大河ドラマ『光る君へ』第6話「二人の才女」見ましたー。

 

 

時は寛和元年(985年)。2話~5話の4話連続ずっと永観2年(984年)だったのが、ようやく1年進みましたw(といっても前回は冬だったから、数か月過ぎただけか…)

 

冒頭は、泣きながら父の胸に飛び込んだ まひろと為時の、前回の続きから。

 

あの様子を見て「何があったのかは聞かぬ。ただ、もう左大臣家の集いには行かないで良い」との台詞…なんか、すごくズレた気遣いだなぁと思いました。

 

確かに、道長と交流を深めていたことも、あの夜に六条のとある場所で密会していたことも、為時には全く預かり知らぬこと。

 

しかし、あんな夜中に泣きながら帰って来たのを見て、「左大臣家の集いで何かあったのかな?」と思ってしまうのは、想像力が貧相というか、目が節穴というか。

 

まひろと道兼のことでモメていたんだから、「右大臣家で何かあったのでは」ってならないかなぁ。「ついに道兼に何かしたのか!?」みたいな。

 

まぁ、ここは「為時がニブい」ってことにしておきますか(笑)

 

ただ、まひろの「右大臣家はカタキです。いつまでもカタキに依存するより、左大臣家とつながった方が役に立つかもしれません」みたいな言い分は、イイですな。本当は倫子が好きになって、興味を持ったからなんでしょうけど、説得するための表向きの主張が即興で口から出る、まひろは聡明ですね。

 

為時は思わず「お前が男であったら」とウルッとくるのですが、「女でも役に立てます」と返し。「女の役立ち」というと、いい家に嫁いで子を産んで縁戚を広げる…となりがちですが、高貴な女性に仕えるというのも立派な役立ちですね。ああ、まひろは14歳にして立派なキャリアウーマンになったのですね…。

 

まひろの口から「源氏も重要」という言葉が出てくると、『源氏物語』に行きつくフラグ?と思ってしまいますが…ちと敏感になり過ぎているのかも。

 

 

右大臣家では、兼家が「道長の婿入り」の話を切り出しました。

 

前回の「猫を追いかけてきた倫子を兼家が目撃した」天然なのか計算なのか分からない(笑)倫子の行動が効いてきます。

 

「左大臣家の一の姫はどうだ?」

 

道長は「はぁ…?」と、うつろな感じに。もしも三郎と幼馴染であんな関係があったのが、まひろではなく倫子だったら、ここで呑んでいたお酒を「ブー」と吹くところでしたかねw(こっちの方が少女漫画的展開な気がしますが、主人公が道長じゃないからな)

 

あまり乗り気でない様子を見て「好いた姫でもおるのか?」とズバリ。核心を突かれても能面で通す道長を見て「おらぬな」とニヤリ。

 

まひろの父だけでなく、道長のお父上もスーパー節穴でございました(笑)

 

娘の詮子は、道長に「好きな人ができた」のをズバリ見抜いたというのに…。これは「女性の勘(特に心理変化に対する)」補正の違いというヤツですかね。

 

そんな詮子は、左大臣・雅信を呼び出して、おどしたり(ムチ)ボディタッチしたり(アメ)して、籠絡作戦を開始。

 

雅信は懐仁親王に緊張した趣でご挨拶していましたが、この時「東宮傅(皇太子の道徳担当の教育係)」を兼任していたので、本当はソコソコの頻度で顔を合わせていたのではないかと思います(それとも、名誉職的なもので、あんまり会いに行くような職務ではなかったのかな)

 

次々に重た過ぎる言葉を投げかけられて、どんどん選択肢と退路を断たれていく雅信。特に前回、兼家と一緒になって、安倍晴明をおどして花山天皇の治世にまじないをかけたことで、兼家のやり方を熟知したし、自分も弱みを持ってしまった…。ここに詮子の囁きは効きますな(笑)

 

そして、ついに。ついに「道長を左大臣の婿に」という言葉が出てしまいました。

 

え…それ穆子の役目じゃないの…?穆子の「見せ所」を奪っちゃうの…?

