ご訪問ありがとうございます
グリーンフォレストの森口です(^-^)♪
夏に向けてちょっぴり減量をめざし
今朝から
朝食は豆乳!( ̄^ ̄)!と決めたは良いけど
ちょっぴりお腹がすき始めて困り中・・・
さあ!集中集中
続きを待ってるよ~♪っと
温かいお言葉をいただきながら
なかなかUPできずにいた
過去の1ページ③
なんとなくふと思い出して
なんとなく書き始めた記事だったんですが
過去の1ページ①
過去の1ページ②
思い出と現実とでおこる事が
微妙にリンクしはじめて
なんだか
あの頃の答え合わせをしているような
そんな感じもしていた今日この頃です(^-^)
おじいちゃんのお手伝いをしたのは
今から4年程前
あの年は
記録的猛暑かつ大雪の年でした
毎日2人分のお弁当を作って
子供が幼稚園に行ってる時間だけ
お山のお掃除のお手伝いをする
いろんなことがありました
ほんといろんなことだらけでした:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
なんだかんだありながらも
雨の日や
幼稚園行事の日を除いてほぼ毎日
春から次の年の春までの1年間
私はおじいちゃんと
山で時間を過ごしたことになります
今からふりかえると
ほんとよくやったな~(--)と思います
何を求めて
何を考えてやっていたのかは
正直はっきりとは答えられません
頭で考えても答えが出ないなにかを
こころで必死に受けとめていた
これが言葉で表せる精一杯です
山では
ほんとにいろんなことがありました
人との出会いが
1番大きかったかな(^-^)
普段生活していれば
会うようなことがないかな~
って方々とお会いする機会にも恵まれました
お山散策に入る保育園児さんから
退職された
会社役員さんまで年代もバラバラ
役場の方々や農家さん、
地主さん、登山客
おじいちゃんのご友人や神主さんまで
時にはスカウトされたり(仕事で)
はたまた
縁談が舞い込んだり(注 既婚です笑)
おじいちゃんと
派手にケンカしたこともあります
どっちも引かない頑固な性格だし
似通った部分もたくさんあったんですね
・・でも仲直りして
またお手伝いして(^-^)
何事もなく
ただお手伝いをした過去の話だけなら
きれいごとで終わるのかもしれませんが
そうではなく(^-^)
意見の相違や
相手の立場お互いの存在を
ありのままにそのまんま認め合う
父親よりも
はるかに年上のなんの血縁もない関係
そこから私は
人と人との対等な関係を
学んだのかもしれません
はるかに年上ですから
もちろん
尊敬の念と礼儀をもって接します
でも下手すれば
そこで上下の関係性ができ
慣れから生まれる「~させられている」という思い
それが出てきても
おかしくなかったかもしれない
でも
おじいちゃんはそうじゃない
個人と個人
人と人の関係性をつくってくれました
私は3人兄弟の真ん中で
女の子1人としてうまれ
つねに
女の子だからと言われて育ちました
女の子だから~しちゃダメ
女の子だから~しなくちゃいけない
女の子だから~であるべき
かなり
ほんとにかなりきつい制限をうけて育ちました
それは母もそう育てられたから
今ならそれも理解はできますが
幼いころの私には当然わかりません
なんで
言われたままにしなくちゃいけないのか
どうして自分の思い通りにしたらいけないのか
疑問がうずまきながらも
親の顔色を見て
周りの自分への評価を聞いて
初めて自分自身を良しとした
そんな過去が私にはあります
自分が良しとしたとしても
親が良しとしなければ
周りの評価がよくなければ
私の存在価値はなかったんです
私の存在意味はなかったんです
おかしな理論ではあったのですが
それが
あたりまえのように私にはなっていたので
常に周りに気を遣い
親の喜ぶ行動をとり
自分自身のことはさいごにまわす
もともと
敏感に空気を察知する性格もあったので
無意識に
神経をはりつめていたんでしょう
毎日毎日がへっとへとでした(--)
だって
自分で自分を良しとしないから
評価してくれる人をもとめ
評価してくれるまで
限界なく行動するんですから
人は慣れる動物です
評価のラインも変わってきます
常にフラットな感情でもありません
