紫式部が主人公の2024年大河ドラマ『光る君へ』

 

第二弾の出演キャスト発表がされました。

 

ワタクシ推しの清少納言役は、ファーストサマーウイカさん!

 

ファーストサマーウイカ、初大河で清少納言役 “紫式部”吉高由里子とライバル関係「非常にワクワク」(外部リンク)
https://www.oricon.co.jp/news/2268653/full/

 


(画像は公式twitter様より→

 

紫式部の「ライバル」と言われつつ、宮仕えしている時期が10年ほど違っていて「面識はないのでは」と言われている清少納言

 

それがゆえに、どう扱われるか不明瞭だった紫式部大河における清少納言。

 

どうやら、ライバル格として盛大に使っては頂けるようです。

 

準レギュラーになって欲しかったけど、ナレ登場や噂話としてではなく、脇役としてブイブイいわしてくれるなら御の字ですかねー。

(いや、準レギュラーかもしれないけど…その期待はまだ捨ててない!)

 

ファーストサマーウイカさんは、バラエティ番組で何回か拝見した程度しか知らないのですが、華やかさのある女性だなと思っております。

 

大河ドラマに出たくて耳にピアスを開けるのを自粛していたとか…。

 

そんな人に大河出演が決まるなんて、嬉しいですね♪

 

 

ところで、ウイカさんは明るくて発言がハッキリしていてサバサバした、陽キャ的タレント

 

「だから清少納言にピッタリ」というような意見をSNSでいくつか見かけました。

 

確かに『枕草子』を読んでみると、清少納言は明るくて機転が利いて、寄って来る男たちをボコっているシーンがチラホラ。

 

明朗快活で、サッパリしていて、勝ち気で、男にモテる才女。

 

でも、実像は本当にそうだったのだろうか?

 

まぁ、その通りの人物だったんでしょうけど(笑)、あえて話を押し進めて…。

「本当はそうでもなかったのでは…?」なんて思うフシも、あったりするのです。

 

 

そう思う根拠は、彼女が初めて宮仕えをした日の出来事にあります。

 

これは『枕草子』「宮にはじめてまゐりたるころ」として描かれているので、せっかくなので、ちと長いですが全文引用してみます。

 

宮にはじめてまゐりたるころ もののはづかしきことの数知らず 涙も落ちぬべければ 夜々参りて 三尺の御几帳のうしろに候ふに 絵など取り出でて見せさせ給ふを 手にてもえさし出づまじう わりなし

これは とあり かかり それが かれが などのたまはす

高坏に参らせたる大殿油なれば 髪の筋なども なかなか昼よりも顕証に見えて まばゆけれど 念じて見などす いと冷たきころなれば さし出でさせ給へる御手の はつかに見ゆるが いみじうにほひたる薄紅梅なるは 限りなくめでたしと 見知らぬ里人心地には かかる人こそは世におはしましけれと おどろかるるまでぞ まもり参らする

暁には とく下りなむといそがるる 葛城の神もしばし など仰せらるるを いかでかは筋かひ御覧ぜられむとて なほ臥したれば 御格子も参らず

女官ども参りて これ 放たせ給へ など言ふを聞きて 女房の放つを まな と仰せらるれば 笑ひて帰りぬ ものなど問はせ給ひ のたまはするに 久しうなりぬれば 下りまほしうなりにたらむ さらば はや 夜さりは とく と仰せらる

ゐざり帰るに や遅きと 上げちらしたるに 雪降りにけり 登華殿の御前は 立蔀近くてせばし 雪いとをかし

 

当時、清少納言28歳くらい。最初の旦那と離縁して、独り身でした。

 

一条天皇の中宮・藤原定子に仕えることになってしまった彼女は、右も左も分からず、不安で不安で涙が出そうに。

 

姿を見られるのが恥ずかしいので夜に出仕して、さらに三尺の御几帳の後ろに隠れて「帰りたい…」と弱気になっています。

 

すると、そんな清少納言の様子を察した定子(ちなみに清少納言の10歳年下)は絵を見せてきて、色々と教えてくれるのですが、灯りで自分の髪がよく見えてしまうのが恥ずかしくて、早く去りたい気持ちでいっぱいに。

 

でも、定子の袖から出ている薄紅梅色の手が綺麗で、思わず見つめてしまっています。

 