 

まぁ、今作の兼家と雅信、あんまり緊張関係にないので(お互い政敵と見做していたと言われていたんですが)、穆子の鶴の一声で決まるという流れには持って行きにくそうで、どうするんだろう?とは思っていましたが…。詮子に取り込まれたことで、これから政敵関係になっていくのかな(ちと期待してます)

 

詮子さまの「裏の手」とは何か?は、意外と簡単でしたね…簡単過ぎて逆に明かされるまで分からなかったわ(^^;

 

そして兼家にも詮子にも「左大臣家に婿入りしなさい」と言われてしまう。奇しくも同じ女性を婿にと、考えてしまう似た者親子。

 

兼家は「そうすると我が家が有利になる」と理由を言ってましたが、詮子は「私が言うんだから間違いない」と、押し付けになっています。父より姉のほうが、道長を人間扱いしてません(笑)

 

 

ここまでを見てみると、まひろ、兼家、詮子、3人が「左大臣家」の利用に興味津々なご様子。右大臣家の亀裂、兼家の政治的嗅覚、まひろの成長、これによって注目されて、左大臣家の株が暴騰しておりますな。

 

まぁ、いずれも「駒/後ろ盾として利用しよう」と考えている布石なので、おいたわしいような気もしますが…。雅信と倫子の「人の良さ」が、魑魅魍魎を呼び込んでいるんでしょうかねw

 

 

左大臣家とともに、兼家と詮子の間でも(潜在的な)取り合いとなっている道長は、兄・道隆の邸を訪ねます。

 

道長と道隆がこんな長丁場で直接対話をするシーンは初なので、「おお、会話している!」と嬉しくなってしまいましたw

 

道長は、花山帝の側近である義懐と惟成の2人が、若手公卿の取り込みを開始したことを察知。しかし、自分はその対象となっていないことを知り、「これは右大臣家を孤立させる計略だ」と看破して、道隆に相談を持ち掛けてきたというわけ。

 

兼家でも道兼でも詮子でもなく、道隆に…というあたり、「この3人はヤバイ」と身に染みた結果なんでしょうか。道長、賢くなったなw

 

道隆は晩酌中で、珍しい末弟の訪問でさらにゴキゲン。

道隆卿、お酒大好きですもんねー(しかし、深酒が過ぎているようで、もうお体が心配ですな)

 

若手の心を右大臣家に引き戻すための一手、それは道隆の妻・高階貴子から発案されました。

 

「漢詩の会を開くのはどうでしょう?」

「若い子たちは勉学の成果を披露する場に飢えているでしょう?」

「漢詩には、それを詠む者の想いが表れると言いますし」

 

さすが、学者の家・高階家の才女。仕えた円融朝にあって漢学で名を挙げ、宮中の詩会にも招かれていた「高内侍」と呼ばれ称されし者。

 

この才能に惚れ込んだ道隆が、身分差をもろともせず恋愛結婚を果たしたと言われるだけありますw

(ワタクシは、道隆は父の不遇の影響を受けて、この層と結婚せざるを得なかったとも考えていますが)

 

もしかしてサブタイの「二人の才女」って、紫式部と清少納言と思わせておいて、裏の本意は高階貴子のことだったりする?(そうすると、もう1人は詮子あたりですかね?)

 

 

こうして開かれた「漢学の会」は、お題が「酒」。

 

SNSでは「道隆が酒好きだったからですかね?」という、中々にいい深読みがされていましたが、これたぶん「公任と斉信よ、キミたちが義懐らの酒の接待を受けたの、分かっているんだぞ」という、道隆の洒落の効いた警告(?)だったのではなかろうか。

 

「あんな『ウェーイな酒と女の接待』より、こっちの『酒の漢詩の会』のほうが心地良いだろ?」

 

向上心が高い若者たちは、お洒落で洗練された漢詩の会にほだされて、道隆にゾッコン。それはお題「酒」でもう、持っていかれていたんですかねw

 

 

そして、MY推しの、Mrs.清少納言!ついに登場!

 

 

清少納言は、天元5年(982年)に夫・橘則光との間に息子の則長が生まれているので、第6話開始時(985年)には既婚者で子持ち。

 

しかし、ききょうは少女のような描かれ方をしておりましたね…。夫や息子は登場しないんでしょうか?

 

康保3年(966年)生まれ説がありまして、これが史実ならば道長や公任と同い年。道長も公任も「少年」ではなく「若手」として描かれているので、少女っぽい人物造形されているのは、ことさらに違和感があります。

 

少女っぽかったのは「精神的に幼い」キャラ造形なのか、それとも まひろと対等に渡らせるため「空気読まない」のがそう見えているだけなのか…と、色々考えながら見ていたのですが、父上と一緒だったからってもありそう。

 

予想だにしていなかった僥倖。元輔の映像化!!

