ばあちゃん | ごみblo2013

ごみblo2013

ブログの説明を入力します。

ばあちゃんがしんだ

私の世界で1番大好きなばあちゃん

母親替わりの母親同然のばあちゃんが


悲しのでゆっくり、とてもゆっくり

書いていく


1月5日夜ばあちゃんが病院で亡くなった

1月4日土曜日昼、叔父とお見舞いに行った

ばあちゃんは訳の分からないことを言っていたが

まともに話せた最後の時間だった


ば 子育て頑張ってね

私 ……

ば がんばれないの?

私 ……(微笑む)


ばあちゃんと私は握手するというのを昔からやってたのでばあちゃんの手を握って握手してみた

喜ぶかなと思って。

小さいころに、いっせーのーでよいよいよい。と手遊びしたのを覚えてるから握手が好きなんだねぇとよくばあちゃんが喜んでくれていたから、、


手を握る力もなかった


ここからはばあちゃんのおかしな話


ば 家にあるガス釜に米があるんだよ

腐ってるから食べない方がいいからなあ


叔父 腐ってないよ 全部食べちゃったよ 大丈夫だよ


ば そーかあ。


家にガス釜はないし何年も前の話なんだって。

私は年末に炊飯器で炊いた米の話をしてるのかなーって思ってた



ばあちゃんは湿布のことをずっとティッシュと言い間違いをしていて


ば ティッシュをやっちゃった方がいいかもしんねぇ


叔父 え?


ば ティッシュでやったら徐々に痛みが取れるって言うから徐々に死ねるかもしんねえ。その方がお互いのためにもいいでしょう


等。


ティッシュじゃなくて湿布で、腰が痛いからと塗るタイプの湿布を病院がくれたそうな

それを徐々に痛みを取ってくれる死なせる薬と思っていたらしい?


