先日、出かけた先で「風見鶏」を見ました。
屋根の上についているニワトリの形をした、アレです。
その日は風の強い日で、キーキー言いながら慌しくあっちむいたりこっち向いたりしてました。
「風見鶏みたいなヤツ」って、自分の意見のない日和見な人を軽蔑の気持ちを込めて評する時に使いますけど、風見鶏は風見鶏で大変なんだな・・・・なんて、何故か同情してしまいました(^^;
まぁ、実際には「風見鶏」って風の吹いてくる風上を向いているので、「日和見」「八方美人」というよりも「勢いに立ち向かう雄々しい姿」なんですけどねー。
さて、今日は久しぶりに前回の続き。
「MYお気に入りの仏像ベスト10」の後半をやります。
選考の縛りを再掲しておくと、
- 自分が直に見たことがあるもの(写真やテレビで見ただけのものは除外)
- 単体のものだけ(三尊像や立体曼荼羅は除外)
- 奈良県の仏像限定
- 東大寺の大仏サマと興福寺の阿修羅像は殿堂入り
となっています。
それでは、「いざ、参る!」
【MYお気に入りの仏像ベスト10】
奈良の平城京跡の近くにある、法華寺に収められた仏像。
秘仏で、公開期間は限定されています(10月~11月だったかな??)
像高は1メートルほどで小さいはずなのですが、でも不思議と「小さい」というかんじはしませんでした。
背後からいっぱい出ているのは、蓮の花と丸まった葉です(光背の代わりなのかな?)
奈良の大仏サンを作ったのは、聖武天皇。
その聖武天皇の奥サンである、光明皇后が建てたのが、法華寺。
元は、藤原不比等の邸宅だったんだそうな(※光明皇后は不比等の娘)
それゆえか、この十一面観音像は、光明皇后をモデルにしていると言われています。
(といっても平安時代の作なので、奈良時代の光明皇后を直接モデルにできません。
そのあたりの話は、後日機会があったら取りあげてみたいと思いますw)
見てみると、あくまで私見ですが「仏さまの顔」というよりは「御近所の綺麗なオバサマの顔」と言う感じ。
やさしいんだけど、どこかキツそうな。
「あら、おはよう。ところでアンタ結婚しないの?」と言ってきそうな、よくいえば人なつこい、普通にいえばおせっかいそうなお顔をしてらっしゃいます。
仰ぎ見るようにすると、とても柔らかな顔なんですけどね。
全体として、とても高貴な雰囲気があります。
なお、この像は「観音さまが一歩踏み出したら、そのつま先に蓮の花が咲いた」を表現しています。
なので、見に行かれた際には、美しいお顔だけでなく、足元にも注目ですw
薬師寺の古いほうの塔(東塔)の向こうにある、東院堂の御本尊です。
薬師寺に来ると、金堂の薬師如来三尊像を見て満足する人が多いみたい。
「東院堂の本尊を拝まずに帰ったらモッタイナですよ!」と声を出川哲郎にして訴えたいほど、美しいお姿をしておられます。
何が美しいかって、やっぱりプロポーションかな・・・・。
生物としての人間のオスは、腰のくびれに「妊娠のしやすさ」が判断されて、魅力として感じるそうなのですが、そういうことなのかな。
この仏像のくびれもいいです。
女性じゃないんだけどね・・・・(遠い目)
ところで、仏像の決めポーズに「施無畏印(せむいいん)」「与願印(よがんいん)」というのがあります。
施無畏印は、右手を上げた姿。
与願印は、左手を下げた姿。
奈良の大仏サマがやっているポーズです。
(奈良:東大寺/盧舎那仏像)
それから阿弥陀如来が浄土から迎えに来る姿としての「来迎印(らいごういん)」があります。
(奈良:浄瑠璃寺/阿弥陀如来像)
どちらにせよ、「右手を上げて左手を下げるポーズ」となります。
ところが、この聖観音は左手を上げて右手を下げています。
つまり、左右の手の上げ下げが逆になっているのです。
これは、どうしたことなのか?
「左手の手のひらをこちらに見せる」というポーズは、向かって左側に立つ脇侍がされているポーズです。
例えば、薬師寺の薬師如来三尊像の、向かって左側に立つ月光菩薩とかね。
(奈良:薬師寺/薬師如来像)
なので、この聖観音菩薩は、「かつては誰かの脇侍(向かって左側)を務めていたのではないか」という予測がつけられるのですねー。
銅製のうえに2メートル以上ある、かなり立派な仏像なんですけど・・・・これで誰かの脇侍だったって、かなりスゴイですなw
(※仏師が知らなかった、まだ手の上げ下げが確定していなかった、などの説もあるようです)
法隆寺のお隣・中宮寺に鎮座おわしますご本尊です。
ワタクシ的に、お気に入りの仏像ナンバー1!!
