さきにブログに書いたが、冬の桜木を見て感動する人はあまりいないだろう。


だが、私はその下をくぐり行くとき、橙色の枯葉をまとった木々に美しさを感じる。


年の瀬には木の葉が舞い落ち、枝は纏うべく飾りを全て失う。まるで素の姿で厳冬を越えるのだ。


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寒さを耐え忍んだ果てに宝石のような蕾が芽吹き、やがては薄紅の花がここぞとばかりにひしめき合う。


頭をもたげた枝々の下で、人々は一年のうちで最も美しい宴を堪能する。


自然の摂理を回想しつつ、ふと我にかえる。


そうだ、一年の垢を落とさねば。大掃除もしよう。


まずは桜木のように裸一貫になって一年をスタートしてみよう。


来年は大輪の花が咲くだろうか。


まもなく来たりし平成25年。


皆がそれぞれに美しき花を咲かせ、美酒に酔いしれんことを願って。


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朝ランで自宅から程近い綾瀬川を北上し、折り返して南下するコースを走っている。


この季節は北風も強く、往路は風との戦い、いや風との対話を楽しみながら走る。


寒い日は耳元がキーンと冷たくなり、身体の芯まで寒さがしみわたる。


春になると満開の桜を楽しめる遊歩道も、いまは枯葉が舞っている。


色褪せた葉をまばらに纏った桜の枝に語りかける人は誰もいない。


春にたくさんの人がこの桜の木の下で賑やかに宴を開いていたことをふと回想する。


桜花最盛の季節との余りにも大きなギャップに、枝々の下をくぐる度になぜか哀愁を感じてしまう。


冬の復路は、追い風のことが多い。


同じ道を戻っているだけなのに、風向きが逆なだけでその印象はがらりと変わってくる。


追い風は身体がポカポカになる。ヒューヒューと耳をかすめる風切り音もピタッとやむ。


次第に昇り行く太陽を正面いっぱいに浴びながら戻り走る。これも楽しみの一つ。


残りあと数キロで大好きな場所にさしかかる。


川面に陽光がはね返り、朝のパワーがあふれる場所。ここを通過すると、不思議に心地よく、全身にパワーがみなぎる。


私にとって、朝ランは日常生活で自然と対話できる唯一の場なのかもしれない。



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11月18日(日)。「戸田マラソンin彩湖2012」ハーフの部に出場。


強い北風が吹き、空は快晴。ぽかぽか陽気のなかレースは始まった。


一週間前のハーフマラソン大会では、序盤突っ込み過ぎたため、中盤から終盤にかけて苦しい展開になってしまった。


おまけに19kmからスパートの予定が脚の疲労あるいはエネルギー切れからか、スパートどころか大失速。もたもた、ふらふらジョグのゴールとなってしまった。


この悔しい失敗を繰り返さぬよう、今回は、


①突っ込まず、スタートから4分30秒のイーブンペースを崩さず走る。


②ラスト失速懸念から、パワージェルを持参。1時間経過したら補給。


と、対策を講じる。


ほぼ先頭に近いポジションからスタート。最初の1kmは向かい風。ラップタイムは、4′10″。無風では4′00″位のイケイケペースで完全な突っ込み過ぎ。ここは、落ち着いてペースを落とす。(先週はこれができなかったため沈没した)


続く2㎞から3㎞は横風。予定どおり落として走ったつもりが4′20とまだ速い。その後の2㎞は、追い風に乗って4′20″ペース。これは無風ならば4′30″だから良し。


ポールを折り返して2㎞は向かい風。4′40″。その後もおよそ2㎞毎に20秒ずつ貯金しては払うというアベレージ4′30″巡行を繰り返す。


中間点でパワージェルも飲み、さらに貯金、払い出しを繰り返す。ここは忍耐あるのみ。


ラストの失速もなく、ややスパートしながらのゴール。なんとかアベレージ4′30″を死守することができた。


強風のレースは何と言っても経験がものをいう。向かい風は風向きをよく見極めて、必ず前方のランナーを風除けにして走る。これで相当スタミナを稼げる。


そして、何と言っても大切なのが風に行く手をはばまれても絶対に諦めない精神力。


向かい風では、ペースが極端に落ちてしまい、その日のレースを捨ててしまいがち。私も何度も気持ちが切れたことがある。


そんなとき、追い風でタイムを取り返そうという気持ちあれば、レース展開は大きく変わる。(もちろん練習積んできて地力があればの話だが)


