第一報はインターネットだった。
しかし、第一報はことの重大性が分からない程度の情報量だった。
まずはスタッフを集めて「日本で大地震があった。情報を収集してくれ」という指示を出した。
すると、その後、同僚の駐在員たちが騒ぎだした。
私のところにも来て「家族と連絡ついたか?」と聞いてくるに及んで私も事態の深刻さに気がついた。
そうか、自分の家族にも関わってくる話だったんだ。
東北地方の地震だと思っていたので、家族が千葉にいる自分には直接の関係はないと思っていた。
ところが、全く電話が通じないのだ。
しばらくは、業務上の情報収集と指示を出しながら、一方で家族に連絡を続けたが全く通じない。
大阪や京都の親戚に電話してそちらからも千葉へ電話をしてもらうがこれも通じない。
途方に暮れかけた夕刻、向こうから電話がかかってきて安否が確認できた。
最初の数日、とても怖かった。
テレビを見るたびに、数時間ごとに、どんどん新しい事態になっていくのでテレビから離れられない。
現地にいないので、テレビをつけていないと事態がつかめない、という焦燥感。
精神的に良くないのは分かるけれど、見ずにはいられない。
一種の強迫観念。
朝。
テレビをつけるのが怖い。
昨日よりもひどいことになっていたらどうしよう。
そう思いながら、スイッチを入れていた。
少し日がたって事態が分かってくると、公私両方への影響が出てきた。
原発事故による影響が特に大きい。
日本からの輸入部材が多いので生産ラインへの影響が避けられない。
どこまで稼働できるのか、代替部材を入手できないか。
一方で、そんなことをしてていいのだろうか・・・とも思った。
何か、直接的にできることはないのか?
自分はマレーシアにいていいのだろうか?
おまえ、日本人だろう、と。
でも、結論はこちらでがんばろう、と決めた。
日本が弱ってる今、こちらで生産をキープして日本側の穴埋めをできればそれが間接的な
助けになる、そう信じることにした。でも、がんばりすぎて体調を崩した。
家族は一時的に関西に避難していたが千葉へ戻ってきた。
原発の状況を考えると早すぎるのでは、と思ったが本人たちが「やっぱ、自分の家が一番」と
言っており、それ以上言えなくなってしまった。
僕はJCO(茨城県東海村)の臨界事故で被ばくしている。
あの現場と川を挟んで隣接している日立市内で当時、勤務していた。
事態を知ったのは夕刻。
あの日、9月30日は決算締め日だったのだが、在庫数量がどうしても合わないので
棚卸作業を屋外でやっていた。
なのに、臨界事故を知ったのは夜の6時過ぎだった。
遅すぎる知らせ。
とにかく、会社の同僚と山奥の温泉宿へ逃げた。
政府は「家から出るな」と言っていたが、中性子線くらい知っている。
あれは建物など透過してしまう。
なにより、昼間すでに被ばくしてしまった。
あの日から、日本政府の言うことは信じなくなった。
混乱を防ぐためとかいろいろ理由はあると思うけれど、正しい情報は伝えられなかった。
身を守るのは自分の判断だと思った。
そして、今回の原発事故。
私は両親を千葉においていて、今の事態をどうとらえればいいのか分からないでいる。
自分なら千葉にはいない。
でも、それは両親には強制できない。
多分、数千万の人が首都圏にとどまっているので安心しているのだろう。
それでいいのか分からないので、多分、この先どこかで後悔するのかもしれない。
原発を使っている以上、それを受け入れていることになる。
今更反対は言えない。
恩恵にあずかっている身としてはムシが良すぎるだろう。
その、負の側面を思い知らされるのはこれで2回目。
これが日本という国のリスクなのか。
しかし、第一報はことの重大性が分からない程度の情報量だった。
まずはスタッフを集めて「日本で大地震があった。情報を収集してくれ」という指示を出した。
すると、その後、同僚の駐在員たちが騒ぎだした。
私のところにも来て「家族と連絡ついたか?」と聞いてくるに及んで私も事態の深刻さに気がついた。
そうか、自分の家族にも関わってくる話だったんだ。
東北地方の地震だと思っていたので、家族が千葉にいる自分には直接の関係はないと思っていた。
ところが、全く電話が通じないのだ。
しばらくは、業務上の情報収集と指示を出しながら、一方で家族に連絡を続けたが全く通じない。
大阪や京都の親戚に電話してそちらからも千葉へ電話をしてもらうがこれも通じない。
途方に暮れかけた夕刻、向こうから電話がかかってきて安否が確認できた。
最初の数日、とても怖かった。
テレビを見るたびに、数時間ごとに、どんどん新しい事態になっていくのでテレビから離れられない。
現地にいないので、テレビをつけていないと事態がつかめない、という焦燥感。
精神的に良くないのは分かるけれど、見ずにはいられない。
一種の強迫観念。
朝。
テレビをつけるのが怖い。
昨日よりもひどいことになっていたらどうしよう。
そう思いながら、スイッチを入れていた。
少し日がたって事態が分かってくると、公私両方への影響が出てきた。
原発事故による影響が特に大きい。
日本からの輸入部材が多いので生産ラインへの影響が避けられない。
どこまで稼働できるのか、代替部材を入手できないか。
一方で、そんなことをしてていいのだろうか・・・とも思った。
何か、直接的にできることはないのか?
自分はマレーシアにいていいのだろうか?
おまえ、日本人だろう、と。
でも、結論はこちらでがんばろう、と決めた。
日本が弱ってる今、こちらで生産をキープして日本側の穴埋めをできればそれが間接的な
助けになる、そう信じることにした。でも、がんばりすぎて体調を崩した。
家族は一時的に関西に避難していたが千葉へ戻ってきた。
原発の状況を考えると早すぎるのでは、と思ったが本人たちが「やっぱ、自分の家が一番」と
言っており、それ以上言えなくなってしまった。
僕はJCO(茨城県東海村)の臨界事故で被ばくしている。
あの現場と川を挟んで隣接している日立市内で当時、勤務していた。
事態を知ったのは夕刻。
あの日、9月30日は決算締め日だったのだが、在庫数量がどうしても合わないので
棚卸作業を屋外でやっていた。
なのに、臨界事故を知ったのは夜の6時過ぎだった。
遅すぎる知らせ。
とにかく、会社の同僚と山奥の温泉宿へ逃げた。
政府は「家から出るな」と言っていたが、中性子線くらい知っている。
あれは建物など透過してしまう。
なにより、昼間すでに被ばくしてしまった。
あの日から、日本政府の言うことは信じなくなった。
混乱を防ぐためとかいろいろ理由はあると思うけれど、正しい情報は伝えられなかった。
身を守るのは自分の判断だと思った。
そして、今回の原発事故。
私は両親を千葉においていて、今の事態をどうとらえればいいのか分からないでいる。
自分なら千葉にはいない。
でも、それは両親には強制できない。
多分、数千万の人が首都圏にとどまっているので安心しているのだろう。
それでいいのか分からないので、多分、この先どこかで後悔するのかもしれない。
原発を使っている以上、それを受け入れていることになる。
今更反対は言えない。
恩恵にあずかっている身としてはムシが良すぎるだろう。
その、負の側面を思い知らされるのはこれで2回目。
これが日本という国のリスクなのか。