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後藤博亮のBLOG

人と出会って、音を奏でて

前回までのあらすじ〜プラハでチェコ語を身につけたものの大きな挫折を味わい、絶望しながらも流れに身を任せて辿り着いたチェコ第二の都市ブルノ。

そこで出会った師、ミハリツァ先生は意外なことを仰り出す。



『君はね、テクニックは上手。指の形も音程もヴィヴラートも悪くない。けど、心をどこかに隠しているね。』


私は逆のことを考えていました。私にとってのコンプレックスは、『技術がない』ということだったからです。

(そんなはずない、技術はないけど、音色はもう最大限、、、)

と考えていたその矢先。先生は意外なことを話し始めました。


『音は心で奏でるものでしょう。ただ、その出し方を知らないだけなんだよ。』


…ストン。


なんだ、そんなことだったのか。


簡単なところに、答えはありました。


『何のために演奏"したい"のか。』

お客さんに心を伝えるために。音楽で、人とたくさん関わるために。そして、大切な人に喜んでもらうために。


そんなことが溢れ出してきて、目の前からずっと追いかけてきたベートーヴェンやモーツァルトの楽譜が涙で見えなくなりました。


『よし、じゃあ楽譜はとなりに置いておこうか。こっち見て』


先生は自分から楽器を取り上げて、あろうことか小中学生が弾くような演奏教本『クロイツェル』をゆっくり弾きはじめました。


これ、弾ける?(にっこり)


いや、弾けますとも。


小学生からサラで弾けるであろうこの曲を、弾きました。


先生は黙って聞いて、

じゃあ、これを40パターンの練習方法で演奏しようか。


ん??40パターン???


リズムを変えたり、弓を逆にしたり、元と先で交互に飛びまわったり、変則的な、しかし基本的なリズム練習を頭フル回転で必死でメモして、3ヶ月という間それのみのレッスン。


チェコ語で聞いて、日本語でメモる。

途中頭がフリーズして、物が全く考えられないこともありました。笑



やってる間は無我夢中でしたが、これこそが人生に役立つミハリツァ流『脱力のメソッド』だったのです。




そして迎えた前期試験の二週間前。


バッハを2曲と、パガニーニ、モーツァルトの協奏曲という重いプログラムを弾かないといけないのに、レッスンそっちのけでクロイツェル。

『あのー、、、先生。




自分でも上手くなってるかよくわからないんですが』


『とりあえず2週間後にバッハの試験あるんで、見ていただけると』


先生『…!!!!暗譜できてる?』




(いや忘れてたんかーい)



お互いレッスン前は気づいてはいたのですが、自分も先生も『音が変わる』ことに熱中しすぎて、大学院前期試験の日程を忘れていました。



それからバッハを久々に先生の言うやり方で弾いてみる。

『…ん??なんか弓が張り付くぞ?』


今までになかった感覚。


今まで弦と弓の間にうすーい紙が挟まってるみたいな感じでした。

心を音で表したいのに、それに邪魔される感覚。

辛い。


もがけばもがくほど、ドツボにハマる感覚。

けど難しい曲をこなさなければならない。


ヴァイオリニストに、なれない。

 


そんなトラウマを消すために指(左手)も、弓(右手)も押し付けて演奏していた。


そして、今。



ドーン!!💥


と鳴り上がる音圧。(あくまでイメージ音です)


ただ立って弾いてるだけでこの音量は、、、!?





"のり"がついてるみたいに腕が弓に乗り、


音が楽に飛びまくる。





先生のボーイング(弓順)を教えてもらった後、

『…(弓置いて、全腕にエネルギーが流れるようにして、、MA・E・O・KI etc...)じゃ、とりあえず上げ弓から弾いてみて』


ドンッ!!


ん??


んんん???



