長女の最近 | 毎日が実験。人の気持ちがわかる人になるブログ

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人の気持ちがわかるようになりたい人に教えています。
趣味はビールを飲むことと、和服を着ることと、自分の子を観察すること。
聴くチカラ検定の開発担当。

うちの中が多少、落ち着かなかったこともあり、

長らく文章が書けませんでした。

 

もう、わりきってわたし自身の夏休みと思うことにしていましたが、

徐々に元気が出てきたのでちょっと試しに書いてみます。

 

長女は転校することになりました。

1学期のうちは、何がイヤなのか、

それは他の楽しいことをふいにしてもいいくらいイヤなのか、

本人も決めかねていたと思うし、

言葉もぴったり表現されなかったので、

わかってあげられないなあという気持ちと同時に、

もう大きいので自分で、

親も含めた周囲に感情とは別に自分の意思を伝えられたほうがいいかな、との考えもあり、

学校とは別に、彼女の不安定さについても慎重に判断したかったので、

1学期は様子を見ました。

 

不登校のタイプとか、適応障害とか、

ちょうどそういうことが勉強の範囲でもあっていろいろ見たりもできたので、

要はうちの子が特別許容量が少ないってことなのかなー、って思ってみたりもしたし、

それはわたしが、自由に育てすぎたからなのかなーとも思ったし、

もしそうなら自由に育てることで本人が不自由な思いをするっていう本末転倒なことが起こっててゴメン、という気持ちも起こって、

よくわかんないうちはけっこう苦しかったです。

 

あと、せっかく入った学校で、部活は唯一楽しそうだったから、

転校によってそれをあきらめていいのか、というのも、

決めかねてたんですね。

学校がイヤなのは、転校しても変わらない可能性も高くて、

だったら好きなこと中心に考えないと、居場所とか意味とかなくなるんじゃないかと。

 

きっかけは、本人が、部活を夏のプチ発表を区切りにやめて、

友達のいる学校を試してみようと決めたことと、

わたしが担任と喧嘩して、長女のイヤさを理解したことです。

おかしいのはどっちかっていうと学校で、うちの子の感覚は全然おかしくない、と思えました。

 

それはもちろん100パーセント主観なので事実は違うかもしれません。

ちょっとくらいおかしくてもしょうがない、というのもわかっていますし、

この件でいろんな人と話してみて「学校を訴えて争ったら?」という過激な意見もありましたけど、

別に自分たちの正しさを証明したいとか、不利益を被った分の権利を要求したいとか、

そういう気持ちもありません。

 

わたしにとって大事なのは、

子どもが今も、未来も大丈夫だと改めて信じられるようになったこと、それだけです。

 

この閉塞感自体は、他の学校にもあると思います。

だから転校しても解決にはならない可能性も依然としてあります。

でも、それでもきっと大丈夫だっていう感覚が強くなってきている・・・ところです、まだ過程ですね。

 

ここまで読んで、額面通り受け取ったら、

健気なかーちゃんにも思えるけど実際どうなんだろうな、と思いますよね?

わたしもよそさまだったら絶対思いますw

 

いくら客観視しようとしても親子だからわからないことってありますからね。

長女にとって、まだかーちゃんが一番、良くも悪くも影響するわけで、

しかもいわゆるお年頃ですし、

バトルだってありますし、

ちゃんと信頼されているのかどうか、長女も母をまだ信じていいと思えるかどうか、

そこも確信は持てないです、小さい頃ほどはね。

 

それで、ストレス発散の奇行ですよね、ギリギリやばいよねそれ、

っていういくつかの行動が見られた時に、

試しにスキンシップ増やしてみたんですよ。

それまで、次女はてらいなくベタベタしてくるので、ぎゅーとかちゅーとか、なでなでとかしてたんですが、長女がだいぶクールになってたのでタッチが少なかったんですね。

なので、長女が寝ている布団に入って転がってなでなでしてみたり、

腹筋をつまんでみたり、ハグとかしてみました。

 

不信とか、拒絶とかあったら、スキンシップってイヤだと思うんですけど、

わりとOKで、

長女のほうからも最近、となりにくっついてきてわたしの二の腕の脂肪をよくつまんでくるようになりました。

その後、言葉のコミュニケーションもやや増えて、

何を考えてるか自然と話せてるときもあったり、こっちの意見もそれなりに受けとってる感じもするので、今は比較的穏やかです。

 

いやー、思春期って大変だなあー、ってとこですが、

すぎたらすぎたで、さびしくなりそうでもあります。

こんな楽観的なこと、言えるくらいには復活したんだな!

 


話をきいてくれた人、

見守ってくれてる人、

いつもありがとう。