さて、MY平安時代区分の続きを。

 

大河ドラマ「平清盛」を見ていると、「院政」という政治制度が敷かれているのが分かります。

 

天皇が皇太子に譲位してフリーになったあとを「上皇(=院)と呼びますが、白河院、鳥羽院、後白河院と、何人かの上皇が「院政」を行い、政局を左右していました。

 

じゃあ、その「院政」って何だろう?

 

・・・・そう考える時、前回紹介した藤原摂関家を外戚としない、第71代・後三条天皇の登場を覚えておくと、分かりやすいのではなかろうか。

 

それまでは、母方の祖父(=外祖父)である、藤原摂関家が権力を握ってきました。

 

「ひなまつり」にたとえると、こういう状態。

 

ひなまつり(摂関家)

 

ところが、入内させた娘が皇子を生めなかったことで、天皇の外戚になるのに失敗。

すると、今度は父方の祖父が実権を握ったわけです。

 

MY平安時代区分論を持ち出すと、後三条天皇の即位で摂関時代は終わりを告げます。

 

天皇のバックで暗躍する黒幕が摂関家から上皇へ母方から父方へ移って、院政が始まるので、ここからを院政時代と呼びます。

 

院政というのは、摂関家の手法を父方の祖父が真似したようなものだと言っても、ウソではないでしょう(ただし、「もと天皇」なので、摂関家よりも権力は強力です。こうした実権のある上皇を「治天の君」と呼びます)

 

こんな状態。

 

ひなまつり(院政)

 

後三条天皇は、下級官人や中級貴族を多く登用して、自らの親政のもとで改革を進めていくことになりました。

 

・・・・といっても、決して上級貴族や摂関家らを蔑ろにしたわけではなく、こちらも変わらず重く用いていたみたい。

 

身分を問わない人材活用。まさに能力主義。

 

摂関家なんて、たしかに有能だったかもしれないけれど、どう考えても本当は大嫌いだったはず。

 

皇太子時代に(皇位につけたくない)関白・頼通らからイジメられていましたし、祖父・三条天皇は藤原道長にイヤガラセを受けて退位に追い込まれていたんですから。

 

仕返ししても不思議ではないような気がするんですが、苦労をバネに変えたんでしょうね。

後三条天皇、中々デキた人物です。

 

ともあれ、後三条天皇は息子の白河天皇に譲位した後、院庁(いんのちょう)」というオフィスを開いてスタッフを集めたそうで、これが「院政」のスタートと言われています。

 

後三条天皇は譲位してすぐに崩御してしまったので、あまり関われなかったのですが、息子の白河天皇から、本格的な院政がはじまりました。

 

白河天皇は、摂関家の娘を母とし、摂関家の養女を正室にしていました。

 

だから、父・後三条天皇は、白河天皇の系統は皇位継承権を継承させず、「傍流」にしようと考えていたみたいです。

 

そこで、「弟に譲位するように」と命じ、白河天皇に皇太弟を立てて譲位していたのですが、白河天皇は「自分の子孫を傍流にしてたまるかっ」とばかりに、父の遺志を無視w

 

息子の善仁親王を皇太子にたてて譲位したので、藤原摂関家は息を吹き返すことになりました。

 

といっても、随分と弱体化してしまったんですがね・・・・。
たとえば、大河ドラマでも出てきた、あの白河院の有名な言葉、覚えてます

 

 

「賀茂河の水 双六の賽 山法師
是ぞわが心にかなわぬもの」

 

 

鴨川の治水双六のサイコロの目比叡山延暦寺の僧兵これが私の思い通りにならないもの・・・・

 

「天下の三不如意」と呼ばれているものですが、見事に摂関家が入っていません。

 

藤原道長の頃の絶頂は、すっかり見る影もなくなっていたのでした・・・・。

 

やがて、白河天皇の孫・後白河天皇の代になると、ご存知の平家全盛の時代が訪れます。

 

平清盛は、自分の義理の妹(平滋子)を後白河院に嫁がせて、生まれた皇子を高倉天皇として即位させます。

 

そして、高倉天皇に自分の娘(平徳子)を入内させ、生まれてきた安徳天皇を即位させることで、天皇家の外戚となりました。

 

母方の外祖父となることで実権を握る。これ、まるで摂関家と同じ手法です。

 

MY平安時代区分論では、ここからの第4部を「平家(政権)時代」と呼びます。

 

つまり、こういう状態。

 

ひなまつり(平家の台頭)

 

この頃の摂関家は、藤原忠実も忠通も亡くなって若輩者ばかりで、平家を圧倒できるほどの政治力はなかったみたい。

 

平家や後白河院をはじめとした、この後に現れるアチコチの勢力に利用されて、没落したり浮上したりを繰り返しながら、「源平合戦」の荒波にもまれていくことになります。

 

MY平安時代区分のお話は、以上w

 

平安時代摂関時代院政時代平家時代

 

このように覚えておくと、「平安時代ってこんな時代」と理解するのがじゃないかなぁと思ったので、書き連ねてみましたw

 

妄想語りも、ここまで来ると清々しいでしょう?

 

・・・・そうでもないですかそうですか(何)

 

なお、院政については、色々なヒミツが隠されていて、大河ドラマを見る(というか、掘り下げる)時に知ってると面白いので、それはいつかどこかで語りたいなと思いますw

 

ひなまつり(源平前夜)

 

(平安時代末期をモデルにしたひな壇飾りw)