アウフタクト(弱起)の音が物凄くはっきり響く、、、

"音の出し方"が根本的に違うのがわかる。


弓が勝手に動く。勝手に音楽になる。冷たかった心が、それに反応して温かくなる。



『まだぎこちないけど、150パーセント良くなったね』



今までの人生で、知ってはいたけど上手く出来なかったことが、何故かミハリツァ先生に言われたらできる、、


ん?できる。


と言った感覚。でもフワフワ。


よく考えたら、同じようなことを今まで習ってきた先生に教えていただいていた、、

しかし、それを自分の引き出しの深いところに閉まって、出し方がわからなかった。



それが全て開いた感覚。


『じゃ、モーツァルト弾いてみて』


弓が面白いように弦から離れず、気持ちよく思ったところで止まる。
今まで散々言われていた音楽表現、"アーティキュレーション"とは何かがわかる。



『パガニーニも』


弓が張り付いてるおかげで、左手も楽々。むしろ押さえつけなくても鳴るので、いままでより軽く動く。



この先生、凄い。


後で知った話ですが、先生はアメリカで日本人は何人か教えていたそうで、教えるツボがわかるそうです。そして、コンクールで何人も聴いているため、その度『どうやったらこの子がうまくなるか』を50年以上、ひたすら考えているそう。


真の教育家です。おみそれしました。



その時はチェコ語も上手くなかったので伝えられなかったのですが、、


(いつかヴァイオリンもチェコ語も上手くなって、結果出したら、先生を日本に連れていってもいいですか。)


多分、日本で自分と同じようにヴァイオリンのテクニックで悩んでいる人はチェコよりもいる。


その夢が叶うのは、自分がブルノフィルに入って、博士過程にも入った後の話。




しかし喜びも束の間、次の試練が待ち受けているのであった、、、


次回、後藤、音圧を続けるために身体を壊す。(仮タイトルからしてネタバレ)

に続く。つづくったら、つづく。


【追記】
2016年1月Musahino for Tomorrowにも、この話は少し書かせていただきました。

その武蔵野音大で、今年10月4日にミハリツァ先生をご紹介できることになりました。こちらは聴講のみとなりますが、ホームページはこちら。


『今』先生に出会える学生の方、日本の方が羨ましい限りです!

先生もご高齢なので、お連れするのは不安ですが。。自分も勉強するチャンス。サポート、アシスト、できることを精一杯やろうと思っています。

さて、若い方々の音の変化がどうあるか、、とても楽しみです。



ここまでの恥ずかしい話は一旦横に置いておいて、

昨日はブルノで、日本人のプロバレエダンサーにお誘い頂きバレエに行ってきました!
(NdBのFacebookより)

今までも行く機会はあったはずなのに、知らなかった世界。

とあるご縁から、日本人のプロのバレエダンサーがブルノに5人もいらっしゃると知り、ビックリしました。

同じ文化圏内でもお会いできないものですね。

今日パ・ド・ドゥを踊られたおふたりは20,21歳と若きプロ!
鑑賞しているだけで泣けてくるほどのキレッキレの演技。

舞台で2倍も3倍にも大きく見える日本人の活躍が誇らしいとともに、回転、跳躍も宙で止まってるみたいにすごかったです(完全に素人目線ですみません)


今日はバレエ・ガラのような感じで、カクテル🍸に例えて古典と現代の超有名バレエが前半後半に分かれて混ぜ込まれ、ギュッッ、、!!と詰まった、初心者🔰にはとってもわかりやすいステージでした。

それにしてもプロコフィエフの超有名オペラ『ロミオとジュリエット』は、1938年にここブルノ国立劇場で初演(チェコ語でプレミエーラ)されたとか!知らなかった、、

↑ブルノ国立歌劇場はこちら。『のだめ』の映画ではパリの歌劇場の設定で出てきます。

プロコフィエフの音楽の『二面性』(メロディの美しさの裏はドロドロの対旋律)は個人的に大好物です。あのガツーン!と来る美しすぎるメロディセンスはなんなんだろう、、昇天ものです。


チェコで一番ビックリしたことは、お客さんとステージが近いこと!!

