明日の2月11日は、「建国記念の日」。
「建国記念の日」とは「初代・神武天皇が即位した日を記念した祭日」が元になっている祝日です。
…という歴史は、ワタクシもこのブログでいつの年にかやっていて……と思ったら、まさかのやっていませんでした(汗)
明治5年12月2日(1872年)、明治政府は「これまでの暦(天保暦)を廃止して、新しい暦(グレゴリオ暦)に改めます!」として、「改暦ノ布告」を施行。
「明治5年」は残り30日を切り上げて終了し、新たに「明治6年正月元日」となりました(「明治改暦」)
この時、「神武天皇が即位した日はグレゴリウス暦に直すといつなのか?」も計算してみよう!となったみたい。
そこで、正史『日本書紀』を基に計算したところ、「紀元前660年2月11日」と算出されました。
こうして2月11日は、戦前には「紀元節」として「祭日」となっていたのですが、戦後の昭和23年(1948年)GHQにより廃止。
やがて昭和41年(1966年)、「祝日法」に基づいて「建国記念の日」として復活を遂げ、現在まで続いている…というわけですねー。
なお、神武天皇が前660年即位ということで、「西暦」に「660」を加算すると「皇紀(神武天皇即位紀元)」が算出できます。
今年の2026年は「皇紀2686年」となるわけですねー。
「皇紀」は「年」ばかりが使われていますが、暦である以上は「月日」もあるのでは…そうなると「建国記念の日」は「皇紀」の元日…ってことになるんでしょうか(となると、今日は「皇紀2685年の大晦日」ですかね)
「神武天皇が紀元前660年に即位」の是非はともかく、一応『日本書紀』を「正史」におく日本国民としては、今上天皇で歴代126代を数えています。
実は「平成の陛下が譲位されて皇太子殿下が即位される」と決まった時、「令和の天皇」の践祚を祝して「歴代126代の系図」を作っていたのですが、ずっと忘れていたことを、先日系図フォルダーを整理していた時に発見して気が付きました(笑)
せっかくの元「紀元節」のいい機会なので、完成させてアップしてみようかなと。本日はそういうブログです。
中身は「126代・124人+地神五代の系図」なので、ひたすら多くてひたすら長い。
さすが、現在において世界一古い王朝の系図ですね。
ただ長々と書き連ねても分かりづらいかと思ったので、時代ごとに色分けしてもみましたよ…と前置きして、こんなかんじになっています。
初代神武天皇から今上陛下までを直観的に見てたい!という方には、まぁまぁの参考にはなってくれるんじゃないかなと、自画自賛しておきますw
歴史オタクとしては、これだけだと寂しさ…というか物足りなさを覚えてしまうんですがね。
即位できなかった皇子・親王とか、皇女・内親王(お姉さまと妹ちゃん)とか、臣籍降下した方々とか、宮家とか、外戚の皆さんとか、有名な孫曾孫玄孫来孫とか、系図を作るんだったら、やっぱり欲しいよねー(そうでもない?)
せっかくなんで、ちょっとした系図の解説や感想・言い訳(?)なんかを…ちょっとだけw
系図を先から辿ると、まずは「神話時代」。
初代神武天皇も、ここに入れてみました。おやりになった「神武東征」、「南九州から何故かはるか近畿までやってきて、そこからはヤタガラスの導きでヤマトに入り、現地の王ニギハヤヒを降伏させてヤマト建国」って、とても神話っぽいですもんね。
神話の後は、系譜だけで実績が記録されていない「欠史八代」。歴史か?といわれると、力強く「そうです!」と言えないのがツラいところですが、でも関連氏族の祖がたくさん出て来るので、古代史好き(古代豪族の繋がりを知りたい人)には中々に重要です。
なお、「弥生時代」の到来は今から約2400年前あたりとされるので、計算上は第4代懿徳天皇から第5代孝昭天皇のあたりより昔は「縄文時代」となります…そうか、神武天皇って縄文時代の人なんですね(計算上は)
そこから時代をたどっていくと「現皇室ってヤマトタケルの子孫なんだなぁ」というところに目が行きます。ここらへんは、和風諡号を見ると色々面白かったり想像を掻き立てられたりします。いつか特集してみたい。
そして、「神武天皇」「崇神天皇」の「初代と言われる2人の天皇」と同じく「神」の字を持つ、「応神天皇」(「神」がつくのは、この3人だけ)が「ヤマトタケルの孫」として登場。
