能登半島地震の被災者の皆様、各地の災害被害者の皆様に

心からお見舞い申し上げます。

政府でさえもGWの海外旅行に受かれていたりするのに、

いまだに水道さえ使えない希望の見えない日々を送られている

多くの方がおられるという理不尽さ…。

国政を預かる人々が人としての心を取り戻し、税金の無駄遣いを

やめ、国民の生命を守る仕事に傾注してくれますよう祈ります。

 

フジコさん逝去の報は、本当に残念でした。

フジコさんの演奏についても、このブログでお伝えしようと

思っていました。

ピアノの演奏も、お描きになられる絵も本当に素敵でした。

お年ではありましたから、いつかこんな日が来るとは

わかってはいましたが、世の人々の心を癒し救い、動物たちの

生命を守り、という天からの使命の様なお仕事をなさって

おいででしたので、まだまだずっと先のことだと思い込んで

いましたので、悲しい想いです。

 

私がフジコさんの演奏を実際に聴かせていただいたのは、

ソロと協奏曲をそれぞれ1回ずつでした、

フジコさんの事をはっきり知ったのは、NHKの番組でした。

ですが、その前に、ピアノ関係の月刊誌、ムジカノーヴァ?

だったかショパン?だったかの読者投稿欄で、ドイツから帰国

された素晴らしいピアニストがおいでになるという情報をみて

気になっていたので、ああこれが彼の人か、と増々興味が

湧きました。

一緒に番組を観ていた母も感激して、是非演奏を聴きたいと。

まだ大有名人という程ではありませんでしたので、運よく上野の

奏楽堂でのソロ演奏会のチケットが入手出来ました。

ところが、母が体調を崩してしまい、クラシック音楽を心の

支えにしている東京在住の叔母を誘うことにしました。

…が、夏の暑い時期で、直前に叔母も体調が悪くてダメとなり、

どうしようかと困ったのですが、私が高校時代に指導を受けた

恩師の先生が結婚して埼玉に住んでおられ、連絡をとったところ、

OKとなりました。

 

久しぶりの東京、上野動物園で時間をつぶし、公園内を散策して

時間を待ちました。

上野の奏楽堂は生まれて初めてでした。

東京藝術大学の前身・旧東京音楽学校に造られた日本で最初の

コンサートホールで、木造ならではの音響が良いとのこと、

ドキドキわくわくでした。

開園時間を少し遅れて、フジコさんは独特の素敵なドレスに

身を包まれ、なんと靴を履かずにスタスタとステージに出て

来られました。

 

残念ながらプログラムがみつからず、曲目が思い出せませんが

ピアノ演奏会の定番な流れで、古典派のソナチネから始まり、

ショパン、リストの作品が中心で、メインはフジコさんの代名詞

ともなったリストの<ラ・カンパネラ>でしたが、とにかく私には、

色々な意味で本当に衝撃的なコンサートでした。

 

空前絶後の衝撃は、前半の演奏が終わったところで起きました。

前半が終わり、休憩…というところで、拍手を受けてステージを

去った筈のフジコさんが、ピアノの所に戻っておいでになりました。

盛大なる拍手に応えて会釈でもされるのかな?…と思ったら、

『あら、間違えちゃったわ』 …え???

どうやら、休憩に行く筈が、演奏を続けるのと勘違いされて

戻ってしまわれたようで、会場には温かな笑い声が…。

で…どうしたと思われますか?

『じゃあ、ハンガリアンラプソディーを弾きます』

ええええ~~~?! 何と、プログラムに入っていない大曲を

弾いて下さったのです。 

カッコよかったです。 ぐいぐい揺り動かされる演奏でした。

そして、プログラム終了後、疲れもみせず、アンコールも弾いて

下さったのですが、『何十年も弾いて無いから覚えてるかしらねえ』

とブラームスやシューベルトの小品をこれまた素敵に…。

何か思いついたら次々に弾き出しそうな感じで、本当にピアノを

弾くことがお好きなんだと、それも感動でした。

 

そして、演奏はどうだったかと申しますと、とにかく音楽で語る力、

表現力の豊かさに圧倒されました。

主旋律=メロディーに対して、伴奏の音の中にも他のメロディーが

あったりするのですが、それらの語りもしっかりと歌われていて、

なんと申しますか…演劇で何人もいる登場人物のそれぞれがその人と

して生きているという感じ…。

世間でよく言われていた「ミスが多い、テクニック的に問題あり」

という評価がありましたが、フジコさんの演奏はそういう事を超越

していると思いました。 

<テクニック>という言葉ですが、それはちょっと違って、実際は

<メカニック>=機械的、だと思います。

 

美術家の方は皆、ゼロから何かを生み出しますよね?

では、音楽家、演奏家は? 

作曲家以外は、誰かの作った音の列を実際に現実の音にして「再現」

するだけですよね。 

それって、芸術家として、美術と比べてどうなの?という疑問が…。

それでも、演奏が芸術として認められるのは、紙の上に書かれた音符に

生命を吹き込んで歌わせる、ということがあるからだと思います。

演劇も、役者が脚本を演じることで芸術として成り立ちますよね。

上手いのはわかるんだけど、何を言ってるかさっぱりわからない演奏

があったりして…そういうの、私は苦手なんです。

フジコさんの演奏は、音をただ並べるのでなく、語りかけてくる演奏、

『私はこの曲をこう考えます、表現します』という意思のある演奏で、

その演奏を聴くことにより、ああ、この曲はそうだったのねと納得

させて貰えるのでした。

 

終演後、恩師の先生と意見が一致したのは『リストってあんまり

好きじゃなかったけど、いいねえ』でした。

それまで聴いてきたリスト作品の演奏は、いわゆる超絶技巧的な

技術力を見せつける風に感じられ、凄いなとは思っても、あまり心を

動かされることがなかったのです。 

というか、リストの曲をしみじみ心を動かされる系の音楽だとは

どなたも捉えていなかったのではないかしら?と思うのですが…。

フジコさんの人生の苦難と結び付けられてその演奏が一般大衆に

受けたと思われている節もありますが、リストの音楽で人生の機微を

感じさせることが出来た稀有な演奏家だったのではと、私は思います。

ご冥福をお祈りいたします。

では。また。