道東旅行始末記(駆け足) | ゴンブロ!(ゴンの徒然日記)

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前回ほんのサワリだけでしたので、今回写真主体で駆け足で御紹介です。


5月22日(木)-5月25日(日)にかけて、奇跡的に中標津空港アウトのマイレージが取れましたので、道東に行って参りました。
一番の目的はサハリン向けD51-27(三菱重工三原製)の実車が保管されている旧西春別駅前の別海鉄道記念館ですが、その他貪欲に札幌グルメ、釧路湿原、釧路グルメ、旧中標津駅、根室、花咲港、根室グルメ、納沙布岬、トドワラ、旧根室標津駅と回ってきました。

回ったエリアを以下図示。

新千歳や札幌にも行っていますが、以下の地図の外にあります。


5月22日(木)

新千歳⇒札幌⇒市内散策⇒釧路行高速バスで移動

札幌駅には711系が居ました。来年には運用から外れるとの噂。
ゴンブロ主宰者幼少のみぎり、北海道に特急より早い急行電車、しかも全行程途中駅通過というスゴイ
列車があると聞き、胸を熱くしたものでした。(急行「さちかぜ」)



夕食はジンギスカン「だるまや」で。
実は東京生活満二年ですっかり二郎ファンになってしまった、ゴンブロ主宰者ですので
ネタとして、ラーメン二郎札幌店に行くか、地元の王道だるまやに行くか迷いに迷い、
結局、コペルニクス的転回で、両方に行くことに(笑)
写真はすでに二郎を食べた後、訪問したダルマ屋の写真ですが、さすがにジンギス
カンは辛かったです。
食いが芳しくなかったのか店のおばちゃんに叱られもしましたが、いい思い出になりました。





二郎やらジンギスカンやらで、スゴイことになっているので、駅前温泉で体を清めてから夜2330頃出発の釧路行夜行バスに乗車。
バスは非常に快適でした。


5月23日(金)

釧路⇒茶内⇒釧路⇒釧路湿原⇒塘路⇒標茶⇒(旧)西春別駅⇒(旧)中標津駅⇒根室


道東は朝が早い。5時台ですが既に日が高いです。
市場で朝ごはんを食べる所、朝早すぎるので、根室本線下り一番の快速はなさきで行ける所まで行って折り返してくることにしました。


茶内駅のキハ54

同じく茶内駅。道東の澄んだ青空にキハ54が映えます。


交換で到着した根室発上り一番の5624D(茶内駅)
ご覧の通り、線路状態はあまりよくありません。

5624D 茶内駅入場。
この列車でいったん釧路まで戻ります。



根室本線の典型的な姿。
枕木はPCは殆どなく、文字通りの枕木。
湿原地帯が多いので、敷設ケーブルは電柱形式になっており、何となくかつての日本の鉄道の原風景のような光景です。
根室本線で釧路に戻り、駅前の和商市場で「勝手丼」を速攻で食べて、今度は釧網本線で釧路湿原に向かいます。




釧路湿原駅
無人駅ですが駅は綺麗に整備されています。

駅近くの展望台から見た釧路湿原と阿寒岳


列車の本数が少ないので、列車・バス移動ですと、一本乗り逃すと大変なことになります。
「くしろ湿原ノロッコ2号」で塘路まで向かいます。



観光の拠点(乗継駅?)になっている塘路駅。ここも無人駅ですが駅舎は新しくポーランドあたりにありそうな感じです。




塘路駅のDE10


ノロッコ号はここ塘路で折り返して釧路に戻りますが、西春別へ行くには更に釧網本線を北上する必要があります。
更に下りに乗り換え。




塘路駅に到着した下り4730D
湿原地帯を抜けると牧畜地帯が広がっていました。


標茶駅到着12:37


標茶駅には「SLのふるさと」の看板が・・・
ここから旧標津線代替バスが1989年の標津線廃止以降25年を経過した今も走っており、バスに乗車して旧西春別駅に向かいます。乗客は自分ひとり!


