アメブロの公式ジャンルの起業・ビジネスに登録したので、すこしお仕事のことについて書いていこうと思います。

 

もともと、このブログの趣旨は最近のITビジネストレンドについてのメモだったので当然の軌道修正というわけです。たまに趣旨から外れて詩みたいのを書いていましたが、公式ジャンルとして認められないといけなくなりました。これこそ、前に述べた通り拘束を望む自由というわけです…と言いたいのですが、SEO的にカテゴリーが違う記事を書いてはいけないという「アメブロ運営者の意図に乗っかってみた」に過ぎません。

 

WEBでもし注目を得たいならば、Googleに好かれるサイトを構築しなければならないということを、WEBページ運営者やブロガーはけして忘れてはなりません。ということ。

 

インターネットの情報はGoogleという巨大な帝国が統一している世界なのです。帝国の目をかいくぐって、検索結果の上位を目指さなければ、弱者に明るい未来はありません。

 

まあそれはさておき最近、グロースハックという言葉を知りました。グロースハッカーってなんかカッコいいですね。意味はさっきwikiでちら見しただけで語れるほど知識はないんですが。

 

詳しくは書けないのですが、最近はチープでアジャイルな開発がお金になることがわかったので、そのへんを攻めていこうと模索中です。新しいことに挑戦できるので知識欲も満たせてお金が貰える。うまく回れば最高です。

 

それではまた。

北朝鮮は崩壊しない。昔はよく崩壊論を唱える人がいた気がしたが。今でも中国は崩壊すると言っている人がいるが、それ以上に北朝鮮崩壊論を聞かなくなっている気がするのは私の主観に過ぎないのだろうか。崩壊する時は国民の不満が頂点に達して反乱軍のリーダーが現れた時だが、闇市を放任しており微妙に潤っているからそういうことにもならないのだと思う。常に民が勝つようにできていると言ってもいい。生かさず殺さずの原理が徹底している。安定しているあらゆる国に言えることである。日本も安定した国である。相対的に円は安全だと言われている。

 

 

…したがって、民を生かさず殺さぬ国が不安定になるのは望ましいことである。これこそが日本の希望である。

すべての人間は快楽の原理に基いて日々動いている。

 

快楽的な行為は可能だが、非快楽的な恐怖を伴う行為は不可能。

 

無理は祟る。

 

人間の行動は快楽のポイントを刺激するか、恐怖を回避させるために動かすか、そのどちらかしかない。

 

ここまでは概ね、理解できる…しかしながら、そのスタイルというかモードというのだろうか。

 

人の性感帯は変更ができないものだ。

 

人によってその形式がまったく異なるということについて、理解し合えないことが、今日の人間関係の諸問題なのではないか。

 

しかし、自由を求める人が、急に束縛されたい欲求も生まれることはあれど、人は基本的に自由を選ぶと思う。拘束されたい欲望に走る自由も認められなければならない。

 

全裸で屋外を駆けずり回る人が窮屈なボンテージに身を包みだす。

 

…どちらも性奴隷に変わりはない気もするが。。。

お金をもらっていない行動は尊いという人がいる。一方で、お金をわたさずに行動してもらうことは「いけない」と考えている人もいる。自分のためなのか他人のためなのか、それとも両方のためなのか、どちらにせよ、お金に縛られている気がするのだが、それが現代人なのだと私は思っている。

 

お金のことばかりブログに書いているね、と言われたことがある。お金のことばかり口にしているね、と言われたこともよくある。お金のことばかり口にする男である私をみて、お前さんはお金に汚いのだなと言う人がいる人もまたお金に縛られている。いいじゃないか、ほっといてくれ。お金がとても気になる存在なのだ。(なんて、婉曲な言い方でしょう!)

