文学界
何年ぶりでしょうか。
静岡聖光学院時代は文芸部にいたりして、
意気がって読んだこともあり、時折購入しては
ストレスの多い文学青年を極め込んだり、
思い出すだけでゾッとする、
汗顔の極みの
恥ずかしい過去に符合すると言うのも実のところではあるのです。
今をときめく、黎明の輝きのまぶしいバリトン上江隼人が
ブッセートでルーナ伯爵を歌う話は
夫人の理都さんから教えてもらっていたので、
すでに知るところではありましたが、
その時の歌を内田洋子さんが聴かれて、
文学界に綴っておられます。
それは読まねばなりません。
「ピアニッシモのバリトン」
3ページにわたるレポートは、私でもそう思いを馳せるでしょう。
そう考えるかもしれない。
実に自然に読み進められるものでした。
これ目当てで、実に久しぶりに「文学界」手にとった次第です。
ご自身を内田さんは、オペラ門外漢のように記されているが、
そもそも初めて聴いて何を感じたか。
それがすべてである、と思う点において、
他のいかなる「音楽鑑賞」ともなんら変わらないのではないか。
そう思ってきました。
その上で内田さんは、ヴェルディの作品にとって、実に重要な、
わたしも上江隼人の歌を聴いていつもそう思う、
そこがヴェルディバリトンとしても極めて重要で、
上江のヴェルディバリトンとしての存在感を確たるものにしようとしている、
と感じるポイントに通じる点を感じておられるようで
臆病な言い方をすると、正直安堵したのです。
確かにヴェルディの作品で
バリトンの役回りとは敵役であり、水を差し、疎まれたりもする。
ただ、怒り、捨て台詞をはき、激怒するその先に、
本心では実に慈悲深く、大きな父性がある。
そんな「吐露するような」歌がとても魅力なのです。
その際に、気持ちがそのまま歌に乗ってくるような
バリトンでないと、まったく整合性がなくなってしまう。
説得力というか、気高さがあってこその人間としての真実味
ここがきわめて重要だと思い、かつ、それが上江隼人にはあると思うのです。
専門的なことはわかりませんが、
声が「鳴る」とか、高音が出ている、とか
「項目」のクリアだけで歌が、歌手が評価されている面も散見され
それも大事ですが、それ以外のところでもきわめて心をうたれる
そういう歌を聴きたいのです。
高い技術をも持ちつつ、「その先の」表現力で他の追随を許さない
上江隼人!!
来年の二期会の「ナブッコ」ではタイトルロールを歌います。
楽しみであり、万障繰り合わせてイタリアに行くべきでした。
クラシックのチケットは!

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