バスに揺られること約1時間で旧西春別駅にある、別海町鉄道記念館に着きました。
既報の通り、地元の方の鉄道への愛着が深く感じられる素晴らしい施設です。
屋外展示のD51-27等は以前御紹介しましたので、今回は館内の展示から少し御紹介。



転轍機



西春別駅のプレート


実車の銘板。この三菱重工の銘版はDD51のものでしょうか?
幹線用のDD51が標津線には入線していたかちょっと怪しい所ですが、三原工場のものに間違いありません。
日車昭和17年の銘版も気になります。



1989年当時の運賃表
きちんと大阪市内の料金も記載されているのが素晴らしい所です。
1989年というとつい昨日のような気がするのですが、もう四半世紀も前なのか・・・


1989年当時の時刻表と思われます。
標茶方面6本、中標津/根室標津方面7本のダイヤ。


これは現在の代替バスのダイヤ
土日減便はあるものの、やはり標茶方面6本、標津(昔の根室標津駅)方面7本のダイヤ。



旧西春別駅のあたりはいまだに地名としての西春別駅前が残っていました。
付近の道路標示もこの通り

旧西春別駅前近くの電気屋さんの看板
東芝提供の光速エスパーの看板!
光速エスパー放映は1967-1968年ですから、下手すると40年以上この看板ということか。
大変なレアものと思われます。


旧西春別駅前から乗継地 中標津まで再び代替バスで移動。
このあたり、田んぼなく畑なく、牧畜地帯が広がっているので日本離れしています。




夕方中標津に到着
中標津の町立図書館の児童書コーナ(読み聞かせブース)には旧標津線を図示するタペストリーが飾ってありました。地元の方の変わらぬ愛着を感じました。


中標津バスターミナルがあるところは旧標津線 中標津駅の跡地です。
建物の裏には映画「家族」の碑が立っていました。
1970年の鉄道映画の名作です。
ゴンブロ主宰者は残念ながら未見ですが、1970年頃の「暮しの手帖」に何故かシナリオが載っており、1970年代後半、暮しの手帖バックナンバーを自宅で見て、あの何とも言えない展開には愕然とした記憶があります。
山田監督が寅さんと前後して、失われつつある日本の原風景を残そうとして、鉄道風景を意図的に織り込んでいるので、今改めて見ると発見が多いかも知れません。


見えづらいですが、5月23日という時期にも関わらず、気温3度。
結構冷え込みました。

中標津バスターミナルの一室は小さな鉄道博物館となっており、バスの窓口にお願いすると中を見せていただけます。
館内にあった旧中標津駅の駅名標

通票閉塞機

中標津バスターミナルは中標津空港も近く、中標津空港/根室行き空港バスが立ち寄ります。
夕暮れ、根室交通のバスに乗車。

根室駅には19時30分ごろ到着。
空港バスというのに乗客は4人程度でした。

早速駅に行ってみることとします。


すでに有人窓口は閉鎖されており、ホームへの立ち入りもできない状態に。
根室本線といっても、優等列車はなく、輸送単位が少ないのでは仕方がない処置でしょうか。
しかし、何となくこの時刻表表示と言い、改札の時間制運用といい、一昔前の韓国の鉄道をほうふつとさせます。最近韓国に行っていませんが、1980年代の慶州駅あたりはこんな感じでした。

5月24日(土)

根室市内⇒花咲港⇒根室市内→(車)→納沙布岬→根室市内





今回、根室から北方領土をこの目で見るということを目標としていたのですが、滞在中、あいにくの天気で、せっかく島が見える宿の上層階を確保していたのですが残念でした。
ただ、日本最後の桜を見られたのには感激。
根室市内の桜です(チシマザクラ)



根室市内の道路標識は英露併記です。
かの佐藤大輔先生の名著「征途」における日本民主主義人民共和国の雰囲気が少しばかりは追体験可能か・・・x
インフォメーションセンターもここでは「インフォルマーツィオニュイ・ツェーントル(Информационный центр)」と呼びたい所です


根室市役所も英露併記




あいにくの天気ですが、根室から少し西に行った花咲港エリアに観光に行くこととし、あえてバスではなく、列車と徒歩で移動開始です。
根室駅には日本最東端有人の駅との看板が・・・


558発の5624D(朝一番列車)
客は十名程度。


根室から二駅目の花咲駅で下車。
非常に寂しい所でした。



東に向かって走り去る5624D



花咲の灯台や天然記念物の車石など見た後、花咲港へ。
街にはロシア語の看板があふれていますが実物のロシア人は見かけず、地元の方に聞きましたが、まあ色々あって、現在ロシア人の入港は激減したとのこと。
かつては花咲カニを持ち寄るロシア人が多かったそうですが。


