「叱る」という行為はとても体力を必要とする。

 

人は「間違っている」と思う行為にっても多くストレスを感じる。

自分の子が「間違っている」事をしたのならなおさら。

 

間違える事はある、どんな人でも。

間違ってもいい、間違いに気づいて、次に正しい事をすれば。

でも間違っているとわかっていて行動することは、正しくない。

間違った人に育ってほしくなくて、正しく生きてほしくて、それを理解してほしくて、叱る。

 

私は期待する、次こそは間違いに気づいて正しい行動をしてくれるはずだと。

しかしまた、同じ間違いを繰り返し、平然としている子を目の前にする。

 

その度に、悔しさと苦しさと怒りと悲しみに襲われる。

私がこんなにあなたの事を思って、あなたのために何度も言っているのに…。

響かない痛みが心を蝕んでいくのがわかる。

その度に多大な労力を奪われる。

 

その奪われた力と同じくらい、その子の事を深く愛している。

愛しているから、疲れる。

 

褒めて育てるとか、子供の理想の親になるとか、美しい言葉の育児方法は溢れている。

それが出来るならばそうすればいいし、とてもいい方法だと思う。

 

私だって子供をたくさん褒めたいし、子供たちにとって理想のお母さんでいたいよ。

だけど、私は人で、疲れるし、嫌なことをされると嫌な気持ちになるし、良いと思って言った事を聞いてくれないと悲しいし、間違っていると指摘して反抗されると苛立つし、私は人、人は人。

そう思った時に、子供も、人は人なんだと気が付いた。

 

そう、子供たちはもう「人」なんだと。

 

赤ちゃんから幼児期を迎え、幼かった子供たちは今は「人」になった。

私は今までたくさん間違ったことはしてはいけないと教えてきた。

幼児期の彼らは、素直にそれを受け止めてくれていた。

 

私は確信している。

彼らが「人」として成長する過程で、正しく育ててきたこと。

しかし今「人」となった彼らを取り巻く環境は複雑で、私だけの努力で補えない事もある。

もう今は彼らが「人」として自分の道を自分で切り開いていかなければならない時を迎えているのかもしれない。

 

叱らないことは勇気がいる。

叱らないことで、ますます間違った道を進んでしまわないだろうか。

しかし叱ることでお互いの環境を悪化させて、お互いの体力を奪い合う事は本末転倒なのだと思った。

 

私は、叱らないという覚悟を決めた。

 

それがどれだけ続くのか、どんな影響があるのかはわからない。

勇気を出して、一歩踏み出してみる。