片足を片膝の上に乗せ、頬に指先を添えて深い思惟をめぐらす、半跏思惟の姿。
係りの人が言ってましたが、このポーズは人間には無理だそうです。
膝に肘を当てて、背筋を伸ばして・・・・指が頬に届くわけがないと。言われてみれば、確かに(笑)
黒光りしたその像は、微笑んだ口元、穏やかな目、なんとも言えない静かで優しい顔立ち。
中宮寺が尼寺なせいか、女性的な印象があり、ふと触ってみたくなるような感じでした。
個人的な意見ですが、中国・朝鮮の影響がまだ色濃い、あるいは後に厳かさが洗練されていった、そうした「近寄りがたい仏像」よりも、この像のような「ふと触ってみたくなる仏像」の方が、日本人の気質や好みや肌に合っているような気がします。
両脇侍は、阿弥陀如来坐像と阿しゅく如来坐像・・・・だったかな。
菩薩の脇侍を如来が務めているという、序列が逆の配置が、こちらでは拝めますw
ちなみに、パンフレットには「モナリザ、エジプトのスフィンクスと並ぶ、世界三大微笑みの1つ」と紹介されています。モナリザは分かるけど、スフィンクス・・・・微笑んでたっけ?(笑)
ところで、こちらの仏像は、お寺の伝承では「如意輪観音像」。
ですが、「これ弥勒菩薩だよねー?」と、よく言われております。
日本の国宝第一号・京都・広隆寺の「弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)」とポーズがそっくり同じだからですかね。
京都:広隆寺/弥勒菩薩 |
中宮寺/菩薩半跏像 |
まぁ、普通は「如意輪観音」といったら、腕がいっぱいあって色々持っているお姿ですしねー。
ワタクシは広隆寺の弥勒サマは見たことないですけど、現時点では中宮寺の菩薩サマのほうが好みですねーw
興福寺に隣接する国宝館に収められています。入館料500円。
以前は、かの有名な阿修羅像もあったのですが、いまは西金堂が再建されて、そちらに移っているようです。
山田寺仏頭は、今はもうなくなっている山田寺の本尊だったものを、興福寺の僧侶が強奪してきたという曰くつきの仏像です。
古代、飛鳥板蓋宮大極殿で、悪漢・蘇我入鹿を討ったとされる「乙巳の変」。
中大兄皇子の懐刀だった中臣鎌足の寺が興福寺で、蘇我氏を裏切って加担した蘇我倉山田石川麻呂の寺が山田寺でした。
石川麻呂は、後に中大兄皇子に謀反の濡れ衣を着せられて自害してしまいます(ひでー話だ)
悲劇は繰り返すというか、藤原の栄華と惨さを象徴するというか。
強奪された仏像に歴史を重ねると、穏やかな顔も気の毒に見えてなりませんねー。
興福寺の東金堂に納められていたのが火事を被災し、頭部だけが残った。それが現在の姿です。
頭だけの銅像ですが、大きさは98センチもあります。
身体を失う前の姿は、どれほど立派だったのでしょうかね。
首に三本筋が引かれているのが観察できました。元々は何の如来像だったのかな・・・・?
頭部だけとはいえ、これはいいものでした。
白鳳時代を代表する仏像で、目つきや眉、鼻梁のライン、表情に、白鳳仏の特徴がよく見られます。見て満足の逸品でしたよw
法隆寺から北へ15分くらいあるいたところにある、法輪寺に収められています。
法輪寺は、いくつもの仏像が見れるのでオススメなのですが、交通の便が悪い(歩くしかない?)せいか、どうもマイナー感があるみたい。
その中の1つで、大きさもそれほどでもないので、この仏像はドが付くマイナーかもしれない。
でも、「あの毘沙門天が俵の上に乗っている!」というインパクトは、一度見たら忘れられません(笑)
そんな目を見開いた忿怒相で威嚇されても・・・・失礼ながら、アナタが乗ってるの米俵じゃないですか、とツッコミせざるを得ない奇妙な姿です(^^;
毘沙門天は七福神の1柱ですが、七福神信仰ができたのは室町~戦国時代の頃だそうで。
この像は平安時代前期の作だそうなので、福の神ではなく守護神としての毘沙門天に、豊穣を発願して作った像としか取れないわけで・・・・
でも、豊穣祈願するなら、普通なら大黒天にするよね。
なんでこういう組み合わせにしたのか、よく分からんですなぁ(笑)
まぁ、宗教ってのは「信仰」が先にあって、「体系」は後からできるもの。
先に毘沙門天に豊穣を祈願していたから、後に七福神に選ばれた、ってことなんでしょうかね。
というわけで、以上「MYお気に入りの仏像ベスト10」でした。
前回も書きましたが、これは「今日の気分」ですので、後日になるときっと変わっています。
思い立ったらまたやってみるかもしれないので、もしかしたらオタノシミニー。
(あと、奈良以外でもやってみたいですな。あんまりストックないですけども)