『光る君へ』第5話「告白」見ましたー。
「女の子の相談はね、解決策が欲しいんじゃなくて、聞いて欲しいだけなのよ」
というどこかで聞いた「女性の処し方の秘訣」をベースに、まひろと道長、両方に呪いをかけるお話でした(何)
呪いと言うのは…「大人になってしまう呪い」かな。子供の頃のように無邪気には振る舞えない、もう後戻りできない、後ろが閉ざされてしまったような。
泣きじゃくる(ちゃんと少女の泣き方)まひろを抱きしめるでも、さするでも、慰めるでもなく、ただ傍らに立つ道長。
恋愛ムーブなし……………今までずっと2人のパートは恋愛パートだと思って見て来たけれど、これは恋愛ではない…かな。
でも、告白の内容は衝撃的でした。
今まで「道兼が憎い」の一本主張だと思っていたのに、まひろがため込んでいたのは「自分が悪い」だった…。
「あの時、三郎に会いたいと思った」から、道兼の前を横切ってしまい、道兼が落馬して、母は死んだ。
「母が死んだのは自分のせい」
ということは、冒頭で為時が言った「道兼がやったことは忘れてくれ」も、的外れだったわけですなー。
(だからこそ「信用できる家族以外の人に聞いて欲しかった」も筋が通りそうですね)
あんなに偽りを多く語っていた まひろを「信じる」というのは、若干疑問が残るような気もしますが…。
最後には、仲違いしていたハズの父の胸に飛び込んで泣いて、まひろはこれでスッキリですね。
で、この煽りを食ってしまったのは、道長。
道兼の6年前の所業を知った道長は、馬ダッシュで東三条第に取って返すと、兄と拳を使った話し合いに及びます。
そこで告げられた、「あれはお前のせい」という事情。
自分のせいで まひろの母親は殺されてしまった…その事情を呑み込みました。
まひろと道長の主人公サイドは「自分のせい」を受け入れ。
相手方の道兼は「お前のせい」と突っぱねる。
兼家は自分も関与したことを悪びれもせず自分の言いたいことだけ言って高笑い。
なんだかお話にとって都合のいい方向ばっかりに進んで、唖然としてしまったのですが、テンポを考えると仕方がないかと、善しとしますかね…これ以上クドくやる意味もないので(笑)
というわけで、歴代トレンディドラマをことごとくスルーしてきた情緒のないワタクシには、本筋がいまひとつ刺さらなかった今回ですが、しかしこの先どうなっていくのかは楽しみになってきましたw
以下、その他にも楽しかった部分がいくつか散見されたので、そこにも触れて行きたいと思います。
◆顔の四角いお方
まずは、「侍従宰相」どの。
ザブングル加藤さんが大河に初登場!しかも3秒(^^;
ドラマのオリキャラだったそうで…。
「光る君へ」ザブングル加藤 サプライズ大河初出演!喜びも…登場わずか3秒&撮影1分 ネット驚き&爆笑(外部リンク) ⇒ ★
「侍従宰相」で「大層裕福な方」って誰だ…?
肇子さんに「お通い」があったってことは、これ懐平?(そう予想していたので)
と調べそうになったよ…架空のキャラだと見抜けなくて、残念です!!
そして、数々の問題発言や問題行動で迷惑をかけた まひろが不在なのを「寂しいわ…」と倫子さまに言ってもらえて、愛されキャラですねー。
◆実資爆発
寵臣2人を重用して、あれこれ改革をやろうとする花山天皇。
義懐も惟成も諌めるどころかイエスマンに徹していて、実資が怒り狂っていました。
「夢を語るだけであれば誰にでもできる!」
「実が伴わねば世が乱れるは必定!」
実資は改革の抵抗勢力か?