ちなみに、応神天皇の母は「神功皇后」で、一説には「卑弥呼」と同一人物…なんて言われたりもします(「魏志倭人伝」の内容が『日本書紀』では「神功皇后紀」に引用されている)…とすると、「邪馬台国」って応神天皇の前後なんでしょうかね。
「魏志倭人伝」は、中国は三国志の時代の史料。その頃の日本は「弥生時代」とか「古墳時代」とか、なんだかブレブレ(言い方)。そのへんを考えるのは面倒だったので、まとめて「上古時代」としてみました。
17代履中天皇から25代武烈天皇までは、日本最大の古墳「大仙陵古墳」の被葬者に比定されている、仁徳天皇の子孫たち。名付けて「仁徳朝」。
その皇位継承は、なんだか混乱しているかのような系譜を辿ります。
兄弟で即位したり(17→18→19、20→21、23→24)
伯父甥で移ったり(24→25)
はとこが継承したり(22→23)
という慌ただしさの末に、5世代遡った応神天皇からの子孫・26代継体天皇へ。
5世代も遡ると訝しさが出てきますが、「本当に応神天皇の子孫なのかアヤシイ」とするならば、どうして共通祖先に「応神天皇」を選んだのか…? 先程の「神」を持つ名前、そしてヤマトタケルの孫だったことも相まって、気になってもいいところかもしれないですねw
継体天皇の息子、27代安閑天皇、28代宣化天皇と2人の異母兄を経て、29代欽明天皇が即位。
欽明天皇の御所は「飛鳥」ではなく「纏向」にあったのですが、欽明天皇の御世は「仏教公伝」があった時代…という文化的な一大転換期。ここから勝手に「飛鳥時代」にしちゃいました(「飛鳥時代」って元々は「歴史用語」ではなく「文化・美術(仏教美術)の用語」だったそうなので、いいかなーってw)
欽明天皇の子供たちは、代わる代わる4人も即位。その最後の33代推古天皇は、日本史上初の女帝、そして聖徳太子の時代にあたります。
2人目の女帝である35代皇極天皇(重祚して37代斉明天皇)の時代に朝鮮半島で「白村江の戦い」があり、これに敗北したことで日本は朝鮮半島での権益を失ってしまいました。
以降、日本は閉ざされた国になって、飛鳥時代末期から奈良時代にかけては「天武朝」が花開きます。
40代天武天皇は、初めて「天皇」を使った天皇だと言われています。それまでは「天皇」というより「大王」なんですねー。別に使い分ける必要がないので、一般には(ウチのブログでも)「天皇」を使ってますけどね(「大王」も雰囲気あって好きだけれども)
で、「天武朝」では「草壁皇子の子孫に皇位を…」と願った41代・持統天皇を含め、4人の女帝たちが続きますが、女帝の46代孝謙天皇(48代称徳天皇)で「天武皇統」は男系が途切れて断絶。
49代光仁天皇は、62歳という現在の即位最高齢記録。天智天皇の孫なので、皇統は「天智皇統」へ戻されて、平安時代を迎えます。
平安時代の初期は、皇位は兄弟継承。仁明天皇以降、親子継承になっていくのですが、57代陽成天皇の次は、「祖父の弟」という高齢(歴代で4番目の高齢)の58代光孝天皇が立つ珍事が発生。
さらに、62代村上天皇の後、「冷泉皇統」と「円融皇統」で両統迭立する事態にもなっています。
74代鳥羽天皇から88代後嵯峨天皇に至る、平家政権~鎌倉幕府創設という「武士の世」が到来する中では、天皇家の皇位継承も苦難が見られます。
鳥羽天皇の息子たちが代わる代わる皇位に就いているのは、鳥羽天皇のわがままが原因。これが「保元の乱」に繋がって、平家の台頭を招くことになりました。
80代高倉天皇は母が平清盛の義妹(建春門院)、81代安徳天皇は母が清盛の娘・徳子(建礼門院)という、二代続けて平家を外戚に持つ天皇。安徳天皇は「源平合戦」で平家が「都落ち」する時に連れられて行ったので廃位同然となり、やがて「壇ノ浦」で入水して歴代天皇最年少の崩御となってしまいました(満6歳)。
82代後鳥羽天皇は、鎌倉幕府をぶっ潰そうとして失敗し、隠岐へ流されてしまった天皇。これに連座して、息子や孫は全員流罪となり、乱に無関係だった後鳥羽天皇の異母兄・守貞親王のもとへ皇統が移ります(86代後堀河天皇)
しかし87代四条天皇が事故により10歳足らずで崩御してしまったので、後鳥羽皇統に連なる88代後嵯峨天皇に皇統が戻ることになりました。
そして、後嵯峨天皇がわがままをしたことが原因で「持明院皇統(北朝)」と「大覚寺皇統(南朝)」の両統迭立からの「南北朝分裂」の時代へ。
