先日あった「今夜はヒストリー」をようやく見ました。

 

内容は「最強の悪役10人」という企画。

 

「悪役・・・・?悪人(悪党)でなくて?」と、真っ先に疑問に思いましたが・・・・見てみたら、確かに「悪人」というよりは「悪役」な感じ。

 

ちなみに、こんなエントリーでした(番号はランキングではありません)

 

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01.蘇我入鹿(飛鳥時代の大豪族。「乙巳の変」で中大兄皇子&中臣鎌足に滅ぼされる)

02.道鏡(奈良時代の僧侶。称徳天皇につけいって天皇になろうとした、奈良のラスプーチン)

03.源頼朝(鎌倉幕府を開いた征夷大将軍。血も涙もない冷徹非道な男)

04.日野富子(室町幕府8代将軍・足利義政の妻。とにかくがめつい)

05.斎藤道三(美濃の戦国大名。「蝮」と呼ばれた日本三大梟雄の1人?)

06.松永久秀(大和の戦国大名。主家・三好氏に背き、将軍・足利義輝を弑逆し、大仏を焼いた日本三大梟雄の1人)

07.明智光秀(戦国時代の武将。「本能寺の変」を引き起こした)

08.吉良上野介(江戸時代の高家。「赤穂浪士の討ち入り」で首級を挙げられた)

09.徳川綱吉(江戸幕府5代将軍。別名「犬公方」)

10.井伊直弼(江戸時代の大老。「安政の大獄」を引き起こし、「桜田門外の変」で暗殺された)

---番外---

・藤原薬子(平安時代の女中。「薬子の変」の関係者)

・藤原時平(平安時代の左大臣。菅原道真のライバル)

・平時忠(平安時代の公卿。平清盛の義弟)

・義姫(戦国時代の女性。伊達政宗の母)

・淀殿(戦国時代の女性。豊臣秀吉の側室・秀頼の母)

・小早川秀秋(戦国時代の大名。「関ヶ原の戦い」で東軍についた)

・田沼意次(江戸時代の旗本/大名。「田沼の改革」で知られる)

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織田信長が呼ばれてないのがやや意外でしたが、あとは想像の範囲内・・・・という感じかな?

時忠が出てくるとは思いませんでしたが・・・・(^^;

 

全体を見ると、「悪役」というよりは「憎まれ役」なのかなーという印象ですね。

頼朝とか、綱吉とか、金吾とか、田沼の殿様とか、それ悪役か?と思ってしまう人も入っているので・・・・。

 

(幕末、1人しか入ってないですね・・・・まぁ、あの時代は攘夷派も佐幕派も、みんな悪役みたいなもんだからな・笑)

 

 

平安時代で「最強の悪役」といえば、誰が思いつくだろうか?

 

平将門、平忠常、藤原純友、平清盛、後白河天皇、源頼朝・・・・

 

キラ星の如く爛々と輝くそれら悪人どもを退けて、ワタクシは「源義光」を挙げたいです。

 

 

源義光(みなもとのよしみつ)

 

このブログでもたびたび取り上げているので、その名に見覚えがある方もおられるのではなかろうか。

 

彼は河内源氏の人。源頼義(よりよし)の三男坊です。

 

父親の名前よりも、「八幡太郎」源義家(よしいえ)の弟、あるいは「新羅三郎」という通り名のほうが知られているかもしれません。

 

今年の大河ドラマに出ていた為義にとっては「叔父」、義朝にとっては「大叔父」にあたる人物です。

 

系図(清和源氏)

 

この人が、平安時代を代表する悪人だと思う理由。

それは、「河内源氏の内輪もめの中心にいた人物」だから(笑)

 

「河内源氏」といえば骨肉の争い。

血族同士で結束すればいいものを、同族でいがみ争いあって勢力を衰退させ、清盛の頃には落ちぶれた存在になっていた・・・・というのは、たぶん広く知られていること。

 

その「骨肉の争い」のほとんどに、義光は関わっていたりするのです

 

 

義家亡き後、嫡男だった義親が、叛乱を起こした罪で誅されてしまいます。

 

棟梁の座は義家の三男・義忠が継ぐのですが、急だったこともあって反発を招きました。

 

義光も、あまり面白く思わなかったうちの1人だったようです。

 

義忠は平正盛(清盛の祖父)の娘を息子(後の河内経国)の嫁にするなど、あの手この手を使って権威を上げようとしたのですが、天仁2年2月3日(1109年)、何者かに襲われ、2日後に絶命

棟梁は、当時17歳だった為義の両肩に委ねられることになり、河内源氏は没落してしまいました。

 

この義忠を殺した犯人は「義光だ!」と思われていたみたい。

ですが、義光は「やったのは兄の義綱だ」と主張。

 

この騒ぎのどさくさで、次々に身内を失っていた義綱は、憤慨して東国へ向かうのですが、かえって追討を受けて捕縛。

 

佐渡へ流罪となり、河内源氏の有力者・義綱の一族は滅亡してしまうのでした。。

 

 

やがて、義綱は濡れ衣だったことが判明。

義光はエイコラサッサと東国へトンズラします。

 

今度は東国で甥の義国(新田氏・足利氏の祖先)と、領土を巡って「私戦」を繰り広げます。

 

一度は撃破するものの、やがて義国のもとで保護されていた義忠の息子・河内経国に「仇」として討ち取られてしまった・・・・

 

という経歴の人物です。

 

図で表わすと、こんなかんじ。

 

 

まとめてみると、

  • 甥・義忠を暗殺。
  • 濡れ衣を着せて、兄・義綱を滅ぼす。
  • 坂東で甥・義国と戦争。
  • 自分が殺した義忠の子・河内経国によって討たれる。

兄から甥まで、幅広い攻撃範囲。

よくもまぁ、これだけ身内と戦えるもんだ・・・・

 

河内源氏は身内で争いあうため「野蛮」「粗野」として皇族・公家から信用されなかったのですが、その原因はほぼこのオッサンが作ったんじゃないかと、思ってしまいます(笑)

 

なので、「平安時代を代表する悪役」として、彼をノミネートさせていただこうという、そんな日記でしたw

 

 

 

ちなみに、義光の子孫は、戦国時代の武田信玄で知られる甲斐源氏・武田氏や、東国の大名として君臨し、幕末の頃には秋田の殿様になる常陸源氏・佐竹氏などが知られています。

 

系図(義光)

 

武田氏と佐竹氏は、戦国時代になっても「ウチが義光の正統だ!」と言い張っていました。

 

こんな悪どいオッサンですけど、武士からすると武名に優れた、憧れのご先祖様だったんでしょうかね・・・・。

 

 

なお、平時忠については、いずれ個別に取り上げて見たいと狙っています。

 

もしかしたら、オタノシミニ♪

 

 

 

MY源平ライバル考(関連)
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