大河ドラマ「平清盛」の低視聴率を憂いている身としては、このニュースは少し気になります。

★オダギリジョー主演ドラマ「家族のうた」低視聴率で打ち切り
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120513-OHT1T00016.htm 

低視聴率ドラマの仲間が逝ってしまったのを見て、NHKはどうするのか・・・・憂いているのはそこなんですが。

ワタクシは、視聴率なんて気にしていないのですが、肝心のNHKが気にしているのがね・・・・。

(ちなみに、このドラマは見たことありません・・・・)


大河ドラマ「平清盛」が低視聴率なのは、よくメディアで見かける、コーンスターチや土まみれの服装などの「画面が汚いから」ではないでしょう。
 
「王家」という言葉が反日的かどうかというのも、関係ないです。
これは断言できます。むしろ低視聴率の原因を推測・分析してみた結論がコレっていうのは、論外でしょう(笑)
 
 
原因は、いくつかあると思うのですが。
 
その1つとして、現代日本人は平安時代に馴染みがないために「平清盛」という言葉が「源平合戦」を連想させてしまい、その先入観で見ると「ほとんど戦わない→なんで??」という期待はずれになっているのではないか・・・・と、時代背景からのアプローチで、以前推測してみました。

■見る人を選ぶドラマ(前編)
http://ameblo.jp/gonchunagon/entry-11221678676.html 

■見る人を選ぶドラマ(後編)
http://ameblo.jp/gonchunagon/entry-11222053776.html 

 
そこで今回は別の視点から。
メディア論的アプローチで推測してみたいと思います。
 
つまり「平清盛は、ドラマの題材としてどうなのか?」という疑問です。
 
 
そうやって考えてみると・・・・
「平清盛」って、いや「平安時代」って、ドラマの題材としては「最悪」なのではなかろうか。
 
 
ドラマというのは、「音声」のメディアです。

「映像」も大事だけれども、どちらかというと「音声」のほうがより重要だと思います。
「画面見ないで音だけ聞く」ことはできるけど、「音を消して画面だけ見る」のは難しい。
いや、ガマンできないような気がするので(笑)
 
これの対極にあるのが「文字」のメディア。
新聞とか、本とか、ブログとかです。
 
 
で、「音声」メディアって、人の名前が分かりづらいメディアであるような気がします。
 
リアルタイムで流れているがゆえに、聞き取れなかったら(聞き逃したら)、取り返すのが大変。
またその人の名前を誰かが呼んでくれたらいいですが、チャンスが一度きりだったら、もうその人が誰なのか分からなくなります。
 
で、「人の名前が分かりづらい」メディアと、「人の名前がややこしい」時代のドラマって、相性いいと思いますか?(笑)

もう何がなんだか分からなくなってしまうのが必然なのではなかろうか。
 
そして、これって「平安時代」特有のマイナス面ではないかなと思うのです。
 
 
例えば、「戦国時代」でドラマを作る場合。
 
登場人物の名前は、「織田」「木下」「羽柴」「豊臣」「松平」「徳川」を始めとして、
「今川」「斉藤」「浅井」「朝倉」「上杉」「武田」「毛利」「竜造寺」「足利」と、名前で用意に区別ができます。
 
味方同士、敵同士、あるいは無関係な人物が、おなじ名前ってことは、あんまりありません。
 
「関ヶ原の戦い」は「徳川」「石田」だったし、「川中島の戦い」は「上杉」「武田」の対決でした。
「甲相駿三国同盟」は「武田」「北条」「今川」の同盟です。
 
 
これが、「平清盛」の時代になると・・・・
 
「藤原」「平」「源」・・・・たったこれだけです(笑)
 
「平清盛」の登場人物が、総勢どれくらいいるのかは存じませんが、30人はくだらないでしょう。
そのうち「王家」の人たちと、ごく一部の例外(高階氏など)を除いて、ほとんどがこの名前なのです。
 