 

お金というものがすっぽり抜けている人がいる。例えば親がお金持ちでなに不自由なく育った人とか。魅力的だ。でも、価値観が違いすぎる。このひとは頭のネジが飛んでいるんではないかと思ったが、お金に縛られている私の方に無駄にネジが刺さっているのかもしれないと思い直す。やはり、魅力的だ。魅力的なもの近づけば破綻することは目にみえているからだ。とってとても真新しい人だ!新人類だ!とさえ思ったが、そんな人と人間関係がうまくいくはずもない。

 

お金に縛られている人でないと、うまく人間関係性が築けない。かくして、お金のやりとりで作られた人間関係の方が、ここちよいさえ言い切ったほうがよくなる…などと言うとリアリストだとか情がないとか言われてだいたい不利益を被るので硬い表情をして日々を過ごしている。

 

お金に縛られないためには、お金をたくさん所有している必要がある。だから、そのために短期間でお金を得るために全力を尽くす。その結果、お金を失うばかりか信用や勇気まで失う人がいる。

 

そしてまた、全然タイトルと違う記事を書いて終わった。

先進国が軒並み少子化問題に陥っているのは、子どもを「投資対象」と捉えるからだ‥と言っている人がいて、私も「そうだ」と思うようになった。少子化の解決方法は子どもを投資対象と捉えなくて済む社会づくりが必要。そのためにはまず鎌倉時代ぐらいから続いている法律の家制度を無くして、社会が子どもを育てる意識を持たなければならない。

 

しかしながら国家レベルで過去の世代を養うために上の世代の同数以上の人口を必要としている…例えば年金制度の維持のために言わば負債を補うための頭数を揃えなければならないから子どもを増やすという前時代的なというか単純な自転車操業的な発想というものが前提としてあるようなのだが、これはなんというか残酷ではないだろうか。子どもは社会のガソリンか?僕達が温まるために保育器で育てているのか。

 

そもそも論として、地球に人口はそんなに必要だろうか?人口は有史以来、増え続けている。昔のSFであったような、人口をコントロールしたほうがよいのではないか。コンピュータで効率よく食べ物やエネルギーを生産できればよいのではないか。

 

私の改革的な主張は多くの人が拒絶反応を示す。

 

そのくせ政治家には文句を言う。まあそれはともかく、とにかく抜本的な改革をしないとスマートな社会は築けない。色々なシステムは無理がたたっているように見える。そろそろ私たちは国家レベルにせよ、地球レベルにせよ、文化的な価値観を全否定しなければならないところまできているのではないか。

 

…とまあ、いつもながらtitleとぜんぜん違う飛躍した論ばかりの文章になりましたとさ。ちゃんちゃん。終わり。

何年前のことだったか忘れたが、アメーバピグというのが流行りはじめていた時だったと思う。

 

アメブロで集客をする販促マーケティング手法のノウハウを売る広告がばんばん出されていた(今でも広告は出されないが同種のものは販売されてはいる)。

 

当時の友人が、アメブロですごい集客できる方法が見つかったので、よかったら教えるよ!という呼びかけをして、複数人でアメブロを量産していた。

 

友人は私もそれに参加するようにと言われたが、私は勝手に広告を入れられたり運営者の理由で閉鎖することもあるため「無料ブログを使用するべきではない」と主張していたので、冷やかな目でそれを見守っていたw

 

だが最近は無料ブログであっても作成者が望んだ効果が望めるならば、先に述べたリスクはあれど使ってもよいのではないかと思っている。なんにせよ、どれがダメとかどれがイイっていうのは、わりとどうでもいい。人がやっていることを、否定するものではないという気がする。

 

むしろ、いわゆるフリーミアム(あれ?もしかしてこれって死語?w)な商品を沢山使うことでリスク分散が計れるのではないか?と前向きにフリーミアムモデルを利用する方法論を模索している。

 

フリーミアムなサービスを利用する立場の最大の強みはコストがかからないことにある。

 

それを最大限に生かすことができたらいいのではないだろうか。

 

フリーミアムモデルをたくさん使うことのデメリットはアカウントの管理をはじめ何かと面倒くさいことにある。

 

その面倒くささを解消できるならば、それが1つのサービスにならないだろうか?