万事「前例が大事」なので、そう取れてしまえなくもないですが…。
「政は子供のおもちゃではない!」
では大人のおもちゃですね…ってそれは忯子さまだったわ(*おおっと*)
「めでられ過ぎて倒れる」って、とてもいい表現ですね(何)
ところで、永観2年には、義懐は何回かの昇進を果たしています。
8月27日:蔵人頭
9月4日:禁色
9月24日:右近衛中将
10月14日:従三位
10月17日:正三位
今回の冒頭で、まひろの弟・惟規(太郎)が、祈祷師と寄坐(よりまし)から「朝晩、水垢離をせよ」と言われたのを、「死んじゃうよ冬だよ!?」と返していました。
惟規が言っていた通り、第5話開始時で冬になっていたとすれば、おそらく「正三位・右近衛中将」になった後。
前回、実資に「一緒に蔵人頭を務める」と言ってましたが、その舌の根も乾かぬうちに飛び越えて行ったわけで…。
実資の苛立ちには、そういう面もあったんでしょうかねー。
◆詮子さまの裏の手
前回、ブチギレして兼家と袂を分かった詮子を、道隆兄が訪問。
道隆が「春宮権大夫」として懐仁親王に仕えていたから…という背景があるのでしょうか(後に詮子の皇太后宮大夫となりますが、これは一条天皇即位後の話)
ともあれ、兄として「父と仲直りしてくだされ」と懇願するのですが、詮子は拒否。
「父上には屈しませぬ。私には、裏の手がありますゆえ」
「兄上には申しませぬ。裏の手ですから」
と、やる気マンマン。
この「裏の手」が、「道長と倫子をくっつけて父兄たちに対抗する勢力を作ること」だと、SNSでは予想が膨らんでおりました(笑)
これを否定しない上で、詮子が「裏の手」に使えるほど「左大臣家」と繋がっていた…?ってなりました。
もし、これまでに詮子と倫子が交流するシーンがあったならアリではあるんですけど、ずっと詮子は道長の、倫子は まひろのターンで登場していたので、接触はありません。
一応、雅信は懐仁親王の「東宮傅(皇太子の道徳担当の教育係)」を兼任していたので、懐仁親王を通じて詮子と雅信は独自のパイプを持っていた…とは解釈できます。
でも、詮子が「我が弟を婿にしてくださらんか」と頼むのは、きっと無理筋。
『栄花物語』によると、雅信は道長と倫子の結婚には消極的(むしろ「反対」)だったそうなので、詮子から頼まれたら、そんな態度にはなりませんよね(『栄花物語』を採用するなら)。
夫がイヤイヤしていたのを、妻の穆子(@石野真子さん)が強引に押し切って、2人は結婚したことになっています。でも、詮子と穆子には独自ルートがありません。
ということは、「裏の手」が「道長と倫子の結婚」にするには、背景から物語を作り換えないと叶えられないことになりそう。
まぁ、今までのお話の作り方を見ると、この脚本家ならやりかねないとも思いますが(笑)、「裏の手」は、今後起きる他の出来事の何かしらの伏線ではないか…として、期待したいところですかねw(例えば、道兼に盛る毒を用意できたとか…)
◆3トップ結託
土御門第(左大臣家)で関白・左大臣・右大臣の3トップが集まって愚痴る会が開催。
花山天皇の拙速な荘園整理令が、既得権益な上級貴族たちには目障りになってきています。
「久しぶりに意見が合いましたな」「何年ぶりかな?」「初めてではございませんか?」
「荘園整理令」という目の前の分かりやすい話で結託しますが、これは兼家の誘導というヤツ。これを看板にしておけば、「懐仁親王の早期即位」という本当の目標から目をそらすことができるのですからねw
もしも共同戦線によって「荘園整理令」を潰せたとしても、それはそれで兼家にとっても得なこと。
やって利こそあれ損はなしの一手。昔から汚れ仕事をやってのけて、ここまで昇って来た兼家の面目躍如ですかな。
そして、女子会から「右大臣家の三兄弟は麗しい」という噂を聞いていた倫子が、猫を追いかけながら兼家の目の前に顔を見せました。
何やら女の恐るべき計算を見たような気がしますが…あ、あれは偶然ですよね?
◆鬼より怖し人の欲
夜。右大臣・兼家の東三条第と思しき邸に呼び出された安倍晴明。
「花山天皇のキサキが懐妊した。その子を呪詛して殺せ」との依頼に「できませぬ。わが命を削らねばなりませぬ」
と断りながらも…「人の気配…何事でございますか…?」と訝しむ晴明が次に見たものは…
暗がりの中に浮かびあがる鬼面フラッシュ!(きめん違い)
「人の欲は鬼より恐ろしい…」帰っていく晴明の背中からは、そんな声が聞こえそうでした(笑)
これで寿命を削って84歳の若さで亡くなってしまう晴明も可哀想ダナー。
◆道長が繰り返す道・戻らない道
兄なのに「くん」付けで呼びたくなっちゃう。それが道綱。
くるくる舞う芸事で、父の兼家をゴキゲンにしておりました。
「お前は他の兄弟のように遇することはできん。分を弁えよ。そうすれば幸せになれる」とピシャリと釘を刺しても、ニコニコと舞うばかり。
兼家もニコニコ。ニコニコ親子です。
花山天皇と道綱、アホのふりしてる本当は聡い人はどっち?とか、クイズになりそうw
