『光る君へ』第1話「約束の月」見ました。

 

 

平安時代の妖しいところ。

平安時代の野蛮なところ。

平安時代の雅やかなところ。

 

これがグっと出ておりましたねー。

 

 

「紫微垣(しびえん)の天蓬(てんほう)の星がいつになく強い光を放っている」

 

という安倍晴明の妖しい台詞でスタート。不吉な雰囲気満載で物語が幕を開けます。

 

台詞を分解すると「天帝がいる領域(紫微垣)の北斗七星の第一星(天蓬の星)が、いつになく輝いてる」というかんじ?

 

そのまま素直に受け取ると「天皇の未来が明るい」みたいで、別に不吉な感じは全くなく…。

 

次に続く陰陽師が「都に凶事が起きるのですか?」と聞いているから、そうミスリードされてしまったんでしょうか。

 

「雨が降るな…」と言った次のシーンで暗雲立ち込め雨が降ってきて、本当に有能な陰陽師だったんだろうな…と刷り込まれますなー。

 

 

あとは、為時が読んでいた『史記』が、始皇帝時代の権力者・趙高(ちょうこう)が「鹿」を「馬」と呼び、これに従う人が後を絶たなかったというお話。いわゆる「馬鹿」の語源となった故事。

 

まひろが、これを踏まえて三郎に「馬鹿」とつぶやいたのは、まひろが「聞いただけで漢文を覚えてしまうほど漢才に長けている」ことを表しているわけですねー。

 

そしてもうひとつ。権力者におもねることなく「鹿は鹿です」と言ってしまうがために、定職にありつけない為時のことも表していたのですかね(たぶん)

 

(そんな為時も、1話の終わりでは権力者におもねって「鹿を馬と言う」を選べるようになってしまう…これを成長と見るか堕落と見るか…まぁ、苦渋の選択に変わりはないですが)

 

そんな為時も、親戚の宣孝から「大納言様に会いに行け!」と発破をかけられて、その甲斐あってようやく仕事にありつきます。

 

それが、師貞親王(円融帝の皇太子。後の花山天皇)の漢学の先生という役目。

 

師貞親王は「誰も引き受けたがる者がいない」と言われた通り、生徒としては超絶的に不適格な…中々の奇矯な人物像でした。

 

「ここまでやらなくても…」と思った視聴者の皆さん。安心してください、史実でももっと奇矯な人です(ぇ

 

(そもそも、父帝・冷泉天皇からして「奇矯」と言われているので、遺伝病か何かでしょうかね…)

 

 

そして、劇中では貞元3年(978年)に時計の針が進み。

 

はい、兼通(兼家の同母兄で道長の伯父。977年没)は登場せずー。

 

兼通と兼家の犬猿の仲パート、見たかったなぁ。

 

これをやると、後に道隆が朝光を、道長が顕光を重用した事実の政治的理由を、すんなりと描けたと思うんですがねー。

 

 

三郎パートでは、長兄の道隆、次兄の道兼、姉の詮子、そして後の道長たる三郎が、兼家・時姫夫妻の前で揃い踏み。

 

生まれたばかりの姫君・定子と、道長と遊ぶ伊周の中関白家の大昔の姿も見えました。

 

いやー、いいですねー。

こういう総覧って感じの絵面ほんとうに好き。

 

道隆は案外と温和で優柔不断なところがあったようで、道兼はしばしば上下の序列を無視した言葉をかけていた…と言われ、その片鱗のようなところが端々から伺えましたなー。

 

そして、天皇へ入内することになった詮子と「こうして会えるのはあとわずかな期間」と、嫁入り前独特の祝賀感と寂しさが漂います。

 

「帝はどんな御方なのかしら」と詮子が三郎に尋ね、「私が知るわけがない」と苦笑されていました。

 

詮子は入内から2年後、天元3年(980年)に円融天皇の第一皇子・懐仁親王(後の一条天皇)を産んでいるので、円融天皇に良くされた…と思われがちなのですが、実際には仲はそれほど宜しくなかったみたい。

 

試しにwikipediaで藤原詮子を見てみると「第64代天皇・円融天皇の女御」と紹介されています…「中宮」でも「皇后」でもないんです。

 

中宮に選ばれたのは、藤原頼忠の娘・遵子(公任の姉)。

円融帝は、一粒種を産んだ詮子を差し置いて、皇子も産んでいない違う女を選んだのです。

 

兄の冷泉天皇が諸事情により退位することになった時、急遽として皇位を得た円融天皇は、「冷泉天皇の子が成長するまでの中継ぎの天皇」と貴族たちは思っていたようで、だからこそ、皇太子には冷泉帝の皇子・師貞親王が立てられておりました。

 

自分が中継ぎなんて百も承知ながら「どうせ一代限りでしょ」と蔑ろにされるのは、円融天皇も「それは違うんじゃないか」と思っていたようで、冷泉天皇に娘・超子を入れて、生まれた居貞親王(後の三条天皇)に期待を傾けていた兼家は、円融天皇からは不愉快のカタマリだったのかもしれません。

 

だから詮子ではなく、もっと前から女御となっていた遵子を中宮に選んだ…という説が成り立つわけですな。

 

(実際には、円融天皇のもとへ詮子を入内させるのを、犬猿の仲だった兄・兼通に妨害されていた…という事情も成り立つんですけど)

 

中宮に選ばれなかったこともあって、円融帝と兼家、そして詮子の関係は、だいぶ冷え込んでしまいまうのでした…が、そのあたりのことは、次回に描かれるかと思うので、大河でオタノシミニw

 

ともあれ、詮子の「帝はどんな人かな」は、この不遇と冷え込みへの伏線なんですかねー。

 

 

ネット記事にもなった衝撃のラストについては………ねぇ?(笑)

 


藤原道兼@玉置玲央さん
2024年大河ドラマ『光る君へ』より

 

ドラマ冒頭の陰陽師が言っていた「都の凶事」って、このことじゃないですよね??

 

「身分の低い者を張り倒して私の心が安らぐなら~」という台詞も、あの御礼参りの格好は、身分低いようになんて見えませんよね…(道兼からしたら、ほとんどが「低い」のかもですが)

 

以前にも紹介しましたが、道兼の息子・兼隆は、紫式部の娘(大弐三位)の最初の夫となっています。

そこへ繋がっていく、長い長いお話の始まり…って理解でいいんでしょうかね??

 

脚本家の人は「史実は史実、ドラマはドラマとして受け止めてね☆」みたいなこと言ってるそうですけど、あの展開がこの先のどんな布石になっているやら、見当もつきませんw

 

脚本家の人が以前担当した大河『功名が辻』でも、主人公・ちよの母が、ちよをかばって亡くなるシーンがありました。

 

意外とワンパターン?なんて思ったり…。

 

まぁ、しかし、道隆や道長に比べてマイナー度が強めな道兼が、こうしてクローズアップされると言うのも、歓迎すべきことなのかな。

 

脚本家さんの計算は、ここに働いているのかなぁ。それにしてはヘイト集め過ぎやしないかと思っちゃうんですがー。

 

 

そして、まひろ役の落井実結子さん、三郎役の木村皐誠さん、師貞親王役の伊藤駿太さんらの子役たちとともに、まひろの母役・国仲涼子さんが今回でクランクアップ。

 

…と思いきや、第2話はさらに6年後の永観2年(984年)からスタート…ということで、天元3年(980年)に亡くなっている時姫役の三石琴乃さんもクランクアップ。

 

え、うそ…。もっと平安衣裳をまとう三石さん見たかったな……

 

 

 

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