いくつかのプログラミング学習スクール事業者と昨年末あたりから携わっているが、どこの事業者も今年にはいって急速に拡大していこうと成長計画を描いている。私は…今から個人レベルでプログラミング事業にとりくみ、質の高いものを作り上げていこうと悠長(どんくさく)に構えている。まったくスピード感がないので、大きな会社をつくる起業家にはまったく向いていないと思っている。

 

また講師をしていると「なんの仕事をしているのか」と聞かれて、プログラミングを教えることですと言うことに抵抗がある。だから講師業は副業と言ってみたりしているが、ほんとうは本業だととらえて数年レベルでどう自分自身が成長するか考えなくてはいけないのではないかと思い直しはじめている。そうでないと教えている人に講師としての質を担保できていないと思っているし、申し訳ないし。。

 

…まあそれはさておき、プログラミング学習が流行ったのは今回で2回目だという。言われてみれば、たしかにそんな出来事が数年前に会った気がしないでもない。1回目のブームがいつだったから明確な時はわからないのだが、不足するIT人材を確保するために国から助成金が出され、いろいろな事業者がプログラミングスクール事業を開始した。その結果、20代はともかく30代でプログラミングを学んだところで就職できない者も多数でたと聞く。その理由には質の悪いものや就職斡旋する側そしてそれを受け止める側の理解なさがあった。

 

今回はそのムーブメントではとどまらなさそうな勢いはあるものの、やはり業界の質とくに教師の質や教材の質が向上しなければ、同じことになる。業界全体の質をあげていかないと、日本は今以上にIT後進国になってしまうだろう。

 

この二回目のウェイブ(波)をどう捉えるかが課題。

このブログのタイトルを変更しました!

 

なぜこんなブログのタイトルにしたかと言いますと、、、

 

最近よく本屋さんで見かける、「子どもを億万長者にしたければプログラミングの基礎を教えなさい」という書籍と「プログラミングは最強のビジネススキルである」という書籍の表題から「億万長者」と「最強」というキーワードを抜き取って組み合わせただけ!

 

…という、とても短絡的な理由だけしかありません!

 

でも、とてもキャッチーな言葉だと思います!

 

私は億万長者ではありませんが…言わずもがな、世界一のお金持ちであるビル・ゲイツも、コンピュータの力で億万長者になりましたし、業務効率化/生産性向上に情報システムは欠かせません。

 

看板に偽りもなく大げさではないと思います。

 

…というわけで、今後はプログラミング学習者向けの情報を提供して行きたいと思っています。

 

それでは、また。

図書館の哲学コーナーに表紙が真っ黒な本があった。中身を見たらすべてのページが真っ黒だった。閉館の時刻も近い。とりあえず気になったその本を借りるためにカウンターへ持って行った。


しかしバーコードも貼られて無いので、借りる手続きができない。中身をめくってみた図書館の職員はすべてが真っ黒だということに気づいて「ギョッ」として私の顔を見た。「何でこんな本を借りるのか?」「そもそもこれは図書館の本なのか?」とでも言いたげな顔である。


でも、私に尋ねてもわかるはずがないだろう。なぜなら私は一体それが何なのかわからないからこそ借りるのだ。わかっていたら借りる意味がない。


これは果たして本なのか。ところで、本とは何か。そもそも本に文字が書いてなければならないのか。この本が哲学のコーナーにあったのは、何かきっと意味があるはずに違いない。

初心者が学ぶプログラミング言語はなにがよいか?という問いに対して、プログラミング言語の性質を理解した上で何がベストであるか根拠を述べるのは、歴戦のプログラマであっても人によって回答がことなるものだ。

 

私も正解はないと思う。でも、なんでもいいんじゃね?じゃあ投げやり過ぎる。消極的に「これにしたら」と言わざるをえないものの、そのあたりの微妙なニュアンスを伝えたくて「宗教みたいに選択は自由であり正解はない」とある人に例えて言ってみた…ものの…ちょっと待てよ?

 

その人が絶対的な宗教を信じていて、その他の宗教を認めない排他的な思想の持ち主だったらどうしよう…と後になって思った。多分そういう人ではないだろうという決め打ちはしたものの、信仰心がないとは限らない。

 

憲法20条で認められているように…信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

 

うーん、固すぎる。なんのこっちゃ…。

スマホの通知アプリは、ネイティブアプリでつくるものだと思っていたが、slackやchatworkなどの各ベンダーが出しているチャットツールでつくるのがローコストだから主流?なのだということを、いまさら知った。。。

 

わたしはとても遅れていた。

 

よく考えれば当たり前な話だというのに…。

 

個人的にもっともよく使う通話アプリはfacebookなのでfacebookで一元化してほしいというかAPIを公開していないのだろうか。すべて何から何までfacebookd完結して欲しい。ザッカーバーグ帝国に加担することになるが、便利なのだからしょうがない。

 

chatwork,facebook,slack,skypeなどを統合するアプリはあるが、そうじゃなくて、lineからきたAさんの通知がfacebookのチャットにきて、返信するとlineのAさんに行く仕組みが欲しい。アプリいろいろ入れるの面倒なので、本当に1つにしてしまおうよということ。まあ、いろいろと無理があるが…。今のアプリだらけの状態はユーザをまったく幸せにしていない。

 

 

さてさて、チャットツールは最終的にどこかの会社(例えばLINEとか?)がひとり勝ちするのだと思うが、これはどれなのだろうか?ぜんぜんわからない。それともすべてプラットフォームとして残り続けるのだろうか?統廃合くらいは起こるだろう。金をもっている会社が買収するということもありうるのだろうか。

 

そんなことを考えつつ作業をしている。

 

まつもとゆきひろ氏の近くで働いている人に「rubyってなんかチャラいから嫌いです」とはっきり物申してしまい少し後悔しています。でも「ruby最高!」って言ったところで何も得はないけど言っておけばよかったかな。言葉に気をつけよう。でも、そうなるとカルト教団ぽいので、やっぱり客観的に見て嫌い。。。ということになる。

 

「最高ですかー!」「最高で―す!」なんて言っているところを人に見られたら生きていけません。最高だと思っても「別に…」という態度を取り続けることがポリシーです。はい、どうでもいいポリシーです。

 

さて、pythonとrubyを勉強していて気づいたのは、これはかつて私がかつて好きだった相棒perlの亜種であるということだった…と勝手にperlを相棒にしてpythonとrubyを亜種にしまったが、まあとりあえず簡単じゃんという結論に至った。

 

パッケージやモジュールの導入の方がはるかに苦労、というかそのへんのツールの使い方のほうに手間取る。rubyが影響を受けた言語にperlを挙げているくらいだから当然なのだが…。

 

イケてるperlがrubyで、ちょいpythonはめんどい。みんなで書くならpythonなんだろうけど、1人で書くならrubyがいいかも。あとになって変わるかもしれないけど、今の印象はこんな感じです。

 

というわけでrubyの強いカルト教団の勧誘を避けながら蛇の道は蛇というわけでpythonをあえて選んでいるところ…なぜなら、rubyはperlと同じ末路に至ると考えているからである。

 

詳しい話はまた今後。