夜明け前には一刻も早く帰ろうとするのですが、定子に「葛城の神(ヒトコトヌシ。自分の醜い姿を恥じて夜明けが嫌いと言われる)も、もうちょっと居てよね」と制される有様。

 

斜めからでも顔を見られるのが恥ずかしいから、格子も開けずにずっと伏せていると、他の女房たちが格子を開けようとするのですが、定子が「開けたらダメよ」というので、笑いながら帰っていきます。

 

そこから、定子があれこれ聞いたり話をしたりするうちに時間が経って、ようやく帰ることになって格子を開けたとき、真っ白い雪景色が広がって、世界はこんなにも綺麗なのかと、はっとした…というようなお話。

 

顔を見られるのが恥ずかしくて、髪の毛のだらしなさが恥ずかしくて、何をどうしたらいいか分からなくて、ガチガチになっている清少納言

 

自信満々で来る男寄る男を教養棒で返り討ちにして自惚れも入っている、一般的によく見られる清少納言の姿とは大違い

 

ですが、案外これが実像に近いんじゃないかなぁ…と、ワタクシは妄想しています。

 

清少納言には橘則光(たちばな のりみつ)という夫がいました。

 

この則光、優秀な武官である一方で、和歌や漢文などの教養はカラッキシという、結構な脳筋(脳みそ筋肉)男

 

清少納言が出仕した頃にはすでに離縁していて、その原因は性格の不一致と言われています。

 

不一致の解釈には「和歌が得意/苦手」という価値観の違いがあげられるのですが、体育会系のノリを発揮する男についていけない陰キャじみた清少納言の姿も垣間見えるのではないかと、そんな気もするんですよねー。

 

(他にも「政治的な理由」で一緒にいられなくなった…という説もあるのですが、本題から外れるので、いずれ機会があったらまた…ということで)

 

 

では、あの明るくて自己肯定感の強い清少納言の人物像は、どこから来ているのか?

 

 

ワタクシは、彼女が仕えていた定子の実家・中関白家から来ていると思う。

 

『枕草子』には、機知に富んで明るい雰囲気満載の中関白家の様子が、よく描かれています。

 

例えば、先の「宮にはじめてまゐりたるころ」の続きに、定子の兄・伊周(これちか)が登場します。

 

大雪を押して見舞いに訪れた伊周に、定子は「雪が積もって道もなかったでしょうに、こんな大変な日にどうして参ったのですか?」というと、伊周は笑いながらこう答えます。

 

あはれともや御覧ずるとて(貴女が私を「あわれ」と見てくれるかと思いまして)」

 

この会話、実は『拾遺和歌集』に収録されている、平兼盛の和歌が下敷きになっています。

 

山さとは 雪ふりつみて道もなし
けふこむ人を あはれとは見む


平兼盛/拾遺集 冬 251

 

[山里の侘び住居は雪が降り積もって道もない。そんな今日に来てくれる人がいたら「あはれ(ありがたい・情け深い・感心な)」と見よう]

 

「雪ふりつみて道もなし」と振った定子に、名歌を踏まえて「けふこむ人を あはれとは見む」と、当意即妙に返したわけです。

 

それを間近で聞いていた清少納言は、和歌も得意。その会話の妙味をバッチリ見抜くと同時に、心地良さが胸の中にビンビンと響き渡ります

 

そのこみ上げてくる熱い気持ちを、こんな言葉で表しています。

 

物語にいみじう口に任せて言ひたるに違はざめりとおぼゆ(物語の中で交わされる喋りの上手な会話と少しも違わない)」

絵にかきたるをこそ かかる事は見しに うつつにはまだ知らぬを夢の心地ぞする(絵では見たことあるけど、現実で見たことなんてない…夢のような心地がする)」

これより何ごとかはまさらむ(これ以上のものがこの世に存在するのだろうか)」

 

絵や物語の中でしか存在しないことだと思っていた…こんな感動、あるでしょうか。

 

 

他にも、定子や伊周、隆家たちは、茶目っ気がたっぷり。

 

一条天皇が「無名(むみょう)」と呼ばれる琵琶を携えて定子のもとにやって来た時、女房たちに「その琴は何というのですか?」と尋ねられると、「大したものじゃないから名は無いのよ」と、『無名』の名をひっかけて返したり。

 

