プラハの生活の話をする前に避けては通れない、大事な方々のお話を少し書きたいと思います。
〜前回までのあらすじ
16年前、チェコの弦楽合奏を聴き、感動し、ヴァイオリニストになることを決意した少年後藤。
パヴェル ・フーラ氏からブルノ生まれのヴァイオリンを譲り受け、10年の厳しい特訓を経てプラハを目指すのであった。
オイストラフの演奏に憧れて、ドヴォジャークのコンチェルトを弾いた大学3年生。
大学4年生になる時、ヴァイオリンの矢嶋先生から『グレゴリー・フェイギン先生があなたのチェコ音楽を褒めてたわ』と言われ、先生と初めて話しました。
フェイギン先生『君は右手のテクニックが良い。しかしもっと良くなる』
それから半年間、ロシアメソッドを叩きこんでいただきました。
もともとシェフチーク(O.Ševčík)による右手のメソッドを叩き込んでいたので、さらにそれを進化させるような気持ちで臨んでいました。
チャイコフスキーやラフマニノフ、プロコフィエフ、ヴィルトゥオーゾピースを自然にダイナミックに弾く方法を熱血指導していただいた2年間(卒業から1年間も毎週レッスンに通っていました)は、一番大変でしたがヴァイオリンの世界を見た2年間でした。
フェイギン先生は大ヴァイオリニスト、D.オイストラフの最後期の弟子として『プラハの春国際コンクール』で優勝したこともあるロシアの巨匠です。
そんなフェイギン先生が、先月、80歳でモスクワでお亡くなりになったと先週聞きました。
ヤナーチェクの演奏はYouTubeなどで聞けますが、先生の情熱的でかつ温かい巨大な演奏は、チェコ・モラヴィア出身の故・ヤン・ホラーク先生に“素晴らしい解釈”と言わしめるものだったということです。
日本で20年以上教鞭をとられ、日本にいながらロシアメソッドを学べる環境を作ってくださった先生は、日本の音楽界の誇りです。
心より、モスクワに向けて感謝と、ご冥福をお祈りします。
『何でモスクワじゃなくてチェコなんだ』と先生に止められたこともありますが、夢の話をしたら
『ならいいよ』
とすぐ理解を示してくださった先生の温かさは、忘れることはありません。
実は昨年には、大学3年間お世話になった矢嶋先生も、お亡くなりになりました。
矢嶋先生はチェコの女性の大巨匠の、マリエ・ホロウニョヴァー先生の藝大での愛弟子でした。
ホロウニョヴァー先生は生前、D.オイストラフ氏と右手のヴァイオリンメソッドについてかなり話し合っており、ロシアメソッドを昇華させ1960年代に日本に伝えたことのあるチェコのヴァイオリニストです。
プラハに留学する際、背中を押してくださったのも先生でした。ヒロシマからの奨学金をいただけたのも、先生が推薦文を書いてくださったお陰です。
『あなたは天真爛漫でいいのよ』
と優しく言ってくださったり、40年以上のヴァイオリン教育を経ても電車の中でブルッフのコンチェルトを研究されたり、亡くなる直前にお会いした時も最後まで
『どうやって右手や左手の指の形を教えたらいいのかしら。』
と私のような若輩者に聴いてくださり、いつも一時帰国の際はお話を聞いてくださいました。
両先生が亡くなった知らせはチェコで聞きましたが、未だに信じられていません。
私の祖父が亡くなる時に、
『じいちゃん、死ぬのこわくないん?』と聞いたところ、
『その方がずっとヒロのそばにおる。チェコにも行くよ』
と優しく言ってくれたことがあります。
今でも私の気持ちの中に、演奏の中に、生活の中に、大切な方はいます。
いつも思い出して、演奏を天に捧げています。
…そんな素敵な先生方の教えを経て、チェコに旅立ちました。
しかしその時は、それがプラハでは何も通用しないやり方を自分がしていたとは、夢にも思いませんでした。。。
つづく。
追記
チェコで就いたミハリツァ先生は、
『ヒロ、インドの(背の)高い寺の屋上には楽器を持っている像があるんだよ。何千年も前から音楽はこの世とあの世を繋ぐものなんだよ』
と言ってくださいました。そのように弾けるように、いつも気持ちを込めて練習あるのみです。






楽しみです。

(さむい、、

ストリングトリオ結成、練習に明け暮れる
にも参加、子どもと触れ合うことが多い毎日に。


(夢への第一歩)

(まさかの一人部屋







