大河ドラマ「平清盛」、第37話「殿下乗合事件」見ました。
今日は、史実では重盛が、「平家物語」では清盛が、それぞれやらかしたことになっている、「殿下乗合事件」が描かれる日。
はたして、どちらで描かれるのか・・・・?
見る前のワタクシの予想は「重盛が仕掛ける」です。
重盛がブチ切れて摂政を襲撃し、清盛が謝罪して、重盛と一対一の「父子の対話」が描かれるのではないかと。
つまり、「祇園闘乱事件」と重ねてくるかなーとw
「殿下乗合事件」は嘉応2年(1170)に起きた出来事。
この年、重盛(1138年生)は32歳。
一方の「祇園闘乱事件」は久安3年(1147)。
清盛(1118年生)は29歳でした。
似通った年齢の頃に、それぞれ事件を起こしているわけで、「対比が光る」今年の大河ドラマなら重ねて来るだろう!という予想。
さて、どうなりますことやら・・・・?
■金と言えば奥州
奥州藤原氏・藤原秀衡@京本政樹、登場!
奥州藤原氏・藤原秀衡@京本政樹、登場!(2回言った)
視聴者にキョーレツな流し目で挑発する京さま。
陸奥と出羽の押領使(おうりょうし=)から奥州鎮守府将軍へと昇進を遂げられた時に、「どなたの推挙であろうか・・・・」と、台詞がありました。
お声まで聞けるとは思わなかったので嬉しい!!(笑)
それにしても、秀衡ってやっと従五位下なんですね。
「保元の乱」直後、義朝が不満を持った「左馬頭」が従五位上。
それより格下って、何だか意外な気がしますねー。
(そして、平氏一門が可決を押し通す姿が、とても頼もしいw)
■あやや~
宋との交易を目論む清盛は、宋の海商・周新(@桜金造)に「仲介やれやコラ」とふっかけます。
なんだかんだと渋る周新に、「他にも船商人はいるしね」という、ブラック企業の従業員(下請け工場)切り捨て発言みたいな脅し文句で、引き込みに成功w
周新「あやや~」に、不覚にも笑ってしまった(笑)
一方、日本代表の後白河法皇は、口から生まれた(笑)稀代の策士・時忠の機転であっさり陥落w
「後白河(ごっしー)釣るにはカネなどいらぬ 珍品ひとつあればいい」
(↑都都逸風にお読みください)
ホンマに、頼れるナンバー2ですよねぇw
■小松殿のある1日
重盛の倅である維盛・資盛が弓の稽古として登場!
かわいい。今年の大河の子役は、いちいちかわいい。どうしたことだ(何)
「弓がなってない!」と叫ぶ、あの鬼軍曹・伊藤忠清が、「弓よりも糸竹(しちく)の稽古がいい!」という二人の「武道をおそろかにする発言」を喰らってよろめきました(笑)
忠清「ゆとりめ・・・・」←こんなことは言いませんw
※糸竹=糸は弦で竹は管。管弦=音楽活動のほうがいい!ということ。
そんな息子たちを重盛は「お前らは武士なんだから、しっかりやれ!」と叱りつけます。重盛、声のトーン変わった・・・・?
夜、経子夫人とともに明かりを灯して「本朝世紀」を読むシーンが、映像の綺麗さと画になる夫婦像が相まって、見とれてしまいましたw
それにしても、重盛が読んでいた「本朝世紀」。
これ鳥羽院の勅で始めて、信西がまとめていたヤツだよね・・・・。
信西の精神を重盛も受け継ぐというシーンなんだろうか?