文化が本当に『近い』。

それは値段もそうだし、何より気軽に行けます。

『おかん、ちょっとだけオシャレして、バレエ見に行ってくるわ!🕺🕺🕺』

みたいなことがチェコ、特にブルノでは若者のあいだで普通です。

若いカップルがそこまで高くないスーツとドレスで来ていて演技に熱中していて、ほっこりすることもしばしば!

今日は野外ステージ、ペトロフ大聖堂を眺められる席で夏の終わりを感じながら鑑賞できました。


後半のコンテンポラリー・ダンスは個人的に凄く刺激的体験(笑)でした、、

(バッハの旋律を夜に聴いたせいで、切なくなってしまうじゃないかー!!)


と思うようなバッハのピアノソロの演奏をバックにした振付や、


『ボレロ』に合わせて熱狂的に盛り上がっていく、壁ドンの応酬のような力強いパーティ演出があったり(伝わりにくいのでホームページの動画をどうぞブルノ国立バレエ団のサイト)。


お聞きするところによると現代振付は、ロックバンドのレディオヘッドの曲たちで踊ったりするらしい。個人的にツボ。


表現は無限!

解釈もさらに無限!

自由さは無限の可能性!

といった感じでした。

そういえば大学卒業してから気づけばほとんどヴァイオリンにしか打ち込んでないなぁ、、と思ったので、今年から色んな芸術的カルチャーショックを受けてみたいなぁと、日本では落語、一輪車&サーカス、アコーディオンと色んな分野の方々の演奏会に通い始めました。


文化交流って本当素敵なことですね、、


良い夏の終わりの思い出になりました。

日本人ダンサーの皆さん、新たな世界をありがとうございました😊



会場に来る途中ではコントラバスオーケストラ・ブルノがブルノ市内トラム150周年の記念フェスに出ていて、街中にブンブンバス演奏が響き渡っていました。


実はその頃、私の故郷福山でもコントラバスの一流の演奏会が市役所で!!




10月にある、国際音楽祭に私たち『ジャパン・アカデミーアンサンブルソロイスツ(JAES)』も出演します。

Yahoo!ニュース(山陽新聞社さん)にもなったみたいです。動画もこちらで見れます🎦

故郷も、文化であたたかく盛り上がりますように!!

尽力していきます!!

ちなみにコントラバスの野外コンサートの動画はこちら!



このメンバーの半分が10代、、すごい層の厚さがチェコブルノで出来上がりつつあります!!
今日はやっと、夢の場所へ一歩一歩③のブログの続きを書こうと思います。(今回は絵文字もなく少し暗い話になるかもしれませんが、他人の戯言として読み流してください)

7年前、『プラハの大学院で勉強したい』
という夢を掲げ、高校と大学時代の殆どをヴァイオリンに捧げ武蔵野音大を首席で卒業し、意気揚々とプラハに飛び出して行った青年後藤。

音色に、心に、強く学んできた"つもり"の曖昧な自信に、成功を信じてやまなかった留学。

そこで耳にした音。



プラハの一流の演奏家の卵たちの輝く音。


同時に自分の中でガラガラと何か崩れていく音。



その時、"ちっぽけな自分"というものはコナゴナに打ち砕かれました。

『歯が立たない、、』とはこの事でした。本当にこういう瞬間って、ドラマでしか見たことなかったんですが、あるんですよ。


ロシアメソッド、チェコメソッドを日本で学び、習得した"つもり"だった。

しかし、自分で努力して得たものは一つもなかった。

一体自分はどこに立っているのか。


お先真っ暗な、暗闇の中、ひとり。


それでも10年目指してきたことは無駄じゃない、夢はきっと叶う、と欲望の塊と化し突き進み。


迎えたプラハ芸術アカデミーの入試日。


全く間違わず、テンポ通り、そう、正確に!!音程も外さない。完璧な演奏を!!!


