ベンチレーターはパートナー~人工呼吸器と共に地域で生きる子どもたち~
平成24年5月26日(土)13時30分~15時30分 (13時受付開始)
場所:静岡医療福祉センター4階研修所
講師:折田みどりさん、涼さん親子(バクバクの会)
バクバクの会 人工呼吸器をつけた子の親の会
ものすごい「衝撃」と「希望」を私に与えてくれた講演会!!
4月上旬 車椅子の元静岡市議会議員渡辺正直さんから
昨日(5/26)の講演会の案内がメールで送られてきた
障碍者の地域での自立生活。今でも信じられない人がいるかもしれない。
でも、渡辺さんを始め、多くの障碍者の方々は、人間として当たり前の気持ちを持って
私たちの街で自然に一人暮らしなど、自立して生きています。
例えば、渡辺正直さんは、手足が不自由だけれど口は達者。市議会議員もやった。
ヘルパーさんとも、自由に会話ができる。出かける時は、電動車椅子。
色んな集まりなどで、たまに会う私とも軽い会話をいつもできる。
PCを使いこなして、メールもできるから、この講演会の案内もくれた。
でも、昨日の折田涼君は、そんな程度でなかった。
いきなり壇上に登場した時は、
「人工呼吸器で生きる」子供たちとは、
寝たきり、「植物人間」に見えた。
つまり、自分の意思を持たないで、ただ寝ているだけにしか見えなかった。
でも、ボランティアの方が代読しながら、プロジェクタで映し出される画面とともに
折田涼君が生まれてから、今日までが語られる中で、
自分の「先入観」が間違っていることに気づき、とても恥ずかしくなった。
当たり前ですね。声を出して、自分の喜怒哀楽を表現できない人は「植物人間???」
と思ってしまうことが、私自身の視野の狭さでした。
それって人の心がないみたいな表現ですようで、ホントに恥ずかしい・・・・・。
涼君が生まれた23年前は、
人工呼吸器を使う場所は病院に限られ、
『人工呼吸器をつけた子が外出・外泊できる」ことは、想像もできなかった
ことからの転換期だったようだ。
小学校、中学校を友達と過ごし、高校へも進学し、大阪から北海道への
2泊3日の修学旅行にご両親抜きで、参加したのです。
涼君の回りにはいつも友達がいて、いつも誰かが人工呼吸器の様子を気を使い、
一緒に、食事をし、笑い、普通に楽しく過ごしたのです。
私は講演会を途中で失礼したのですが、その帰り際
会場の外の廊下で涼君と名刺交換をして、ほんの少し話すことができました。
私の声は聞こえているようで、Yesの場合は、眼を上に上げる。(上目にする)
Noの場合は、眉間にしわか、眼をキョロキョロさせる。
会話はその、Yes・Noだけ。
その方法で高校受験も一度は失敗したようですが
付き添いボランティアの先生が、回答をYes・Noで聞き出し
回答し、見事2回目で高校に合格したとのことです。
その表現力で、家出?もしたり、海外旅行もしたり
そんな23年間が、づっ~と語られたのです。
とにかく、PCによろスライドショーとともに
ヘルパーの方が代読する折田涼さん22才のお話しが30分以上続きました。
講演のあとに、
「涼君の姉です。趣味はベリーダンスです。…・・・」
とひょうきんな語り口で登場したのは、お母さんの折田みどりさん。
明るく語り続ける彼女から
「この母にして、この子あり」
いや、ひょっとして、「この子にして、この明るい母あり」
と思えました。
一見無表情に見える「人工呼吸器をつけて寝たりきりの涼君」
しかし、そのYes・Noだけの表現力で、回りの友人をつくり
この明るいお母さんを創った。
友人とは、特別の人たちではなく、偶然同じ学校や地域に居合わせた子供達。
彼にはそうして、ネットワークを創るエネルギーがあるのだと感じました。
もちろん、涼君がひとり暮らしをするためには(もうお母さんを離れ一人暮らしをしている)
ヘルパーさんの公的介護給付があるからだそうです。
これも社会の仕組み。もっと介護給付があれば自由になれる と訴えた。
わたしの夢
世界を旅して、世界中に友達をつくる
呼吸器をつけていてもどんな障害があっても
当たり前に地域の中で自立して生きられる社会の実現!
それが私の生きる道
涼君の講演は、この言葉で締めくくった。
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以下は、
バクバクの会 人工呼吸器をつけた子の親の会のHPから
「バクバクっ子・いのちの宣言」文
<ひとつ>
わたしたちは、みんな、つながっているにんげんです。
いっしょうけんめいにいきています。
<ふたつ>
いま、せかいは、いのちのじだいです。
わたしたちには、そのいのちを、ひとりのにんげんとして、
たいせつにすることが、もとめられています。
<みっつ>
どのいのちも、ころしても、ころされても、じぶんでしんでもいけません。
とおといしにかたは、ありません。
とおといいきかたと、とおといいのちがあるだけです。
<よっつ>
わたしのかわりも、あなたのかわりもありません。
わたしたち、にんげんは、わたしのいのちを、せいいっぱい、
いききるだけです。
<いつつ>
わたしたちは、わたしたちのいのちをうばうことをゆるしません。
わたしたちは、わたしたちをぬきに、わたしたちのことをきめないでとさけび、
ゆうきとゆめ、きぼうをともだちに、にんげんのいのちのみらいにむかいます。
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<付録>リンク
バクバク・ボーイ 折田 涼さんの高校卒業記念(?)ハワイ旅行記
・ アロハ旅行記(1)
・ アロハ旅行記(2)
・ アロハ旅行記(3)
難病と倫理研究会 人工呼吸器をつけた子と親の会 大塚孝司
※声だけの動画です