 

 

平安クラスタでは一般的イメージ(と、思う)「ひょうきん爺さん」の面はなく、ひたすら文化人枠のイケオジで描かれておりました。

 

言いたいことをズケズケという ききょうは、かつて「偏とり」で完勝して、大先輩の赤染衛門に「合ってます」と言ってしまった、倫子サロンで磨かれる前の空気読めない まひろを見ているような思いですなw

(まぁ、「竹取物語」や「蜻蛉日記」の独自解釈を喜々として語ってしまうあたりに、まだ原石の片鱗は残っておりますが…)

 

倫子のもとで訓練を積む前だったら、ききょうとも案外、気心知れた仲間になったのだろうかねぇ(逆に、もっと水と油になっていた…?)

 

 

そして、手段こそ平穏ですが、道隆の「政治手腕」「人心掌握術」も、この回で明らかになりましたね。

 

なんだかキャラがいまいち弱いように見えたこの人も、やっぱり兼家の子。ちゃんと権力欲・出世欲、そして「俺が天下を獲る」という覇気を持っていらっしゃった。

 

顔がボコボコになりながらも「オレがあやめた女、お前知ってたのか。だったら悪かったな」と、これまでで最も兄らしい表情を見せた道兼が放った、あのキレッキレな言葉が象徴的だなぁと思いました。

 

「お前は自分だけが綺麗な所にいると思っているのか?足元を見てみろ、俺たちの影は同じ方向を向いている。一族の闇だ」

 

父の兼家は相変わらずの兼家でしたが、詮子も、道隆も、それぞれの思惑を叶えるべく他者を思いのままに動かしている(動かそうとしている)。道兼のこの言葉は、まさに正鵠を射ていますなぁ。

 

道長は、まだその気が弱いですが、しかし覚醒しつつあるようで、いつもすました顔で、蹴られても微笑を浮かべていたあの呑気な少年が、兄を殴りに行ってから、自分の意見をズバズバと言うようになり、好きだアピールも繰り出していくようになって、だんだん感情表現が豊かになってきています。

 

ドラマの最終場面では、ついに。まひろに道長が和歌を贈っちゃいました。

 

 

ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし
恋しき人の 見まくほしさに

 

 

「ちはやぶる」だの「斎垣(いがき)」だのと、なんだか仰々しい和歌だなぁ…と思ったら、なんと『伊勢物語』の本歌取りなんだそうです。

 

むかし 男 伊勢の斎宮に内の御使にてまゐれりければ かの宮に すきごといひける女 わたくしごとにて

 

ちはやぶる 神のいがきも こえぬべし
大宮人の見まくほしさに

 

 

恋しくは 来ても見よかし ちはやぶる
神のいさむる道ならなくに

『伊勢物語』71段「神のいがき」

 

この和歌は、『万葉集』に収められた和歌を引用して、『伊勢物語』用に作り替えたものと言われているそうです。

 

ちはやぶる 神の斎垣も越えぬべし
今はわが名は惜しけくも無し

作者不詳 / 万葉集 11巻・2663

 

あなたに会いたくて神域の垣根も乗り越えてしまいそうだ。そのためならこの名も惜しくはない。

 

道長にとっては、こちらが本心だったのか、それとも元ネタがあったとは知らなかったのか。

 

ますます、「明日はどっちだ?」になって、続きが気になる…。

 

毎回、こんな引きで終わってますよね、今作の大河ドラマ…つらい(笑)

 

 

 

以下、余談…のような、補足のような。

 

 

 

道隆が開いた「漢詩の会」で、行成、斉信、道長の3人(=公任以外)が披露した漢詩は、SNS情報によると「白楽天」の漢詩なんだそうです。

 

てっきりドラマオリジナルの創作漢詩かと思っていたんですがー。

 

言われてみれば、ききょうが「斉信さまが選んだ漢詩が良かったわ」と言ってましたね。「選んだ」ってことは、漢学の知識があれば分かるところから「持ってきた」ってことですからな。

 

で、せっかくなので、その漢詩を備忘記録しておこうかなと。

今後、どこかで出てくることもなさそうなので(笑)、やるなら今しかない。

 

(訳は、ドラマで各選者がナレーションしていたものです)

 

 

藤原行成 選「獨酌憶微之」白居易

獨酌花前醉憶君

與君春別又逢春

惆悵銀杯來處重

不曾盛酒勸閒人

花の前で酒をくみ君のことを思う
君とは去年の春に別れ今また春が来る
君がくれたこの銀の盃は送り主が立派なので
あえて勧める人もいない

 

 