結果は不合格でした。

全く、敵わなかった。だって音楽がないから。


失意のまま、プラハの自宅で大泣きしました。
おれは、弱い!!
10年間、捧げてきたのは無駄だった。日本で働こう。もうヴァイオリンなんて見たくない。音楽の世界が、怖い。



そんな自分の様子を見て、手を差し伸べてくれたのはプラハのチェコ語の先生。

先生
『私はプラハ出身なんだけど、昔本当にショックなことがあって、プラハに住みたくなかった時期があるの。そんな時、ブルノの友人が国立大学に誘ってくれたの。
そして、そのショックな出来事を忘れるために勉強に没頭したわ。3つの専攻を一気に取って、朝から6時から夜21時に疲れ果てて寝るまで、ずーっと机に向かってた。』


失意の後藤に、その後のチェコ語はスーッと入ってきます。

『ブルノの国立も受けてみなさいよ』



もう失うものは何もない。自分に残されたものをやるしかない。


しかし、目の前にあるのは課題。

①チェコ語をクリアしないと、実技は受けられない。

②プラハの課題にはなかった、モーツァルトの協奏曲と、スケール課題(ランダム)。

③どの先生に師事できるかは、わからない。


そんなリスクと虚しい気持ちを抱えながらも、その日から練習は始めました。

次の日、フーラ先生も残念そうな顔で

『君を教えたかった。もうレパートリーのプランもあった。スメタナも、ドヴォジャークも、マルティヌーも、君を待っていたのに』


と仰る顔を見て、こらえながらも

『私はあなたを14歳から目指してきた。それは10年遅かった。4歳から目指すべきだった。でもいまは無理だから、ブルノに行く』


フーラ先生はびっくりした顔でこちらを見て、少し考えたあと、

『全力でサポートするよ』


とその次の日からレッスンをしてくれました。


試験は一週間後。



…なんとかチェコ語はクリア。


ブルノの実技試験を終えて、バスで帰るときに家族からのメールが。


何も出来ない、こんな自分を育ててくれた親にももう顔向けできない。


絶対落ちた。

そんな絶望の中、その時はそのまま日本に帰ることになりました。




後日、24歳の誕生日。


チェコ語の先生と、フーラ先生からメールが。


『あなた、受かったらしいわよ!』


『最高の誕生日、おめでとう!!』


見た時は信じられませんでした。そして、ここからの2年をパワーアップのための修行に捧げると決めました。


全てを捨てて、プラハからブルノに旅立った日のことは忘れません。


秋の少し肌寒い日。
プラハ城が見える、レトナー公園の丘でひとりポツンと座り、お世話になった方々に電話しました。


そして、ここから自分を偽ることなく生きることを決意しました。



不動産屋に自分ひとりで行って、チェコ人の友達に手伝って貰って部屋を決めて、、、


ブルノに着いて一週間。


その後の人生を変えるヴァイオリンの先生と出会いました。

それが、ミハリツァ先生でした。



『私たちはお互い知らないから、とりあえず何か自分のレパートリーから弾いてみて。いろんなジャンルが聴きたいから、まずはソナタからコンチェルト、小品もあったら』
先生の前では最初に弾いたのはフランクのソナタ。それから、ベートーヴェンのソナタ1番。その後、バッハの無伴奏、モーツァルトのコンチェルトと、ベートーヴェンのコンチェルト。



先生は黙って40分間聴いた後、こう言われました。

『君は良い音楽は心の中に持っているけど、その出し方を知らないんだね。方法を教えるから、とりあえず楽譜を全部横において』


それだけ聞いただけで、心の底から安心した自分がいました。


全部を捨てて、この先生について行こう。


先のことは考えない。


実際、この先生との出会いがなければブルノフィルに入るどころか、自分は音楽をやめていたかもしれません。

いまは、音楽しかできないと心から言えます。

振り返るとこれまでいろんな方に救っていただいて、だからこそ世界の人と話せる、音の出し方を身につける機会をいただいたので。


続く!