子供の頃
楽しい夏休みの中で
苦痛だったのは
宿題
特に自由研究と読書感想文
時間がかかるからねw

課題図書なんて
本まで指定されたら
苦行でしかないわw

小学生程度で
感想文なんて言われても
「面白かった」
「つまらなかった」
しかないよねw

私はほとんど荒筋だけの
感想文になったことを
覚えてます
だって
その本を読んでない人に
どう説明したらいいか?
となれば
感想の前に筋を説明しなきゃ
ってなるわけよ
その「面白かった」
「つまらなかった」が結論
それを言う為に
ダラダラと筋を説明する

じゃ
なぜそうなるのか?
と言えば
自分の視点が無いからなのね
色んな角度から
考察するって幅が
極端に狭いわけよ
だってまだ小学生
なんだもん
育ってるわけないじゃんw

自分の視点すら無いのに
それを文章にしろ!
とか
土台無理な話でしょ
まずは
自分の言いたいことを
文章にして表現する
って段階を踏まなきゃ
言葉の種類すら少ないし
考察も薄く中身もない
そりゃ荒筋になるしかないわなw

くだらん宿題出すよりも
存分に遊ばせる方が
よっぽどか本人の為だわ
まずは楽しむことをさせ
楽しかったことを
表現させ
それを文章に置き換える
だろ?
何の関心も無いことを
強要して
感動も無いのにそれを文章にせよ!
なんて
ただの苦行でしかないわw

ほんとはね
家庭での家族との会話
これが小学生には必要なんです
親子の対話なくして
何を学べるでしょうか
独学ってのは
自我に目覚め自立してからです
それまでは
親が鏡ですからね

いずれにしても
興味も無いことを押し付けても
何の学習にもならんです
教えよう!とか
指導しよう!とか
勉強させよう!なんて
視点が間違ってます
感想文なんてのは
まず第一に感じないと書けません
感じる感性を育てるのが先
感じたことを表現するには
色んな言葉を知らなきゃならない
その下地が整って
初めて文章の組み立てができる
文章を作るって
ある意味技術なんですよ
道具もなく
タンスを作れ!と
言うようなもん

今の私なら
読書感想文は苦行でも何でもない
いや
逆に書いてみたくなるw
以前
「桃太郎のイデオロギー」
ってのを書いたが
めっちゃ面白かった🤣
考察することが
こんなに楽しいとは思わなかった
またそれを文章にして
表現することも
楽しかったですよ
思ったのは
こういうのを
学生にさせるより
自己主張ができる大人にこそ
やらせるべきじゃないのか?
ってこと
自分が無い人間には
苦行でしかないが
自分がある人にとっては
絶好の自己主張の場になる
政治経済についても然り
主張がなければ文章にはならない
言いたいことがあって
初めて主張ができ
それを表現する文章ができる
何も感じないのなら
主張もなく文章もできません

読書感想文は
全く真逆なことをさせてるわけ
だから
苦痛でしかないんじゃない?

お父さんにはお父さんの主張があり
お母さんにはお母さんの考えもある
兄弟姉妹にもそれぞれがあり
友達にも多種多彩な感性がある
それらを会話から読み取って精査し
じゃ
自分はどうなんか?から
自己が確立されるんです
会話は大事です
自分の気持ちをどういう言葉で
相手に伝えるか?
他者の言葉をどう解釈して
どう取り込むか?
小学生のうちは
これを学ぶのが先
いきなり年寄りのすべきことを
押し付けるのは
勉強とは言えません
ましてや
感想文を書くために
本を読むって
ちゃうでしょw
何でもかんでも
縛り付けてやらせるってのは
日本人の悪いとこ
これが
感性の阻害になり
自分で物事を考える
想像力の欠如に繋がってるんです
のびのびと育てるってのは
ある意味
大人が子供を許容することなんですよ
遊んでばっかり!
でもいいじゃないですか
楽しむことから
子供は学ぶんもんですもんw