能登畔半島地震の被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。

輪島で自主避難所への物資の配送を止めるというショックな報道が

ありました。 余りにも人でなしの様な対応に悲しくなります。

人手がたりないというのがその理由とのことですが、地本自治体の

疲弊、人手不足は当然です。

こういう地本自治体で不足な事項を補い支援するのが国の役割では

ないでしょうか? なんのための政府、国でしょうか?

政権与党の議員達は、ご自分達が蓄財をし特権を独り占めする為に

議員をしているとしか思えません。

万博はすぐに中止して、裏金を国庫に渡して、国民の生命を守る

という思考は出来ないのでしょうか?

自分は議員という特権階級でなく、自らもも国民であるという意識で、

国民の方を向き、弱者・国民の為に仕事をする政府に変えなければ

災害列島日本は破滅してしまうのではないか、怖くて仕方ありません。

 

そんな悪政の人々とは違い、心が温かくきれいな人々も存在する、

ということが救いです。

今回は、<ともだち>について、です。

若い生徒さんや保護者の皆様は,ご存知ないと思いますが、

昭和の世代の皆様は、歌ったことはなくても、お聞きになった

記憶はあるのではないかと思います。

昭和の時代の歌って、例を挙げるとたまたま両方とも坂本九さんの

歌ですが、<上を向いて歩こう>とか<見上げてごらん夜の星を>

などのように、人と人の繋がりや心の温かさ、困難に立ち向かう人々を

励ますような歌も結構多かった?ような気がします。

 

<ともだち>は、

作詞が永六輔さん、作曲がいずみたくさん、坂本九さんの歌でした。

ちょっと調べましたら、この歌の成り立ちにはびっくりなドラマが

あったことがわかりました。

ウィキペディアWikipediaなどの情報によりますと、 

1965年に小児麻痺に苦しむ子供たちを救おうと、名喜劇俳優の

伴淳三郎さんと森繁久彌さんの呼びかけで芸能人の方々が結成した

チャリティー団体<あゆみの箱>のテーマソングだったそうです。

そして、元々は、仙台市の小中学校の療養分校(現在は支援学校)の

ベッドスクール(療養病棟)ソングとして作られた歌でした。

社会福祉協議会の学校視察時、坂本九さんの大ファンだった子供達が

学校の歌を歌ってもらえたらと願っているという事を職員の方が知り、

早稲田高校の同級生だった永六輔さんに相談したところ、賛意を得て、

いずみたくさんも無償で作曲をしてくださって出来た歌とのこと。

<あゆみの箱>のチャリティーコンサートで、坂本九さんが歌って

披露され、紅白歌合戦でも歌われたり選抜高校野球の入場行進曲にも

選ばれたそうです。

残念ながら著作権がありますので歌詞全部を掲載は出来ませんが、

♪君の目の前の 小さな花も 生きている 笑ってる

と始まり、

♪踏まれても 折られても 雨風が吹き荒れても

 君の目の前の この僕の手に 君の手を重ねよう ほら友達だ

と歌われます。

メロディーは短調ですが、軽やかなリズム (ジェンカ風?)で、

坂本九さんの歌は心に訴えかけ元気づけてくれる名曲と思います。

 

次回は、水前寺清子さんの<いつでも君は>をご紹介したいと

思います。

では、また。