実はここにやってくるのは1976年か1977年に親を説得して、ゴンブロ主宰者父と乗車しに来て以来なので三十数年ぶりです。(当時は都電体質改善の寸前で、まだワンマン化されておらず、完全ツーマンカーの世界でした。)
車庫入口から撮影
左の9000は二両あるのに平日には殆ど乗車チャンスがありません。2010年製の最新型の筈なのに何故だろう?
1998年に引退していた7500型
ノーステップ化、裾の拡大化された後の姿は、あまり好きではなかったんだけど、今にして思えば、1970年代後半の段階でバリヤフリーを目指した当時の都電担当者は慧眼でした。
![都電5501](https://stat.ameba.jp/user_images/20120729/18/gon-xiaodao/15/37/j/o0800106712105160426.jpg?caw=800)
以前は確か上野公園に保管されていたはずですが、移動してきたのね。
塗装がかなり薄く見えますが、確か5500だけ先行でクリーム塗装でデビューし、その黄色は後世の一般都電色と比較してかなり薄かったといわれるので、これは考証的に正しいのでしょう。菱形系統板がポイント・・・
![都電5501運転台](https://stat.ameba.jp/user_images/20120729/18/gon-xiaodao/a7/0c/j/o0800060012105160429.jpg?caw=800)
運転台に主幹制御器(マスコン)やブレーキがないことに注目。
運転は全てこの足踏みペダルによる操作でした。確かどちらかのペダルがデッドマンズペダルです。(常時踏んでないと、自動的に制動がかかるようになっている仕組み)
米国のPCC車直輸入とは言え、昭和20年代後半の技術とは思えない先進的な構造です。
当時の技術から懸隔した車輛の導入に、一般の運転手からは戸惑いもあり、1967年の都電第一次路線網廃止の際に同車も廃止されてしまいました。
それにしても都電が一路線だけでも残って本当に良かったです。
休日都電に乗っていても頻繁に来るし、客も多いし、完全に地元の足になっているようで、ちょっとうれしい気分です。
都電といえば、「暮らしの手帖 15号(1971年発行)」には「そして下町から消えていく」と言うタイトルで福神橋/須田町間に残存・廃止間近だった都電24系統の特集があり、必見です。Rail Fanの完全盲点だろうなあ。
1970年代後半、ゴンブロ主宰者が小学生の際に、ゴンブロ主宰者母が「暮らしの手帳」を購入していた関係で、自宅にあったバックナンバーでこの号を見つけ、その滅びの美学みたいなものを読んだ時の衝撃は今でも覚えています。(大体この記事も今も記憶で書いている程です)
他の方のブログですが、以下に少しだけさわりの記事も載っているのでご覧ください。
http://go2otonari.exblog.jp/17355005/
暮らしの手帖は何故か、エコの観点からか、路面電車特集がこの後もあり、1974年の31号では長崎電軌の特集がありました。(これもゴンブロ主宰者の記憶。こちらは15号とは異なり「車に負けぬ長崎電軌」という切り口でしたが、全形式の個別カラー写真も載っており、明らかに主婦層には受けない内容でした。こういう暴走好きだなあ)
なんだか随分昔のことも思い出してしまいました。
それではまた!