もはや日本でもっとも古い歴史を誇る名車のブランドになった感もある
スカイライン。
その起源は、今はなき「プリンス自動車」のミディアムクラスとしての誕生でした。
やがて歴史の過程で日産自動車と合併し。
この国の明け方で華麗にグランツーリズモを提案し続けてきたスカイライン。
確かにGT-Rはじめ、派生車種も豪華な顔ぶれです。
しかし、僕は、もっとも忘れることのできないスカイラインといって
この「プリンス・スカイライン・スポーツ」をおいて語ることはできません。

総生産台数60台。
当時高価な車の代名詞だったプリンスのフラッグシップ「グロリア」が120万円だった当時、
クーペ185万円、コンバーティブル195万円という価格設定は、
もはや「スーパー」の域までも突き抜けるレベル。
購入できた人は、相当に限られたに違いありません。
アメリカ風に日本でデザイン・・・そんなのが一般的だった当時、
イタリアの、当時もっとも勢いのあったジョヴアンニ・ミケロッティの手によるデザイン。
主体的に、「このクルマのためのデザイン」にこだわった最初期のクルマといえるでしょう。
スカイライン。
その起源は、今はなき「プリンス自動車」のミディアムクラスとしての誕生でした。
やがて歴史の過程で日産自動車と合併し。
この国の明け方で華麗にグランツーリズモを提案し続けてきたスカイライン。
確かにGT-Rはじめ、派生車種も豪華な顔ぶれです。
しかし、僕は、もっとも忘れることのできないスカイラインといって
この「プリンス・スカイライン・スポーツ」をおいて語ることはできません。

総生産台数60台。
当時高価な車の代名詞だったプリンスのフラッグシップ「グロリア」が120万円だった当時、
クーペ185万円、コンバーティブル195万円という価格設定は、
もはや「スーパー」の域までも突き抜けるレベル。
購入できた人は、相当に限られたに違いありません。
アメリカ風に日本でデザイン・・・そんなのが一般的だった当時、
イタリアの、当時もっとも勢いのあったジョヴアンニ・ミケロッティの手によるデザイン。
主体的に、「このクルマのためのデザイン」にこだわった最初期のクルマといえるでしょう。

じつは引いたアングルではわかりにくいものの、
一台一台木型でたたいてボディを形成していた当時、
まして工作方法は一般的ではなく、職人の手作り。
実は一台一台、多少表情が違うのです。
そして左右も必ずしも対称ではなく、したがって、現存する固体を
もしレストアする場合など、その作業は困難を極めるようです。
欠品パーツは左右で対称に、ではなく、現合で寸法お越し。
ただそんな愛情込められてくみ上げられこのはるか後世に残された
スカイラインスポーツの輝きはまさに
「バロックの美しさ」
といわねばなりません。
で、見てください!!
日産ギャラリーでは、最新のリーフと並んで展示。
脈々と続く、日本車が世界をリードするほどになった、力の源泉が、
ここにあるような気がしてならないのです。
是非一度、ごらんいただきたい一台です!!
【スカイライン55周年記念イベント第二段は1月27日迄】日産ギャラリーのHP
【Gulliver】スカイラインスポーツはさすがに・・・あなたにとってのとっておきの一台ガリバーで探してみませんか?
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