〜前回までのあらすじ
16年前、チェコの弦楽合奏を聴き、感動し、ヴァイオリニストになることを決意した少年後藤。
パヴェル ・フーラ氏からブルノ生まれのヴァイオリンを譲り受け、10年の厳しい特訓を経てプラハを目指すのであった。
私の代は、大学を卒業する時、卒業式はありませんでした。
当時のライバルで優秀すぎる同級生Tケイさん(Tレックスではない

)からの電話。
青年ゴト(も、もしかして、、単位足りてない?卒業できなかったらどうしよう

)
とかなりビビりながら電話をかけ直す

『もしもし、後藤ですが』(なぜ敬語)
『もしもし!?お前、何してたの』(Tケイさん)
『あのー、池袋で映画みてました』(完全に怒られる側

)
『おまえ、トウジだよ』
と本気で思った私は

と言って完全に大焦り

『は?何言ってんの!?喜ぶでしょ』とTケイさん。
ゴト『ん?喜ぶ?むしろキレる』
…話していくと、どうやら落第どころか、卒業生代表の
“答辞”でした。

『なんでお前が』という周りの目を浴びながら、その発表があることを知らなかったことを言い出せない当時の私←でした。
しかし、2011年3月、大震災の影響で関東の卒業式は自粛。
20ページ書いた答辞は、地元の達筆のヴァイオリンの師匠に完成させていただいたのにも関わらず、お蔵入りになりました。
卒業演奏会もなくなり、5月の新人演奏会までの演奏の仕事もなくなり、喪に服したような気分でデビューを迎えた年でした。
初めてのお仕事は、ポップスの歌手とのチャリティコンサートでした。
今考えると、仕事も毎日が勉強で、身体も精神も追いついていなかったのが現状でした。『何が卒業生代表』と打ちひしがれる毎日でした。
そして1年間フリーランスのお仕事をして、奨学金も頂き、ついにプラハへ旅立ったのでした。
プラハに着いた時は楽しくて嬉しくて。
最初はチェコ語の先生のお家に住み、チェコ語まみれの生活を送っていました。
そこで起こったこととは。。続く。
当時のプラハ。この夏の夕焼けの時期が綺麗なんですよ。
うーん、ワインが…じゃま?
