ちょっと前(4月22日付)の記事だけど、毎日新聞夕刊の「特集ワイド」で、森昌子の還暦歌手引退のことを取り上げていた。

僕自身は森昌子が(還暦をきっかけに)歌手を引退してもしなくても、どっちでもいい。特に興味ないし。

ただ記事中の欽ちゃん、こと萩本欽一氏の話には、ものすごく共感した。よく言ってくれた、と思った。

なぜ欽ちゃんにインタビューなのか、という点については、森昌子がプロ歌手になれたのは、もはや伝説的とも言える公開オーディション番組「スター誕生!」であるのは、当然知ってたが、その当時の司会者が萩本欽一だったから。

この番組は、リアルタイムで毎週観ていたが、司会が欽ちゃんだったというのは忘れてたわ。

で、欽ちゃんが言うには「歌手・森昌子はここで区切りをつけたんだけど(略)ある日、田舎のおばあちゃんから、ダイコンやるから歌っておくれって声かけられたら、あいよって飛んでいくよ。昌子ちゃんってそんなタイプ」。

このあたりは妥当というか、誰でも言いそう。

しかし、その次。

「そうこうしているうち、偉い先生がつくった恋だの愛だのじゃない、おばあちゃんの愚痴やため息から曲が生まれるの。大ヒットするよ。(略)だってさ、歌はやめないんだし」

まあ、現実的にそういう事が起こるとは思えないけれど、まず痛快だったのは、(演歌の)作詞家、作曲家を「偉い先生」と、特に批判するでもなく、さっと言い飛ばしてるけど、そのスタンスがかえって鋭い批評になっている。

個人的に、ずっと不思議というか嫌だなと思っていたのは「なぜ演歌の作詞家、作曲家は先生と呼ばれるのか」。

呼ばれるだけでなく、中には「(先生と)呼ばせている」人もいるらしい。もし「先生」と呼ばないと、露骨に不機嫌になったり、もっとダイレクトに「先生と呼べ」と高圧的になる人、というのも、よく聞く話で、少なくとも「演歌の世界」では珍しくないらしい。

欽ちゃんに批判の意図があったのかは微妙だけど、「偉い先生」と言うこと自体、内心「変じゃないか?」と思ってるから、つい口に出たように思う。

最後の「歌はやめないんだし」も、簡潔で軽く聞こえるけど、歌の、つまりは音楽の、核心を見事に言い当てていて、しかしそれを決して大声では言わないのも、すごく良い。