付近の看板
日本の法律を守りましょう、やってはいけないことはやってはいけません、として禁止行為を列挙していますが、無許可上陸、無許可漁獲物(カニ)持ち込み、無許可自動車運転・自動車持ち出し、銃器・麻薬持ち込み等々 リアルな裏打ちがないとこれだけ書けないであろう、という内容です。

付近散策、食事の後、根室市内にバスで戻りました。
バス停の表記は日露。


帰路東根室駅によりました。

ここは日本最東端の駅です。
根室は有人日本最東端。こちらは無人駅ですが本当の最東端ということ・・・

13:52分の釧路行列車



何せ本数が少ないので、タイミングをあわせるのに一苦労です。
一旦市内に戻り、レンタカー屋で車を借りた後、納沙布岬へ移動。

納沙布の灯台と奪還祈念碑

岬からは水晶島沖に浮かぶ灯台やロシアの巡視船が見えました。
天気が良い日は歯舞諸島が見える筈ですが、あいにく視界が悪くこの程度しか見えず。



北方領土返還を祈念して建設された四島(しま)のかけはし。
灯っている炎は沖縄から(沖縄返還時の)1972年に取り寄せた炎で、これを24時間燃やすという構想でしたが、経費節減の為、今では日中のみの点灯に変更された由。
それにしても、観光シーズンからは外れているとはいえ、一応土曜日でしたが、駐車場もガラガラで、人が少なかったです。夏には混むのか?


付近の北方館に飾ってあった政治家来訪の写真の中に、中川一郎氏の姿がありました。
悲劇の最期を遂げる1983年の前、1981年夏の撮影です。
中川一郎氏に続き、子息の中川昭一氏も非業の最期を迎えることになるとは。

今回旅行の目的の一つ、フラリ バス停の訪問。
幹事で書くと婦羅理。かつての根室拓殖鉄道の駅が近くにあった筈です。




かつての日本最東端の郵便局だった珸瑤瑁(ごようまい)郵便局跡では道路をキタキツネが横切っていました。

5月25日(日)

根室市内→厚床駅→(旧)西春別駅→トドワラ→付近観光→中標津空港→羽田

最終日天気が良ければ日本一早い日の出(3時半頃)を納沙布岬に見に行くつもりでいましたが、やはり天気が悪いので、断念。
丁度旅先で、西春別駅のD51-27の再チェックが必要と判明したので、早朝アタックすることとしました。
写真は根室郊外の道路。
こんな感じでシカ注意の看板や警告がやたらと出ていますが、本当にシカが道路に飛び出してきて、大変驚きました。

根室から西に車で約45分の厚床駅。


ここから中標津まで標津線が走っていたのですが、当時の設備は確認できませんでした。
(駅中に標津線についての記念プレートは残っていました)



厚床から別海町を抜けて、西春別駅跡へ。
道路はこんな感じで、ひたすら直線が続きます。
朝早いせいか対向車も殆どありません。

付近の海岸ではこんな看板も立っていました。

少々迷いながら約2時間で(旧)西春別駅に到着。
上の方でも触れましたが、廃止から25年がたった今でも道路標識にもはっきりと「駅前」の表記が残っているのは嬉しい所です。

第二回目となった同日の訪問で、車体下部を含めたD51-27の徹底再調査を行ったことは既報の通りです。
ようく見ると鉄道記念館の正面にはD51の姿も。

(既報)D51-27




再び海岸線に戻り国後島が右手に見えるエリアを車で北上。

海に面した尾岱沼(おだいとう)の道の駅。

彫刻「叫び」は四島を向いています

リアルな造形です。

鉄道とは関係ありませんが、トドワラを訪問。


野付半島トドワラから見た国後島の風景


だんだん時間がなくなってきたので、旧根室標津駅近くの標津羊羹(名物)の本店で早々にお土産を購入し、中標津空港に移動します。
時間なく、転車台が残るという旧駅舎跡に行けなかったのが心残りでした。


根室中標津駅の次にあった川北駅跡地にはキハ22の展示がされていました。


レンタカーを返却して中標津空港着は2時間前。
ちょっと余裕がありましたが、これ位が初見の場所ではいいくらいです。
帰りのフライトは緊張が解けたのか熟睡しました。
駆け足でしたがぎゅうぎゅうにスケジュールを入れたおかげでミッションCompleteです。

もう本当に羅列の記録となりましたが、以上です。

それではまた!