江戸時代の論争で「南朝=正統」「北朝=閏(非正統)」とされたのですが(主に「三種の神器」の所有の有無で)、現皇室は「北朝」の末裔…なんとなんと、ということになっています(・・;
江戸時代になると、108代後水尾天皇の子たちが相次いで即位していることに目が行きますね。
そこには、奈良時代以来となる女帝・109代明正天皇の姿も。母が徳川2代将軍・秀忠の娘なので、初めてにして唯一の「徳川家を外戚とする天皇」になりました。
皇統は「宮家」の存在で、なんとか保たれたシーンも幾度か。室町時代の「伏見宮」家から来た102代後花園天皇と、江戸時代の「閑院宮」家から来た119代光格天皇の御2人が、宮家出身の天皇。
121代孝明天皇は幕末の天皇ですが、各国の使節や艦隊が到来し、グローバルな時代を生きた人なので、「近現代」に入れてみました。
…と、天皇家の歴史の概要と、系図の見所の解説をやってみました。
いくつかは、ここのブログでもやりましたけど、まだまだ触れていない天皇家の歴史、たくさんありますねー。
これを網羅するなんて、中々できたもんじゃないですけどね。
というわけで、本日は以上。
こんなにも長きに渡る、世界最古の王朝、日本。
末永く続くことを祈る…これぞ「建国記念の日」ですよねと、その前日に126代の系図を取りあげてみましたー。
弥栄万歳万々歳。
以下、余談。
先月あたりに、SNSのほうで「皇紀なんて要らないでしょ」という難癖をつける発言から、炎上やら議論やらになっていたことがありました。
そやつの曰く「神武天皇なんて、どうせ実在してないんでしょ?それを紀元とする暦なんて、何の意味もないじゃん」というのが主張の根っこ…ってことみたいです。
確かに「神武天皇は実在した」の真偽ならともかく(モデルとなった人物は、たぶん存在した。作り話にしては、設定の目的が見えてこないことが多いから…史実は小説よりも奇なり)、「紀元前660年に即位した」ってのは、歴史オタクでも支持している人は少数派な気はします(笑)
なんせ、神武天皇は庚午年生まれ(単純計算で前711年)なので、51歳で即位。
崩御は神武天皇76年(前585年)。ってことは127歳没。
これをそのまま鵜吞みにするのは、右翼の皆さんなら余裕かもしれないとしても、ただの歴史オタクでは難しい…。
仮に「モデルとなった人物がいて、実際に即位していた」にしても、前660年はアヤシイ限りでない?本当はもっと後世なんじゃない?「皇紀」とやらは、もうちょっと短いんじゃない?と考えるのは当然のことですわね(^^;
でも、だから「皇紀なんて要らない」ってのは、どうなのかなぁ…?
というのも、だったら西暦はどうなんですか??というツッコミが、どうしても避けられないから。
西暦元年1月1日は、イエス・キリストが(ユダヤ教の)神との契約である「割礼」を受けた日(生まれた8日後だから。12月25日+8日で、1月1日)として制定されています。
生まれて8日目が大事なら、生まれた日(誕生日)が重要であるのとイコール。ですが、では「聖母マリア様が処女懐胎されてキリストは生まれた」って、これ史実なんですか??
「キリスト教の受胎告知」と「神武天皇が紀元前660年に即位」って、何が違うんでしょうか?
確かに、キリストのモデルとなった人物は、実在したかもしれません。でも、今後の研究で「キリストは西暦元年ではなく、もっと前の(あるいは後の)生まれでした」とか「誕生日は12月25日ではありませんでした」とかになったら、これまでの西暦は計算し直すんですか?
「"意欲に燃える"コロンブスのアメリカ到達」が1492年ではなくなったり、「"トロロおいしい"ノルマン・コンクエスト」が1066年からズレたり、「"夫婦たのしく"秦の中華統一」が前221年ではなくなったり、今更ぜんぶやり直すんですか…?
違いますよね。つまり、「史実」とかそういうのは関係なく、文化や利便性として「暦」の基準は決まっているってことです。
「皇紀」は神社などで利用される暦。神社は「神道」の拠り所であり、天皇は「神道」の祭祀王です。
そこで神武天皇紀元の暦が使われて、何がダメなん?
そんなもん必要ないってアナタ何様?
日本が好きだったら、日本に末永く暮らしたいと思う人だったら、そんなヘンテコな主張出て来ないよなぁ…って思います。
「明日から西暦はやめて皇紀に統一します!」とでも言われない限りは、「皇紀」は素敵な文化ですねってことで、いいと思うんですけどもねー。
