能登半島地震の被災者の皆様、各地の災害被害者の皆様に
心からお見舞い申し上げます。
珠洲市で自らも被災されながら地域の方々のために炊き出し支援
を続けておられるおいこらさんという方が窮状をSNSで発信して
くださっているのですが、何と、国の視察があって、市民の方が
いまだに体育館段ボール囲いなどの仮設住居の改善願いを直訴しよう
としたところ、行政=市長から遮られてしまうという信じられない
暴挙があったとのこと…。
そして、原発被害の福島の取材を続け発信してくださっている
青木美希さんという記者の方からは、政府と福島県の協議で
帰宅困難地域を含む全避難住民への住宅支援打ち切りを決定した
との発信がありました。
私なんか、いま現在、突然に住居も何かもかも失ったとしたら、
もう生きていくことなんて出来ません。死ぬしかないと思います。
税金から、国会議員や官僚公務員には安定した給与の他に高額な
ボーナスが支払われているというのに、生活基盤を全て失って
困窮している国民に対して、なぜ、こんな無慈悲な事が出来る
のでしょう? なんという人でなしでしょうか?
政権交代で真人間に国政のトップに立っていただくしかないと
思いますが、どうしたら実現するのか、方法がわかりません。
<合唱>について、思うこと。 続きです。
大人になってから、幾つもの合唱団に参加したり、合唱の
講習会で学んだり、地元の小さなサークルの指導をしたり
合唱にはずっと関わってきました。
それが、ある時から、合唱・合唱するってなんなんだろう?、
合唱することとハモることって違うのかしら?という疑問が
わいてきました。
以下、あくまで私見ですので、その点ご容赦くださいますよう。
様々な<合唱団>での練習を経て思うようになったのですが…。
例えば、合唱曲ってメインの旋律をソプラノが受け持つことが
多いですよね。
高い声が出る方がソプラノで、ご自慢の良い声を響かせ、さぞ
気持ちいいんだろうなあ、と思うことがありました。
田舎の合唱団では、メロディーを歌えるからという理由でソプラノ
パートに固執される方もおられます。
下のパートは和音を作る役割で、他のパートに引きずられないで、
とか注意されたりすること、ありますよね?
他のパートに耳を塞いて、という感じだったり…。
特に、男声は難しい変な音程を歌う場面が多いように思います。
田舎の中学男子は、わけわかんないのを歌わされて合唱が嫌いに
なってしまって可哀想でしたが、大人になるまで合唱を続けて
おられる男性の方々は、難しい音程をも歌いこなすことに誇りを
持っておられるように感じます。
でも、わけわかんないメロディーを歌ってて、本当に楽しいのか?
一般人は、主旋律歌う方が楽しいよねえ、と思います。
ですので、指導していた地域のコーラスサークルでは、メンバーが
男性3名+女性7~10名という編成でしたので、出来るだけ
全てのパートがメロディーを歌える編曲のある楽譜を探したり、
また、本当はいけないことですが、市販の楽譜のパートを入れ替え
たりして、皆さんが気持ちよく歌えるようにしてきました。
そういう点で、最高の楽譜に出逢いました。
おなじみ、<千の風になって>秋川雅史さんのCDに付随していた
合唱楽譜、秋川さんのアレンジらしいのですが、素晴らしいです。
色々なアレンジのものが歌われていますが、主旋律を各パートに
回して下さっていて、オブリガートも素敵で、私の中ではピカイチ
の編曲です。
この楽譜を提供してくださった素敵なテナーの声の持ち主だった
おじさまは、「風」になってしまわれ、彼を失ったことでコーラス
サークルも解散となりました。感謝、合掌です。
さて、正当な<合唱>というものは、それぞれがそれぞれのパートを
しっかり歌って、指揮者が指導して、最終的には、作曲者の意図した
音楽・ハーモニー・芸術作品が創り上げられているのだと思いますが。
合唱団の様な大人数ですと、他のパートとのハーモニーの重なりや
響きを感じることは難しいよなあ…と思います。
合唱の講習会でハーモニーを作る練習があり、講師から「お互いの音の
重なりをよく聴いて」と指導されたことがありました。
バスから四和音を積み重ねて行ってハーモニーを感じる、倍音も聴こう
という練習で、その時は全体が内側を向く感じになっていたので、響きを
感じることも出来ましたが、曲を歌う時にはその余裕もなかったように
思います。
実際、ある程度の人数でステージに並ぶと、他のパートの音は残念ながら
余り聴こえません。
パートの境界線にいると、隣のパートの音が聴こえますが。自分の声さえ
聴こえなかったりして、後でその曲でソロを歌ってくださったゲストの
声楽家の方に『よく聞こえてたわよ』と言われ驚いたことがありました。
演奏の発表では、指揮者がまとめて、客席で聴けば、ハーモニーとして
成り立っているのでしょうが、「現場」では、それぞれがメロディーを
歌っているだけだったような気がしました…。
例えば、教会などだったら周囲から反響がかえってきて、ハーモニー
に包まれるのを感じられるのかなあ、と思いますが。
<合唱する>と<ハモる>って、違うことみたいねえ…と思うに
至りました。 もう一つの理由ですが。
難しい音程で合唱している方達が、日常で歌う時に普通にハモって
楽しんでおられるのかしら?という疑問も…。
履修された合唱曲は覚えていればその通りに見事に歌えますが、
それって、ご自分のパートのみ、なんですよねえ。
練習して覚えてご自分のパートのメロディーは歌えますが、さて、
では童謡でもいいですが、知っている歌に適当に3度のハモリが
出来るか?というと…私の周囲の方達は、出来ない方が殆どでした。
何年も合唱をやっていても、簡単な3度のハモリも出来ない…。
伝聞による外国の情報では、ロシアとか、誰かが歌い出すと自然に
合唱になるとか聞いたことがありますし、音楽の授業で合唱などを
教え込まれたとは思えない地域の方が、ご当地の歌を素敵にハモって
歌って踊っていたりしますよね。
南の方の島国とかメキシコとか、歌=ハモることが当たり前の様に
楽しそうに歌っている映像をみてきました。
多分、キリスト教が布教された為に、教会の讃美歌などで合唱と
いう形が日常にあったからではないか?と思います。
例えば、ゴリゴリのヘビメタのロックバンドとかでも、ツインギター
だったりすると必ずハモっていたり、歌詞は「詩」というものの
ルールとして韻を踏むのが当然のように行われていたりします。
伝統文化?でしょうか?
ここまで、<合唱>について、残念だなと思うことでした。
もう一回、続きます。
では。また。