昨日のありがとうのラインが
今日のありがとうのラインと
同じわけでもありません
自分で自分のハードルをあげて
苦しんでいたんです
そんな中での山でのお手伝い
1人の時間をもち
頭をからっぽにし自分自身と向きあう
人生の大先輩と向きあう時間
自然がつくりだす音 匂い 空間
ある意味私は
修行してたのかもしれませんね
お寺ではなく山の中で
瞑想や写経ではなく
掃除という一点集中してリラックスする
私の趣味を生かして
脳波を瞑想にちかいα波にし
自分自身と向き合う
たくさんの人との出会いの中で
おじいちゃんとの関係性の中で
生きた教えを
体得していったのかもしれません
今は講師として
カラーの講座を開いていますが
当時は
色の知識は全くありませんでした
でも今振り返ると
山の中にいたこと
それに
カラーセラピーも関連していることがわかります
緑には やすらぎや癒しなど
よく知られている効能がありますが
それ以外にもう一つ
ハートチャクラの意味もあります
ハートチャクラのテーマは無条件の愛
誰もが生まれながらに持っている
愛を感じ受け入れる事で
自分や
人を愛することを学ぶという意味もあります
人の感情と健康を司り
肉体だけでなく感情の成長を促す意味もある
ハートチャクラ
バランスをとる、中立中庸の意味も
緑にはあります
カラーセラピーには自分に必要な色を
常に意識づけのために身のまわりにおく
同色療法もあります
いまでこそわかることですが
当時何も知らなかった私は
無意識にそれを行っていたんでしょう
緑の中で
時間の感覚ももたずに
ただ自分と向き合う時間
山でのあの1年間は
私にたくさんの気づきと学びをくれました
ふと気づいた時には
ずっと起こり続けていた
不思議な出来事
目には見えない存在に
振り回されることもなくなりました
知らないまに
自分の波長があがったのかもしれませんね
我が子が幼稚園を卒園し小学校に入る春に
山でのお手伝いを終えて
私は潜在意識を学ぶことを決めました
おじいちゃんは
山で一緒にいた1年間
あなたには
ほかの人には無い何かがある
外に出なさい
人にふれなさい
私はあなたに助けられた
年齢のせいにして出来なかったことを
あなたがいてくれたから
やってみようと思った
自分を信じて前に進みなさい
そう言ってくれました
私がしたことは
おじいちゃんと一緒に
私の大好きなお掃除をしたことだけ
でもおじいちゃんは私に
私は私のままでいることでも
十分
存在価値も存在意味もあるんだと
いっぱい教えてくれました
潜在意識を学ぶと決めた私には
ご縁ある皆様との出会いが続き
今現在に至っています(^-^)
お風呂でふと浮かんだ
グリーンフォレストのサロン名
当時いろんな意味をあと付けして
なるほど
それでグリーンフォレストか~(--)
なんて
自分自身で納得していましたが
今やっと気づいたこと
私が自分自身を癒し 気づき
自分を受け入れた山
そして
そこにいてくれたおじいちゃん
今わたしは
グリーンフォレストで
クライアントさんや生徒さんと
対等に寄り添う関係性を築いて
共に学びを深めています
あの時のおじいちゃんのように
クライアントさんが
ありのままの自分を認めるお手伝いを
してるんだということ
あの1年間が
こんなに今に関連してるんだと
改めて感じることができました
おじいちゃんは今現在80代後半
いまも元気に
山に入ってお掃除しています
そして
ふら~っと
我が家に来てお茶を飲んで
あの1年間の話をしたり
今の私の姿を見ておもしろがったり(^-^)
不思議ですねご縁って
私はたくさんの人に助けられて
いまここにたどりつきました
苦しかった経験の数々が
いまクライアントさんと向き合う時
共感というものにかたちを変えました
いままで起こったこと
すべてがあれでよかったんだと
いま素直に思える自分もいます(^-^)
つらい毎日からの出口となったのは
行動にうつすことでした
自分の人生は
自分でしか作り上げられない
改めてそうおもえた
過去の1ページシリーズ
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ありがとうございます(^-^)