今日は、気になったこちらの記事から。

 

★全国名字ランキング1位 「佐藤」さんのルーツとは?
http://getnews.jp/archives/189751

 

「佐藤」を名乗った歴史上の人物といえば、「百人一首」の86番歌に選ばれ、今年の大河ドラマにも出ている平安時代の僧侶・西行法師(佐藤義教)がおります。

 

彼は「藤原北家」「魚名流」の子孫、藤原秀郷の末裔を名乗っていました。

 

出家して旅の僧侶となった後は、同じ藤原秀郷の子孫という誼で、奥州藤原氏に面会もしています(2代・基衡3代・秀衡

 

と、前置きしたところで記事の内容に戻ってみると・・・・

 

「佐藤」姓は、下に「藤」の字がつくことでもわかるように藤家姓の1つで、藤原氏の末裔だ。一般的には、平安中期に藤原北家秀郷の流れの公清が左衛門尉となり、以後世襲したために「左衛門尉」の「左」に人偏(にんべん)をつけて「佐」とし、これに藤原氏の「藤」を組み合わせて「佐藤」と名乗ったのが祖とされる。
また秀郷が下野国佐野(栃木県佐野市)に居館を構えたことから「佐野」の「佐」をとって「佐藤」にしたともいわれている。

 

西行(佐藤義清)が奥州藤原氏に会いに行った経歴からも分かるように、確かに佐藤サンは「藤原秀郷の子孫」ではあるようです。

 

でも、その藤原秀郷が本当の本当に藤原氏の(鎌足不比等の)子孫であったかどうかは、「アヤシイw」という説があります。

 

記事にもあるように、藤原秀郷は下野国(しもつけのくに=栃木県)に居館を構えていました。

その地の土豪であった鳥取氏が、母方の姓である「藤原」を仮冒した・・・・それが藤原秀郷ではないかというのが、その説の示す事実です。

 

史実はどこにあるのかは、永遠に分からない歴史の闇の中かもしれません(通説は魚名の末裔のままになっているみたい)

 

しかし、「平将門の乱の鎮圧」「百足退治」などで轟いた秀郷の武名のおかげで、その子孫を称するものは続出し、源氏・平氏に勝るとも劣らない、数々の武家の家系が生まれることになり、そして仮冒の疑いが濃い氏族が多いのも事実ではあります。

 

 

「藤」がつく名字では、「藤原北家秀郷流」の仲間は、「佐藤」の他にも

 

「伊藤」「近藤」「首藤」「須藤」「内藤」「尾藤」「武藤」

 

これらが、藤原秀郷の子孫を名乗っています。

 

なお、「斉藤」「加藤」「後藤」は同じ「藤原北家」ですが、「利仁流」という別の親戚筋から発生した名字(後藤には、秀郷流からも養子が出ているので、血筋っちゃー血筋でもありますが)

「工藤」「遠藤」は、もっと前に遡って枝分かれした「藤原南家」の出身となります。

 

「安藤」は、ちょうど大河ドラマ「平清盛」の時代にできた名字で、奥州の安倍氏が鳥羽院から藤原姓を賜り、両方をあわせて「安藤」としたのが由来になっています。元々は「安倍(阿部)」だったわけですね。

 

このへんは文章で説明してもややこしいので、ちょっとした系図を描いてみました。

 

宜しければ参考にしてみてくださいねー。

 

 

 

以上、「趣味:歴史」からは少し外れているような気がする、名字の雑学でした(^^;