叔父が湿布を見せて、

これだよ 家でももらってたやつだよ と言った


ば あーそれかあ。

そんなんやったって痛み取れねえんだから


ば 〇〇病院に行ってたときにお腹が硬かった

でもまさか癌だとは思ってなかった

〇〇病院に通ってたときからの物なんだもの

取れるわけねえ


ば 助からねぇんだから

〇〇病院に通ってたときからの頑固なものはダメだあ

助かるならいいよ 助からねぇんだから〜


とこの話を3回くらいしていた


葬式が終わってその話を父にしたら

半分本当、半分嘘と言われた


〇〇病院はおそらく15.20年前に行っていた病院で

その頃にもう子宮の検査はしないって言ってたらしい

ちなみにその〇〇病院にも5歳?くらいの私も毎回一緒にばあちゃんに着いて行ってた

タイムスリップできるならば

ばあちゃんに説得するのに。


でもきっとばあちゃんは頑固だから

しねえ!って言うだろうな



ば 早く帰りなあ

どうせ長く面会はできないんだから〜


と言われた

叔父に、これからは連絡なしにお見舞いに来てもいいよね?と聞いた

叔父とスーパーで買い物して、好きな物買っていいよと言われ

お風呂入って、出ると夜ご飯を用意してくれていた



叔父に、困ったことがあったらなんでも言うんだよ

ばあちゃんがいなくても来てもいいんだからねと言われた


泣きそうになった



そして家路に着いた


死にかけだった

と夫に話す


次の日、出かけていると電話が鳴った

ばあちゃんが危ない

来るなら気をつけて来るんだよと


病院に1番に着いた

見たくなかった


ここからは完全に意識朦朧

何を喋ってるかは分からなかった

見ていられなかった 耐えられなかった

早く病室を出たかった


足揉んでくれてありがとう

足揉んでくれてありがとう

おそらくこれを何回も言っていた


聞き取れなくて、、

夫が足揉んで欲しいって言ってると教えてくれた


足を少し揉んであげた

1時間くらい揉んであげれば良かったのに

もう耐えられなかった

呂律の回ってないばあちゃんを見るのは

管に繋がれて白髪で肌もぶにょぶにょで

一気に痩せちゃって

たったの4ヶ月でびっくりするくらい老けて

あんなに肌がパンパンに張ってたのに

細くなっちゃって


そのあとも呂律が回ってないなか何かを言っていた

多分おそらく

本当だったら足曲げられたらいいんだけどな

と言っていたはず


もう自分で体勢も変えられないので

足曲げてあげたら良かったのに

もう早く出たくてしてあげなかった

苦しそうに足を動かしてた


お母さん次呼んでくるね

また来るからねと言った


面会は1回に2人までだった

多分危篤状態だからゆるゆるだったと思うけど早く次の人にまわさないとと焦っていた


ばあちゃんは足揉んでくれてありがとう

と何度も言っていた

多分だけど。


夫が、はいよー!って大きな声で言ってくれた



家族みんなが会って

19時、叔父と父以外は帰るようにと言われた

別に待合室で待ちたかった


おそらく今日死ぬんだろうなと思ったから


ばあちゃんちで待機してなと言われた


また危篤状態だと連絡きてすぐ飛び出して行くのだろうと思った


私はばあちゃんちでトイレに入っていたら電話が鳴った

伯母が電話を取り2階から降りてきた

急いで家を出ないと


伯母 ばあちゃんいま亡くなったんだって


え?!!


そんな死に目にあえると思っていた

もう1回会えると思っていた

どうしてこんなに酷い仕打ちをするのだろう


皆は2人の息子が看取れて、死に目にあえて本当に良かったと言っていた


私はばあちゃんに娘だよと言われた

ばあちゃんは若い時に子供を2人亡くしてた

私のことは小さい頃から育ててくれた

ばあちゃんにとって私は娘と同じだよね?と聞いたら

そりゃそうでしょうと言ってくれた


私もその場にいたかった

世界で1番大好きな大切なばあちゃん

この世で1番の理解者で無常の愛と無常の味方をしてくれたばあちゃん


私は耐えられなかったから

きっと2人だけで最期を見届けたんだろうね

きっと誰にも見せたくなかったんだろうね


ばあちゃんちで叔母としくしくと泣いた


叔母はばあちゃんと叔父からよく怒られていた理不尽に

今までそれを知っていたのに庇ってあげられなくてごめんねと言って泣いた


叔母 何でそんなこと言うのよー

家族だからさ。

面会に行ったら私ちゃんのことよろしくねって言うのよ

まだ元気なのに

また怒ってくれないかなって思ってた


この言葉ばあちゃんが聞いたら喜ぶだろうなーと思った

叔母がいない所でも私にも叔母の悪口を言っていたけど

叔母は怒ってほしいとまでばあちゃんに対して思ってたんだよ

ばあちゃんが亡くなってこんなに泣いてくれて。


ばあちゃんは、ばあちゃんが死んだら私は叔母に虐められるかもしれないと心配していた

どう変わるか分かんねえよ人間は。と言っていた



ばあちゃんの遺体がその日のうちにすぐにばあちゃんちに来た

私はよく迷走神経反射になるので

かなり気持ち悪かった


見せないように夫がしてくれた

私は力が抜けて、失神する前の状態のあの感じが続いた


父が今日は帰って明日来てもいいよと言った


ばあちゃんの部屋に行って号泣した

ばあちゃんはどこへ行ったの?

死ぬのが怖いよとボロボロ泣いた

ばあちゃんがしんだ悲しみよりも死という概念が怖くて泣いた

私が精神科に通ってる理由はタナトフォビアなので。



その日はばあちゃんちに泊まった

ばあちゃんの亡骸と

居間に私と夫と父。

2階に叔父叔母


私は病院からの連絡を待つ間に耐えられなすぎて酒を飲んでいた

その時は手元に精神安定剤もなかった

皆で飲むことになり、散々飲んだあと母、姉、兄は帰った


朝になって私たちは帰った


家路についてぼーっと

昼飯の用意をしているときにようやく、、

わんわん泣いた


ばあちゃんどこ行ったの?