藤原斉信 選「花下自勸酒」白居易

酒盞酌來須滿滿

花枝看即落紛紛

莫言三十是年少

百歳三分已一分

酒をなみなみとついでくれ
早くしないと花が散ってしまう
三十路はまだ若いなどと言ってくれるな
人生の三分の一は過ぎてしまうのだから

 

 

藤原道長 選「禁中九日對菊花酒憶元九」白居易

賜酒盈杯誰共持

宮花滿把獨相思

相思只傍花邊立

盡日吟君詠菊詩

下賜の酒は十分あるが君をおいて誰と飲もうか
宮中の菊花を手に満たして私はひとり君を思う
君を思いながら菊の傍らに立って
一日中君が作った菊花の詩を吟じ空しく過ごした

 

 

公任のものは、公任自身が詠んでいる「夏日同賦未飽風月思」と大江以言の(公任自身の?)「冬日陪於飛香舍聽第一皇子始讀御注孝經」から引用して組み合わせた、自作の漢詩だそうです。

 

一時過境無俗物

莫道醺々漫酔吟

聖明治蹟何相致

貞観遺風觸眼看

この時に目に触れるものは全て風流な景色ばかり
酒の酔いに任せて詩を吟じていると言ってくださるな
この名君の知らしめす太平の世を改めるまでもない
唐の太宗の治世が目に触れるところ全てに現れているのだから

 

『本朝麗藻』に載っているもの…だそうですが、寛弘7年(1010年)頃に成立したものなので、第6話時点では未来の書物ですな。

 

唐太宗は、治世が「貞観の治」と呼ばれた中国史上でも屈指の名君。

「花山天皇の治世は貞観の治のようだから、私たちは酒を呑んで詩を吟じていればよい」の意味。

 

これを「本心=体制派」と見るか「皮肉=反体制派」と取るか…それはアナタ次第。

こういう所が、詩は怖いね(^^;

 

道隆は、公任だけ自作の漢詩だと気づいた(他が白居易の引用だとも気づいた)から、「為時殿の御息女(まひろ)」に公任の漢詩だけ、感想を求めたんですね。

 

まひろの「白楽天のような歌いぶりでございました」は、公任に対してしか言えない言葉だったんですな(他は「白楽天のようなも何も、白楽天ですがな」ってなっちゃう)

 

道長が選んだ詩は、白居易が親友・元微之(げんびし)の秀歌を賛美して詠んだ詩。

 

ですが、「宮中の菊花を手に満たして」「菊の傍らに立って」「菊花の詩を吟じ空しく過ごした」の「菊」が、黄色い袿を着ている まひろ のことを暗喩しているのかもしれず…。

(第4話「五節の舞姫」でも、黄色い花を手に物思いに耽りながら歩いているシーンがありましたね)

 

となると、これは「友の才を称賛し自らの才を省みる歌」に見せかけた「まひろに会えない虚しさを、まひろだけに告げる歌」となりそう(まひろも、目がうるっとしてましたね)

 

まひろが公任の漢詩の感想を言った時、道長は「ハッ」とした顔になっていましたが、これは「白楽天」の名を出すことで道長に「伝わったよ」と符丁を送っていたとも取れそうです。

 

なるほど、あれが「白楽天の漢詩」と分かっただけで、様々に仕掛けられた謎が謎として浮かび上がり、そして謎が解けてドラマの真意が読み取れる、そんな仕組みになっていますね。すごい漢詩の会だ…。

 

これを見た ききょうが、即座に「私は元微之だと思いました☆」と返していた真意は、よく分からないのですが、元微之は性格が真っ直ぐ過ぎて、浮き沈みの激しい人生を送った人だったそう。

 

公任を「元微之のような闊達さがありました」と評したのは、「いま詠まれた漢詩は、花山帝を言祝ぐのではなく、皮肉るのが本意でございますよね?」という隠語になっている…と読めます。

 

元輔が咳払いで制したのは「出過ぎたことを申すな」よりも「それはいかん!」ってところがあったんですかね。

 

(どっちとも取れるように詠んだのに、暗に「こっちですよね?」と発破をかけられたことで、公任は ききょうを「好かん」と言ったのかな…斉信と一緒に鼻をへし折ろうとすればいいのに ← 何)

 

 

そして、斉信の漢詩に表れた「はやく出世させて欲しい」という気持ちは、本編最期に妹が「お隠れ」になったことで、目論見はご破算に…。

 

次回、いよいよ「寛和の変」へと突入していくことになりそうですな(次回予告では、円融上皇が「仁和寺」で観覧したという打毬がメインっぽく出てましたが…まだ行かないのかな?)

 

 

 

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