1990年代に入る頃には、ストックトンとマローンの選手としての評価は大いに高まっていた。二人は1992年のバルセロナオリンピック、1996年のアトランタオリンピックではドリームチームに選出され、金メダルを獲得している。
ガードの選手層が厚かったこの時代のNBAにあって、ストックトンは毎年のようにオールNBAチームに選ばれた。特に1994年と1995年にはオールNBAファーストチームに選出されている。
しかしチームはなかなか優勝に近づくことができず、ようやくチャンスが巡ってきたのは1997年だった。ジャズはカンファレンス・ファイナルでヒューストン・ロケッツと対戦。ジャズが王手をかけた第6戦の試合終了直前、100対100の同点という場面でストックトンが放った3ポイントシュートはチャールズ・バークレーの頭上を超え、終了のブザーと同時にバスケットに沈んだ。普段寡黙なストックトンが初めてと言っていいほど喜びを爆発させる仕草を見せ、ジャズはチーム史上初のNBAファイナル進出を決めた。
ファイナルの相手はシカゴ・ブルズだった。アウェイでの緒戦と第2戦を落とし、ホームのソルトレイクシティに戻った第3戦をジャズはものにする。
第4戦でストックトンは、NBAファイナル史上に残る名プレイを見せた。残り時間1分、72対73でジャズが1点を追う展開で、マイケル・ジョーダンのシュートミスをストックトンがリバウンド。直後にそのままコートの反対側まで放ったパスは、ジャンプしたジョーダンの手の先をかすめ、カール・マローンに届きマローンがレイアップを決め、ジャズは逆転に成功。ブルズはその後追いつけず、シリーズは2勝2敗とタイになった。
しかしその後の2試合はジョーダンの活躍もあり、ジャズは2勝4敗で優勝を逃す。
翌1997-98シーズンは開幕前に左膝遊離軟骨除去手術を受け、開幕から18試合欠場したが、2年連続でNBAファイナルに進出し再びブルズと対戦。このシーズン、ジャズはホームコートアドバンテージを得ていたものの、ホームでの第2戦を落とし、アウェイでの第3戦は大敗を喫し、第4戦にも敗れてしまう。ホームに戻った第5戦は勝利するが、第6戦はジョーダンを止められず、優勝を果たせずに終わる。
この頃にはストックトンとマローンは30代後半になっていた。ウェスタン・カンファレンスではサンアントニオ・スパーズやロサンゼルス・レイカーズが台頭しており、以降NBAファイナル進出を果たすことはなく、2003年5月2日に引退を表明した。
2004年11月22日にジャズの本拠地、デルタ・センターで引退セレモニーが開かれ、彼の背番号「12」はジャズの永久欠番となった。また現在、デルタ・センターの前には、彼の雄姿のブロンズ像が設置されている。