ばあちゃん、可哀想

ばあちゃん〜〜ばあちゃんって

小学生のときばあちゃんに会えないように引き剥がされたけどそれと似てる

ばあちゃんばあちゃんって泣いてたその時も。


その日以来泣いていない

つまり1月6日以来泣いていない


家に帰ってから精神安定剤を飲んで

わりと寝れた


頓服も何錠か飲んでぐっすり眠れる日々が続く


と思うと精神科からもらう薬はちゃんと効いてるんだなあと思う

しんだあの日は精神薬なかったけど

薬を飲まなかったのは久しくなかったのでこんなにも違うのだなぁと思った


当日だったからショックすぎるのも仕方ないが。。。。



夫と2人でばあちゃんにお手紙を書いた

夫は泣きながら手紙を書いてくれた

初めて挨拶に行った時、ばあちゃんが私の事をよろしくねと言ったこと

これから私のことを幸せにするからねと書いてくれていた


お昼寝をして

焼かれる日まで、行けるだけばあちゃんちに行ってお泊まりをした


私はなぜだか涙が出なくて、もうばあちゃんは傍に居るような、信じられないような、色々な感情だったが安らかではあった


皆で白足袋を履かせたり、数珠をつけたり

紅をつけてあげたり

一回も泣かなかったし悲しくはなかった

そこにばあちゃんはいるから。


それにお泊まりしている間、私は何回もばあちゃんに触った

頭を撫でたり、しんでも、ガリガリになってもハリのあるほっぺ

ばあちゃんが好きだった握手

死人の手を握った

パタリと指が落ちていく

その様が生きてるようで、動いてるようだった


脚も見た

こんなにぶよぶよになっちゃって

爪も伸びきって黒くて

ケアしてあげれなくてごめんね


目やにもついてて


ばあちゃんの耳元でたくさんおしゃべりをした


保冷剤がたくさん

体はキンキンに冷えている


綿を詰める日に顔が変わってしまった

それまでは笑った顔だったのに

顔がムーっとしていた


葬式の日

家からばあちゃんを見送る

ブー!!!!とクラクションが鳴る


葬儀場に着いたばあちゃん

ばあちゃんちに朝から来ていた親戚たちは

ばあちゃんの顔が変わっちゃったと言っていた

私にはよく分からなかった


ばあちゃんに触れる最後のとき

そこでも泣かなかった なんなら笑っていた

泣いてるばあちゃんの妹の背中をさすっていた

ばあちゃんのきょうだいのなかで私の1番のお気に入りのおばちゃん。


小さい頃、ばあちゃんのきょうだいたちとよく温泉に行った

皆中学生になったら行かなくなる

私の兄も、その他の親戚の子供も小学生までしか温泉に来ないから。

私は高校卒業してもばあちゃんと一緒にばあちゃんのきょうだいの家に泊まったりした



火葬場でばあちゃんを見送った

ちょっと怖くなったけど

待合室でまだ私は笑っていた


私はわかっていた

焼かれた骨を見るのが1番ショックだろうなと


骨を摘むのも嫌だった

匂いもくさいし


気分が悪くなって座り込んだ

早く出ていきたかった


皆は葬儀場で泣き、綿詰めのときに泣き、お経の時に泣き、骨を詰めるときには泣かないんだよ


なんでだろうね

人間がこんな骨になるなんておかしいよね


私ばあちゃんの骨をもらいたかったので

それで頭がいっぱいだった


私が手紙に入れたばあちゃんを作った紙粘土が焼かれずに出てきた

一緒に骨壷に入れられた



葬式が終わって親戚みんなでご飯を食べて酒を飲んで

あれはばあちゃんの形見だな

焼けなかったんだもんねぇと言われた



調べなくていいのに私は調べてしまった

紙粘土は火葬で燃えないらしい

あの世でも食べれるようにと紙粘土で作った定食は消えていた

ばあちゃん食べたのかななんて思ってたけど


実際は粉々になって骨壷に入ってるかもしれない



みんなで食べてる中、

叔父が酒で顔が真っ赤で静かに泣いていた

ばあちゃんの妹も。


叔父は生まれてからずっとばあちゃんと暮らしてきたので

それはそれは悲しかったと思う


そこで泣けなかったのがモヤモヤしている

そこで泣けていたら少しは心が安らかになれていたかもしれないのに

涙は出なかった


ばあちゃんの遺影は私の小学校入学のときに一緒に撮ったもので

それに気づいたおばちゃんが

私ちゃんのこと目に入れても痛くないって顔してるね

いい笑顔だね ほんとにね

って言ってくれた



お見舞いのときにその写真をこっそりばあちゃんの枕元から見える位置に置いた

叔父もそれを見ていた


みんなが帽子をかぶってるのはおかしい

エプロンしてるのはおかしい

白衣装じゃないのはおかしい

と言ってる中、


叔父が

俺はこれが好きなんだよ

と言ってくれた


私とばあちゃんのかけがえの無い思い出を選んでくれて肯定してくれたようで嬉しかった


叔父と叔母には子供がいない

お父さんには兄も姉もいるけど

ばあちゃんが愛したこの叔父を元気にしてあげたい

いまはそう思っている



今回はここまで


今回は省いたがここでも毒親のエピソードがある

次回は赤ちゃんとお母さんのことを交えた葬儀までの心情を話したい


今回はばあちゃんとの思い出だけ

優しい優しい思い出だけ

大好きだよばあちゃん永遠に

ずっとずっと大好きだよ