定子の妹・原子(もとこ。『枕草子』での呼称は「淑景舎(しげいしゃ)」)が笛「いなかへじ」を持って来た時、弟の隆円(りゅうえん。僧侶。『枕草子』での呼称は「僧都の君」)が「それ私の琴と交換しましょう♪」と言うのを無視され、何度も何度もスルーされ続けるのを見て、「原子は『いなかへじ(否、替えじ)』と思っているのよ」と窘めたり。

 

結構、ダジャレを言うのが(言った後の相手の反応を見るのが?)好きな定子(以上『枕草子』「無名といふ琵琶の御琴を上の持てわたらせたまへるに」

 

「いい扇の骨が手に入ったので、いい紙を探しています」と言う隆家(定子や伊周の弟)がやって来て、「どんな骨?」と尋ねる定子に「誰も見たこともないような骨です」と焦らしているのを、清少納言が「誰も見たことないならクラゲの骨ですかね?」と言ったら、上手い!それは、この隆家が言ったことにしてくださいw(これは隆家が言にしてむ)」と冗談で発言を拝借しようとしたり(同「御扇奉らせたまふに」

 

清少納言の好感度フィルターもあるんでしょうけど、中関白家は明るくてジョークの好きな、ウィットに富む雰囲気が感じられます(「HAHAHAHA」っていう笑い声が聞こえそうな雰囲気と言うかw)

 

そんな中関白家がスポンサーのサロンに出仕し続けていたことで、清少納言は感化されたのではなかろうか

 

「ここよ…ここが私の居場所よ!」という自信を見つけて、才能が開花して、羽ばたいた。それがあの清少納言の姿ではなかろうかとワタクシは思うのですが、どうでしょうかねー。

 

 

あと現代らしい理由として思うに、清少納言が陽キャじみている感じがするのは、紫式部が陰キャだと思われて、それの対比として捉えられて増幅しているような気もします。

 

ライバルとか、政敵とか、仲が悪いとか、今のメディアって、やたらと2人を並べて言い過ぎていません?

その弊害は、少なくないんでしょうね…。

 

今日取りあげた清少納言の深掘りは、やややり過ぎ感はあるにしても(笑)、ギャル感・陽キャ感強めな清少納言は、あんまり所望じゃないんだよな…と思ったので、ちらっとMY人物考を語ってみました。

 

本当はそんなに関係ない2人よ?と思いつつ、でもそうすると来年の大河に出れなくなっちゃうから(笑)、それはそれこれはこれとして、来年を首を長くして待つとしましょうかねー。

 

 

とまぁ、清少納言の初出仕という特別な状況から、彼女の人柄を深掘りしてみましたが、『枕草子』では、清少納言のこんな言葉も垣間見ることができます。

 

世の中になほいと心うきものは人ににくまれむことこそあるべけれ たれてふ物狂ひか われ人にさ思はれむとは思はむ されど 自然に宮仕へ所にも親はらからの中にても思はるる思はれぬがあるぞ いとわびしきや

よき人の御ことはさらなり 下衆などのほどにも 親などのかなしうする子は 目たて耳たてられて いたはしうこそおぼゆれ 見るかひあるはことはり いかが思はざらむとおぼゆ ことなることなきは またこれをかなしと思ふらむは 親なればぞかしと あはれなり

親にも君にも すべてうち語らふ人にも 人に思はれむばかりめでたきことはあらじ

 

世の中で最も憂うのは「人に憎まれる」こと。どんなに頭のおかしい人でも、人に憎まれたいなんて人はいないでしょう。けれども、宮仕えの所でも親兄弟でも、自然と好かれたり好かれなかったりする。実に辛いことです。

高貴な方なら尚更のこと、下々の者でももちろん。親などが可愛がっている子供は、注意を引きつけてチヤホヤされるものです。容姿の可愛い子はもちろん、取り得のない子も、それはそれで可愛いと思うのも、親なら当然のことです。

親でも主君でも、ちょっとした話し相手でも、愛されるほど素晴らしいことはありません。

 

 

人に憎まれることほど憂うことはなく、人に愛されることほど素晴らしいことはない。

 

才気あふれるあまり勝ち気に振る舞う人の言葉じゃないですよね…。

 

中関白家に感化されて、あの自己肯定感前回な清少納言の人格が出来た…という今回の考察も、なんか「話の合う人を見つけて、怒涛の自己表現をするオタク」と姿が重なるような気もします(自己紹介ですw)

 

やっぱり、清少納言はどこか「繊細さ」と「人の目を気にする性格」、そしてオタクっぽさを感じさせるんだよなぁ。

 

 

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