今日は、こちらのニュースからネタを引っ張ります!
「平清盛」藤原秀衡役に京本政樹
http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/92827/full/
?
奥州藤原氏は、登場しなくても、そこそこ話を進められるはず。
なので、半ば諦めていた当主・藤原秀衡さまが登場なされるとは、なんたる朗報!
しかも、やるのが「組紐屋の竜」こと、京本政樹サンというオマケつき!
これは盛りあがってまいりましたw
自分のイメージでは渡瀬恒彦サン、丹波哲郎サンあたりの、いかにも「親分」な印象が強いので、親分と言うより「アニキ」な感じの京本サンの起用は斬新です(^^;
でも、この挑戦やよし!むしろ歓迎!
全身全霊で応援させていただきます!
(というか、この大河ドラマはどこまでやるつもりなんだろう・・・・)
(もういっそ、来年までやっちゃってもいいと思う!)
ところで、奥州藤原氏といえば平泉。
というわけで、話は平泉へと飛びます。
平泉は、浄土教に基づいて建てられた都市です。
名前がよく似ていて間違いやすいのですが、「浄土教」は鎌倉新仏教の「浄土宗」や「浄土真宗」とは、似て非なるもの。
それはもう、カフェラテとソイラテくらい違います(余計分かりにくいかw)
そもそも、平安時代の末期というのは「末法の世」ドンピシャの時代でした。
「仏教の『正しい教え』が伝わらなくなる」ゆえに、「仏教が形式だけになってしまう」のが、末法の世。
つまり、「末法の世」とは正しい解脱方法が伝えられず、ゆえに苦しみだけが続く世になってしまうということを意味します。
こんな時に、摂関政治は衰えて政治不安になるわ、武士や僧兵の出現で治安は乱れるわ、北嶺(延暦寺など)や南都(興福寺など)は腐敗・退廃するわ、温暖化の異常気象で旱魃が続くわと、予言と現実がビンゴしてしまったために、当時の人たちは大変おそれおののいたそうです。
厭世気分が蔓延する中、人々の希望を担う信仰が生まれます。
「そういえば、阿弥陀如来さまは『仏になれたら、自分を信じる者を全て救う』と願掛けしておられた如来さまであったな」
「ならば、阿弥陀如来さまにおすがりすれば、如来さまのおられる極楽浄土に往生し、救って頂けるのではないだろうか?」
こうして、末法に苦しむ平安時代、新たな救いの道をして阿弥陀信仰が生まれました。
清盛の木像がある六波羅蜜寺に納められている、有名な「空也」は、この「阿弥陀信仰」の先駆けとなった人物として、歴史の教科書に載っているわけです。
(空也上人像/京都・六波羅蜜寺。重要文化財)
この阿弥陀信仰の行きつく先が、
「厳しい修行を積まなくても、難しい教義を知らなくても、現世で殺生をしなければ生活していけない身分でも、念仏さえ唱えたら阿弥陀さまが救ってくださる」
という「専修念仏」で、ここまで来たのが浄土宗や浄土真宗。
(さらに「阿弥陀さまが救ってくださるのは確定なのだから、我々はただ感謝すればいい」と、もう一歩突き抜けたのが、一遍が開いた時宗となります)
しかし、これは鎌倉時代には行ってからの宗教で、平安時代後期はそこまでは行きつかず、「極楽浄土を想像して逝けば、極楽に往生できる」(=観想念仏)という思想の「浄土教」が主流でした。
しかし、極楽浄土を想像しようにも、文章からイメージするのは難しいし大変。
そこで、絵を描いたり庭園として表現したりと、「浄土教」は視覚化する方針に向かいます。
これを実現した代表例が、京都宇治の平等院鳳凰堂と、奥州平泉の都市景観ということになるわけです。
奥州藤原氏は、在京の藤原氏と違って、武家や庶民と同じ目線に立っていた一族でした。
平等院は在京の藤原氏が自分たちが救われるために造った、プライベートのお寺。
しかし奥州藤原氏は、できるだけ多くの人を救えるよう、平泉を「極楽浄土の再現都市」として構想したわけです。
さらに俘囚(差別民。未開の蛮族)とも関わりが深かったため、「民も俘囚も、奥州の者全てを救ってみせる!」と、中央政権に対する意地のようなものもあったのかもしれません。
そんな壮大な宗教都市計画が三代で終わるはずはなく。
しかし、平泉は四代・泰衡に代替わりした直後に滅亡します。
こうして平泉は「未完の聖地」として、100年ほどで幕を下ろすことになってしまうのでした。
じゃあ、あそこで奥州藤原氏が滅びなかったら、平泉は完成したのだろうか・・・・?
ワタクシは、完成しなかったと思う。
理由は2つあって、まず奥州の大きな財源の1つだった宋との貿易が、チンギス・ハーンの影響で低迷するために、予算が組めなくなるであろうこと。
(え、奥州藤原氏が滅びない=義経が追い詰められないのなら、チンギス・ハーンも誕生しないだろって?ごもっともw ←)
もう1つは、先程ちらっと登場した「専修念仏」。
「往生のために、極楽浄土をイメージしよう!」よりも、「往生したかったら、ひたすら念仏を唱えればいいんだよ」のほうが単純明快で分かりやすいですし、巨大な寺院の建築や絵画の作成よりも、よほど安上がり。
だから、平泉の「浄土教」は、これに取って代わられていくだろうなと思うのです。
奥州藤原氏が浄土宗なり浄土真宗なりに宗旨変えした段階で、「極楽浄土の視覚化」という都市構想は、みんなで集まって念仏を唱えたり写経したりする「百万遍参加型」に移り変わって、聖地の具現化は結局、未完のままやめてしまうことになるだろうなと。
そう考えているのですが、どうでしょうかねー。
ちなみにワタクシ、岩手県には5~6回足を運んだことがありますが、平泉にはまだ行ったことがありません。
世界遺産には興味ないけど、国宝・重文は大好きなので、一度は行ってみたいところですw
(世界遺産は、文化財保護/自然保護でやって欲しいのに、観光誘致っぽくなっているのが好かないのです)
京本政樹サンが秀衡をやられたら、その効果で観光客も増えたりしないでしょうかね?
いやー、行ってみたいなぁw