このブログには、音楽や芸術芸能や色々の「素敵だな」と
思うこと、楽しい気持ちになれること、ピアノの練習に
何かお役に立つことをお伝えしたいと思って始めました。
でも、1月1日の能登半島地震で、心持ちと立ち位置?が
少し変わりました。
呑気に楽しいことだけみていてはいけないんじゃないか?
と思ってしまいました。
1月に入ってからは毎回、お見舞いと祈りと公けの支援を
求める批判の文言を入れずにおられず…お読みになるのが
嫌な気持ちになる方もおいでかもしれませんこと、お詫び
いたします。
今年も3月11日になりました。
あの日あの時間、私の住む新潟県もかなり揺れましたので、
とんでもなく大きな地震とわかりましたが、自宅は中越地震の
時の様な被害ではなかったので、とりあえずほっとしました。
すぐにテレビを点け、当時はまだ存命だった両親と一緒に
現地の状況を報道する映像をみていました。
津波警報が出ていましたが、長い時間、警戒している港の
映像は、かもめがぷかぷか浮かんで潮位の変化も見られず、
ああ、大丈夫かしらと思っていました。
内陸地の映像には各地の工場などの駐車場には大量の車が
停められていたり、人の動きは見られず…。
でも、その内に、信じられない勢いと量で津波が町や土地を
飲み込んでいく映像が流され、心の中で、早く早く逃げて!
と祈りながら、仕事の準備を始めました。
夜のニュースで、激甚な被害があったことがわかりました。
東京に住んでいた妹は会社から帰れなくなり、政府からの
無理な移動をしないようにという報道を携帯電話で伝え
ましたが、携帯電話等の伝達手段の被害も酷く、大変な
混乱だったことを覚えています。
一瞬で大切な家族や住む家や働きの場、町そのものすらも失い、
全てを奪われた多くの方々…その上に原発事故で、その被害の
激烈さ過酷さは、本当に気が遠くなるような、胸が痛くなる
ものでした。
原発避難の方々のお難儀も、まだまだ続いており、責任を
とらない国や東電の酷さ、真実の除染がいつになったら
出来るのかわからない現状…日本各地、原発のある自治体で
いつ同じ被害に遭うのかの恐怖にさらされ続けています、
原発事故だけでなく、各地の集団移転された方々も、高齢化で
コミュニティの存続の危機であるとの報道もあります。
なのに、その後も(その前からですが)日本各地で大災害が
起きているのに、その度に、生活を破壊された方々に向けて、
必要な支援が届けられていないとの報道があり、その苦難の中に
いつまでもいつまでも置き去りにされたりしているのに…。
次第に報道も減ったりして、SNSなどで対応をすべき政府国が
責任を果たしていない状況を知るにつけ、憤りを感じ、でも、
何も出来る事が無い自分の無力さに下を向くしかありません。
どうしたら、災害被害だけでなく、あらゆる生活苦で喘いている
弱者が救われ、普通に生きていける日本、世界になるのでしょうか?
ウクライナだけでなく、世界中の紛争地帯で子供や弱者が苦しみ、
ガザでの虐殺を止めようとする動きが政府にはありません。
誰かの痛みや苦しみや辛さを慮る想像力が人間にはある筈なのに。
わずかな募金を続ける位しか出来ませんが、想いを寄せ続けたいと
思います。
国民の幸せを作るためにこそ政治がなされますように、そんな志の
ある方が議員や大臣や官僚となってくれますように祈り、
ご自分達は特権階級で「国民」を下々の者と捉えていない方に
議員や大臣や官僚になっていただきたいと願い、これからの
選挙投票に臨みたいと思います。
楽しい話題を気楽にお伝え出来る日が訪れますように。