道綱くん、実資が「愚なり愚なり」と『小右記』に書いてくれたのも影響しているのか、本当にアホというか、ナメられて見られる向きもあるんですが、実は結構、道長の覇権に貢献しているのでは…という説もあったりします…が、それは、また別の機会に…。
「分を弁えよ」は後年、倫子の所生は嫡流かつ后かねに、明子の所生は庶流に…と待遇を明確に分けた道長が、自分の子息たちに告げる言葉として出てくるのかなぁ…と思いました。
その時、道綱が身近で聞いていて、この時を思い出すのか?明子所生の誰か(頼宗とか?)に、ニコニコと眺めながら言ってしまうのか?「あの時の父の台詞を繰り返した…!」とテンション上がる日を待っておりますw
そして、兼家と2人きりで食事をしているシーンで、道長が言った「帝なぞ誰でも良いと思います。支える者が重要なのです」みたいな台詞。
これは三条天皇に譲位を迫るシーンで、同じ言葉か、もしくは逆の言葉で、道長の口から出るのではなかろうか。
どのみち、今の心持には戻れない道を行った先のお話になりますがね…。
◆六条
「風車の弥七」(笑)が、謎に骨折りしてセッティングしてくれた、まひろと道長の密会場所が「六条の何処か」でした。
SNSによると視聴者の多くは「『源氏物語』のあの場所」がピンと来ていたみたい。しかし、度々言っているように『源氏物語』を読んだことがないワタクシは、その情報はチンプンカンプン(笑)
ワタクシがピンと来たのは「六条河原院」でした。
「六条河原院」というのは、嵯峨源氏・源融(みなもと の とおる)が遊興に耽っていた邸宅。
源融は「陸奥守」に任ぜられたことがあり、陸奥にある「塩竈」を模した邸宅を、六条河原の近くに造って別荘としておりました。ここから、源融は『百人一首』では「河原左大臣」という詠み人名がつけられています(ちなみに、正式名称はおそらく「東六條第」)
源融の没後、息子の源昇(のぼる)が「河原院」を宇多法皇に寄進。宇多法皇は出家して「仁和寺」に住んでいたのですが、そこでは世俗的な行事は行えないので、別邸に御幸して催行する必要がありました。「河原院」も、そういう場所の1つだったのでしょうね。
やがて昇の弟・仁康法師が受け継いで寺院に改築。しかし、度重なる鴨川の氾濫や火災に遭ううちに荒れ果ててしまい、紀貫之が訪れて哀傷歌を詠んだりしています(「君まさで 煙絶えにし塩竈の 浦さびしくも見えわたるかな」)
道長の頃には昇の孫・安法法師が住んでいて、安法法師自身が優れた歌人であったことから「河原院」には多くの歌人が訪れる、一種のサロンのようになっていたみたい(修繕したんですかね?)
彼と親交があった恵慶法師(えぎょう)がここを訪ねて来た時、詠んだ和歌が『百人一首』47番歌に採られています。
八重むぐら 茂れるやどの寂しきに
人こそ見えね秋は来にけり
恵慶法師/拾遺集 秋 140
蔓草が重なり合って生い茂った寂しい邸に、人の姿こそ見えないけれど、秋だけはやって来たのですね…みたいな意味。
サロンの場を言祝いだ歌…って雰囲気はないですな…。これは「昔は廃墟って言われてたよね」と憧憬を込めた幻想を詠んでいるのか、それとも安法をイジっているのか、はてさて…。
それにしても、道長が最初は「為時の邸を訪れようとした」のは、なんだか意味深ですよね。
本来の目的は「まひろに会うため」でも、そこで為時に会ってしまう可能性は限りなく高くて、その時一体、何を言うつもりだったのか?
「お嬢さんをください。私はまひろを大切にします」
これだったのかな?
まひろと道長とでは、家の格が釣り合わないから、恋愛しても「禁断の恋になる」とSNSでは盛んに言われているのですが、果たしてそうなのだろうか。
道長の父・兼家は、次兄の兼通と仲が悪くて、自分を引き立ててくれた長兄・伊尹が亡くなって兼通が覇権を確立すると、冷遇されてしまいました。
期間にして、972~977年の5年間。
この間、長男の道隆は19~24歳。次男の道兼は11~16歳。貴族として出世する大事な時期を、冷や飯食いに甘んじざるを得ませんでした。
おかげで、道隆は高階貴子、道兼は藤原遠量の娘というように、受領階級の娘を正妻にすることになってしまいます。
頼忠や義孝、兼通の子息の顕光や朝光らが、女王や内親王を妻にできたのとは、えらい違い。
そう考えると、藤原為時の娘を正妻にする道も、道長にとっては別に不相応でもなさそうな感じはあるなぁ…とも思えたりします。
しかし、道長の結婚適齢期には、兼家は兼通の呪縛から解き放たれ右大臣にまで昇っておりました。やっぱり、受領階級では、ちと釣り合わない感はありそうなのかなぁ。
左大臣の娘とか、元左大臣の娘とか、それくらいの高貴さは必要と言える…のかもしれません。
「いや、妾としてでも構わん。まひろだったら、私は妾でも正妻のように大切にする」
道長は、そう言いたかっただろうか。
この真相は、もう閉ざされたのか、それとも今後何かしらの拍子に出て来るのか…。
その辺も注目なのかもしれないですなー。
【関連】
大河ドラマ『光る君へ』放送回まとめ
https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12837757226.html