山は登れば必ず下る。だから、とにかく正念場で粘る。諦めなければ「海路の日和」は必ず訪れる。


ところが、その日和に出遭うまでの風との格闘が想像以上にきつい。窮地での周囲のランナーとの根性試しもレースの醍醐味といえる。


以前、本当によく練習していた時は向かい風でもガンガンいけた。周囲のランナーは次々に後方に消えて行った。こんな私にも、前方を走るより速いランナーの背中を次々にステップしながらスイスイ走れた時期がある。そのときは、風が自分だけを味方してくれていると感じた。

ところが、いまの自分にはそんな余裕もない。だから、歯を食いしばって、どんぐり同士の背比べだ。


今回は、スイスイは行けなかったがしぶとくしがみつくことだけは完遂できた。


いまの私は完全に練習不足で、風は大敵である。だが、風がいつ何時も味方であった経験が、私をまた練習に誘い込むのだ。


もう一度、風と仲良く走れるまで練習を重ねてみよう。


北風が、いまやるべきことを想起させてくれた一日だった。


ああじゃない、こうじゃないと、日々軌道修正にて精進な人生。終わりなき課題に支えられて生きている。



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物事はそこに「あるがまま」に存在している。


自然に佇んでいる。


なのに、人間はこうあるべきだとか、ああじゃなきゃいけないとか自論を展開して捻じ曲げる。


人間の自我、欲望が地球環境を破壊してきた歴史はその集大成だ。


さてさて、今日はそんな偏屈な人間の話。


私自身、意固地な自分を抑えられず随分と遠回りな人生を送ってきたなあと感じている。


力を抜いて世の波に乗ればいいのに、いやいや人一倍やらねばとか、俺はそっちにはいかないとか、ずいぶんと鼻息が荒かった。


自然体あるいは平常心ってのは、簡単そうでありながら実は最たる難題なのかもしれない。


ときに盲目にもがき苦しむこと、遠回りすることについては賛否両論あろう。


だが、このプロセスなくして辿りつけない世界もたくさんあることは事実。


スポーツなど人間の活動は、一通り失敗して初めて本筋に辿り着けたりする。


くたくたに疲れ果てて、初めて力の抜けた自然な姿かたちになっていたりする。


意識や筋肉がコントロール不可能になったときに、本来あるべき姿が蘇生するから人間て不思議だ。


永遠(とわ)の眠りは未だ早い。ならば、何度もくたばって甦ろうじゃないか。


がむしゃらに走ろう。すうっと力が抜けるまで。

前回ブログに書いた「自分力」。


「自分だけ?」などと若干解釈に行き違いがあるようなので一筆。


小学生のとき。父の車で家族そろって母の郷里群馬へ里帰り。


父は忙しい中、家族のためにと金曜の仕事が終わってから出発とした。


ところが父は疲れていて機嫌が悪い。せっかくのプチ旅行もピリピリと緊張したムードになってしまった。


そんな気まずい雰囲気が家に帰って来るまで続き、父のストレスが家族全員に感染してしまったかのようだった。


私は子供ながらに、「これなら行かなきゃ良かったな」と思った。


父は家族のためにと、約束した里帰りを強行スケジュールを押して決行した。


だが、その優しさ、思いやりはもはや家族の誰一人にも通じていなかった。


自分に余裕がない中では、心のこもったもてなしも周囲の反感を招いてしまったりする。


だからこそ、「まず自分ありき」という発想が大切、と私は言いたい。


自分が元気じゃなきゃ、「元気出しなよ」なんていう激励も軽い上台詞と化してしまうのだ。


周囲に働きかける前に、いかに自分をみつめるか。どう自分を管理するか。


同じ生きるなら笑顔を感染させる源になろうではないか。



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