思えば、清盛と重盛は、目指す先は一緒なんだよね。
「陰に日向にお支えしたい」って、重盛も言ってましたしね。
ヴィジョンは一緒だけど、そこに到達するまでの道の歩き方が全然違うわけで。
ドラマでも反映されているのですが、まるで重盛の死亡フラグのように見えてしまうんですよ。
そこが、これから重盛に不幸が訪れるまで、ずーっとツライままなんでしょうねぇ・・・・。
■殿下乗合事件
いよいよ、その時。
鷹狩りの獲物をみせたくて、摂政さまが乗った御輿(本当は牛車)をスルーして先を急がせる資盛に、「許すまじ・・・・」と、藤原基房が笑顔で壊れました(笑)
「清盛の孫だと分かっていて」の、この所業。
というか、「重盛なら何もできないと分かっていて」の、この所業。
本当は「清盛入道の孫だぞ」だけでなく、国司でもあるんですがー(=越前守)
「間違っていたのは我が息子だ・・・・」「一門の重大な決定に私情を挟むわけにはいかぬ・・・・」という己の正義と、「仕返しして欲しい」という一門の期待に挟まれて身動きができない重盛に、摂関家から「下手人を解雇した」などと、バンバン防御策(に見せかけた攻めの手)が打たれていきます。
義理の母・時子の諌めにも耳を貸さず、重盛は筋を通すことで決意。
(重盛と時子の間には、清盛と池禅尼のような微妙で緊張した関係はないんだね)
読みが当たった基房は「平家の土台を叩き壊してやるのだぁw」とご満悦w
摂関家が平家をナメるさまは、ますます増長していくことになります。
重盛のこの筋の通し方。
清盛の子育ては、きれいに決まり過ぎたのかな・・・・と思いました。
そして忠通さま。
あなたは子育てに失敗されたようです(笑)
■時忠の指紋
「赤い羽根」で釣られた後白河法皇は、宋の使者から「孔雀の羽で作った扇」をもらってご満悦w
その扇で仰ぐさまが、なんかエロいですw(どこが?と言われると困るのだけど、でも本当なのだから仕方がないw)
一方、清盛は「わしは国づくりに専念したい。京のほうに気を取られたくないんだよねぇ」と、時忠に伝えました。
ニュアンスだけ伝えて、言質は取らせない、この依頼の仕方。
なんというゴッドファーザーw
やがて、摂政・基房さまが襲撃されるという「事件」が勃発。
「うひぃぃ、お許しをぉぉ」って、基房さま絶対笑わせようとしてるでしょ(笑)
(さっきの「許すまじ」と台詞が対比・・・・なわけねーか・笑)
犯人は謎ですが、重盛ではありません。
ただ、重盛が現場検証をした結果、遺留品(笑)として赤い羽根が見つかりました。
もっとよく調査したら、きっと時忠の指紋が出てきたでしょう(ぇ
平家屋敷に帰宅した重盛は一門に笑顔で迎えられ、「中々やりますなぁw」と支持されました。
自分の考えとは正反対のことを何者か(清盛)に勝手にやられ、それを自分の仕業にさせられた上に賞賛・支持される。
これはキツイわ・・・・。
「自分のやったことは間違っていたというのか!」と、写経の途中で発狂・大暴れしました。
(よりによって「命」の書き写し途中でやめさせるかね^^;)
妻・経子の抱擁によって慰められましたが、重盛の胃は、またHPを減らしてしまったようですな・・・・。
(こういう時は、「重盛、それで良い。仕返しは俺に任せておけ」とか、連絡一本入れるだけでも違うもんなんだけどな。前回といい、今回といい、清盛は情報の重要さは知っていながら、連絡の大切さを知らんのか・・・・)
■頼朝、浮上する
端正な顔つき(笑)の頼朝が、政子・・・・もとい、時政のもとに遊びに来ます。
そこで聞かされる清盛の噂話と、父・義朝への愚痴。
「たとえこの身が滅びようと、源氏の魂は滅びぬ・・・・」
頼朝が浮上しはじめました。
重盛が沈むと頼朝が浮上するんですね。
でもって、政子と頼朝の仲は、まだまだ進展はしないようですなー。
以上、ここまで。
重盛は、間違ってないんだよなぁ。
間違ってないどころか、正しい。
というか、正し過ぎる。
「正し過ぎる」ってことがあるんだよね。
それは、「正しい」よりも良くない事態を招くことが多いようで。
世の中って、本当につらいわ・・・・。
(そして、この重盛の姿が、何故か現代日本の政府と重なってしまいました。内政か外交かその他の何かか?までは言いませぬが・・・・)
重ねてくると思っていた「祇園闘乱事件」と「殿下乗合事件」は、重ねて来ませんでしたね。
この両事件は似ていると思っているのですが、でも明らかに違うところが2つあるんです。
それは、まずは妻の存在。
「祇園闘乱事件」の時は、清盛は明子を亡くした後でした。
でも、重盛にはずーっと経子がいました。
もうひとつは、義朝の存在です。
重盛には明確なライバルがいません。
時忠や宗盛が政敵になりうる要素がありますが、しかし表立ってぶつかり合えるようなライバルではありません。
一方の清盛には、東国からリターンしてきたばかりの義朝がいました。
義朝の不在。これが重盛と清盛を分かつ、決定的な経験値の差になっているのではなかろうか。
ぶつかり合えるライバルが居ない重盛。
彼の視線は自然と政界だけに向くようになり、それがあの生真面目で筋を通したがる、「正しい」重盛を象っていったのでしょうか。
この真っ直ぐな人物は、曲げられるようになることなく、ぽっきりと折れてしまうことになりますが、それはまだ後の話、ですね・・・・。
(じゃあ頼朝には、父にとっての清盛のようなライバルはいるのか?となるところですが、ここは「父から清盛と言うライバルを引き継いだ」と見るといいのでしょうかね)
(そうなると、義朝を失い、頼朝が引き離され、重盛がライバル不在になった「平治の乱」は、平家滅亡のワンカウント目だったと、見ることもできますが・・・・さすがにこれはやり過ぎ・笑)
(そうなると、義朝を失い、頼朝が引き離され、重盛がライバル不在になった「平治の乱」は、平家滅亡のワンカウント目だったと、見ることもできますが・・・・さすがにこれはやり過ぎ・笑)