 
たとえば、藤原摂関家は、もちろん「藤原氏」
しかし、それに対抗する院近臣も、ほとんどが「藤原氏」です。
 
そして、奥州や下野にも「藤原さん」がいたのですが、摂関家や院近臣とは別系統の「藤原さん」。

あの「藤原さん」と、この「藤原さん」は対立していて、それとは別系統の「藤原さん」が、あの「藤原さん」の家来・・・・なんてことになったりするのです。 

 
平清盛は、平時子という女性と結婚しましたが、これは近親婚ではありません。
 
清盛は、坂東に下ったのちに京へ返り咲いた武家の「伊勢平氏」の出身。
時子は、京に残って公家を続けた「堂上平氏」の出身です。
 
無関係ではないけど、同じ一門とも言えない。微妙な関係です(笑)
 
 
清盛のライバルとして描かれている源氏にしても、源義朝は「武家の棟梁」を引き継ぐ立場の人ですが、当時は「源氏のトップ」とは呼べない状態でした。
 
たとえば、後で登場する「源三位頼政」という人物は、義朝の仲間でもなければ、家来でもありません

じゃあ、どういう関係か?というと、これまた無関係ではないけど、同じ一門とも言えない、なんとも微妙な関係(笑)
 
義朝は「河内源氏」で、頼政は「摂津源氏」
それぞれが完全に独立した武門の一族なのです。
 
それに加えて、源氏は内部抗争が激しく、あの「源さん」とその「源さん」は同盟を組んでいるけど、この「源さん」はあの「源さん」の親の仇で、こちらの「源さん」は中立・・・・など、同族で複雑な関係を描いたりしているのです。
 
 
こんな状態を「ややこしい」と言わずして、何がややこしいだろうか(^^;
 
 
ここまで名前がややこし過ぎる時代は、実は後にも先にも「平安時代」だけなのではなかろうか。
 
平安時代より前は、「藤原」の他に古代からの豪族・名門「蘇我」「物部」「橘」「弓削」「吉備」「大伴」「菅原」といった、別の名前の勢力がありました
 
平安時代よりも後には、区別をつけやすくするように苗字が発達します。
 
藤原さんは、「近衛」「松殿」「九条」「三条」「西園寺」「徳大寺」など、どこかで聞いたことがあるような名前を名乗っていきます。
 
源さんは、河内源氏なら「新田」「足利」「佐竹」「武田」「志田」など、摂津源氏なら「多田」「土岐」などと、判別しやすくなっていきます。

前に例としてあげた「戦国時代」のように、同じ名前が滅多にないがゆえに、個人を区別したり、人間関係を整理したりするのが容易になっていくのは、平安時代が終わってからの傾向というわけです。
 
 
平清盛平時子と結婚。
 
源義朝の要望を一蹴する源頼政
 
藤原頼長を脅かす藤原忠通、それを追い立てる藤原信頼
 
 
・・・・同じ名前ばっかりで、親子なのか兄弟なのか無関係なのかさえも分からない、結果として「なにがなんだか分からない」という困った時代・・・・それが「平清盛」の時代背景なのです。
 
こんな登場人物が名を連ねるドラマを見て、すぐに人間関係が分かる人は、よほどの「天才」「ヘンタイ」でしょう(笑)
 
視聴者が「人間関係が分かりづらい!」と文句タラタラなのも、NHKが「人間関係を明確にします!」と焦っているのも、その根底にあるのは、「音声」メディアと相性の悪い、こうした時代背景が横たわっているのだと思うのですが、どうでしょうかねー。
 
 
「名前」というのは、個人・家族・一族を他人に知らしめるための認証システム
その人の「社会的位置」、その人の「所属集団」、その人の「歴史」、その人の「文化的背景」を表わすものです。
 
「名が体を表わせていない」というのは、名前というシステムが人間関係や社会構造の急速な変化についていけていない傍証であるわけで。
 
ここだけ切り取ってみても、平安時代末期というのが激動の変革期であったことが、よく分かりますねー。