藤堂高虎ファンも盛り上がっているに違いない…と、思いますw
で、ここからは余談のような…というか、何の根拠も証拠もない、ワタクシの単なる妄想に過ぎないお話なんですが。
秀吉と言うと「陽気な人たらしのチート武将」というイメージがあると思います。
笑顔で人の懐に飛び込んで行って交渉や取引を成功させ、戦場に立てば智謀と迅速さで勝利を掻っさらっていくチート武将。
ワタクシが思うに、このうちの「陽気な人たらし」の部分って、本当は秀長が持っていた部分なのではなかろうか。
秀吉は、性格はひょうきんだったかもしれませんが、「短気で冷酷なチート武将」が本来の姿だったような気がしているんです。
秀吉が「短気で冷酷」なところは、生涯通じてずっと垣間見える性格ですが、秀長の死後になると、というか亡くなった直後から顕著になっていきます。
利休切腹事件、朝鮮出兵、関白秀次切腹事件…。
よく「秀長が生きていたら防げたかもしれない」と言われる、暴虐にして残虐な事件の数々。
庶民にも大解放され、秀吉自身が率先して茶を点てて振る舞った、あんなに明るく活気のあった「北野大茶会」が、秀長の死後になると、厳戒態勢の中で豪華ながらひっそりとした「醍醐の花見」のようになったり。
派手な部分は相変わらずなのに、どこか狂気と共存した、どこか冷たい雰囲気を纏ってしまう…。
そして、「秀長が取次役として、調整役として、諸侯に頼りにされ、公のことの表窓口になっていた」という事実。
それを突き合わせると、「あの陽気な人たらしな部分は、秀長が担っていたイメージだったのかなぁ」となってくるのです。
秀吉と秀長は2人で1つの個性。いわば「半身神話」が豊臣兄弟の正体だったのではなかろうか。
むかし、秀吉は「陽気な人たらしのチート武将」というイメージで語られてきました。
近年は「陽気で人たらしだけど、短気で冷酷な所もあるチート武将」と、再評価されてきています。
『真田丸』の秀吉がそうでしたし、おそらく『どうする家康』も、そんな秀吉だったような気がします(見てないんですが、SNSで見聞きする話からすると)
ならば、2026年までにはもう一歩進んで「短気で冷酷なチート武将が秀吉で、陽気な人たらしは秀長」という評価になる可能性だって、あり得ない話ではなさそうだったり…?
このあたりも含めて、『豊臣兄弟!』も楽しみにしていたいですねw
なお、ワタクシは「『戦国幕末大河は見飽きた』って何なん??」ってスタンスを取っております。
もしかしたら、それが「初めて見た大河ドラマ」になる人がいるかもしれない。
平安やら鎌倉やらではついていけないけど、戦国幕末なら馴染みがあるっていう視聴者がいるかもしれない。
大河ドラマは歴史オタクのためにあるんじゃない。テレビが好きな人のためにある。
これを忘れてはイカンと、ワタクシは思います。
もちろん、挑戦的な時代や人物を大河に選んで欲しいと言う気持ちはありますよ?
古代史大河をもっとやって欲しい!って願っていますよ?
ワタクシ歴史オタクですもん。
でも、だからって「戦国幕末なんて定番過ぎてダメ」は、ちょっと違うなぁ…と思うんです。
まぁ、そんな愚痴だか陰口だか叩いてもNHKはビクともしないと思うので、別に好きに言ってもいいとは思いますが。
でもオタクだったら「自分の得意分野の裾野が広がってくれたら何でも歓迎」って気持ちで迎えません??というのを、忘れないようにしたいなって気持ちでいっぱいです。
「イヤなら見なければいい。でも、見たい人の邪魔になるようなことをするのは粋じゃない」
それを心掛けたいなって、思いますね。
情けは人の為ならず。
自分の自由のためにこそ。