今日は二、七日でした | 胡麻柴ダニエル ワンコなライフ3!

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「やるんかい、こら!」人生(もとい犬生)と私との
ワンコなライフは続きます。Part 3

お母さん ご無沙汰です。ダニママです。

先週、ダニエルのじいやんこと、私の父のお通夜と葬儀を無事終えることができました。旅立ってからこのの日曜が来ると丸2週間が過ぎていきました。。今日はそんな父の二・七日でした。

 

あっという間の2週間でした。ICUにいた時もそうでしたが、毎日の面会があっという間にやってきて、あの時から私を取り巻く時間は、まるで1日24時間でなく、5時間くらいしかない感覚でした。

 

ダニエルのばあやんこと私の母は、父が亡くなって母は一気に老け込んでしまって、葬儀までの数日は、現実に何が起こっているのか理解を超えてしまったようで、「父ちゃん、どこ行ったん?」、「父ちゃんまだ帰らんの?」と私に聞くのです。

そうかと思えば、「父ちゃん、死んだん?」とか。。

 

そう聞かれると、私も我慢の限界、現実を説明しながら二人で泣いてばかりです。

 

家族の死は、残された者が代わりにやらなければならないことのなんと多いことか。父の銀行口座は全て凍結され取引はできなくなり、口座引き落としとかある該当の会社へ次々と連絡し手続きをしないといけません。、年金の支給はとまり、遺族年金や未取得の年金などの支払い申請手続きに、なんと多くの提出書類があり、複雑な書類作成をしないといけないことか。長く頑張って働いて収めていた年金の支給が、当人が亡くなった途端、正しく手続きをクリアしないとビタ一文もでないのです。

おかしいでしょ、こんなの?!

 

銀行口座を開けてお金を移すためには、これまた凄まじく面倒な提出物が。。T_T

 

今の最大の面倒臭い書類作成は年金を配偶者が受け取るための手続きですねっ

そして相続登記っ

 

あまりにもやることが多くて、提出しないといけない文書が多くて、右往左往しています。

 

だから今は父の死に泣きじゃくってる暇もなく、だから耐えられているんですけど、一人になった時、そして夜はとても辛く怖いほど寂しいです。。

 

ふと振り返れば父がこたつで新聞読んでる、スーパーで買い物入れた段ボールを抱えて玄関を入ってくる父を思い出し、ああ、もう父はいないのだ、この世ではもう、会えないんだって想いがあ溢れ出てきて辛くて、悲しくて。。

 

ずっとずっと一緒にいた父で、妹が亡くなってからは家族3人で生きてきました。母にとっては62年連れそってきたパートナーです。どこに行くにも何をするにもいつも一緒の二人だったから、母の落ち込みようと、認知症のような症状が出ているのはよく理解できます。

 

そんな母に、世帯主が亡くなったあとの短い期間でしなければならない法的手続きがわかるはずもなく、全て私が奔走しています。わからなくても、複雑すぎても、関係各所へ立ち寄ったり、しなければならないことに振り回されても、父がいない悲しみにどんなに胸が苦しくても、気持ちを受け止めてくれる、サポートしてくれる家族はいません。

 

これが一番辛い。せめて妹が生きてくれていたら、兄弟や子がいてくれてたらと、今回ほど悔やんだことはありません。

 

若い時に私は自分の家族を持つことより仕事のキャリアを選びました。そのことに悔いはないし、もう一度20代、30代に戻ってもまた同じ選択をするでしょう。

 

でも年月を積み重ね、特に今回のように家族と別れなければいけない出来事が起こると、支えてくれる人がいてくれたら、子供がいたら、こんなにも悲しみと不安を一緒に共有してくれ和らげてくれる、心を整理する時間も助けも得られただろうに、とつくづく思ってしまいます。

 

そして何より父に謝りたいのは、孫をその腕に抱かせてあげられなかったこと。男手を絶やしてしまったこと。

 

仕事のキャリアや地位を積み重ね、自由に生きることは素晴らしいことだしビジネスには自負とプライドがありました。現役時にはそのためにはどんな努力も、弾丸海外出張も試練も全て、自分の目標や夢のための糧になり得ました。プレッシャーもストレスも何物も、一人で抱えて解決することに、なんの戸惑いも恐怖も辛さもなかったです。

 

でもね、これが歳をとるということでしょうか。経験や知識を得ていく代わりに、心の弱さ、もろさが己の中で積み重なってしまうようです。

 

兄弟姉妹でも、子供でも誰でもいい。家族を持てる幸せや心の拠り所を得たかった、得るべきだったと、今はそうしなかった後悔や悔いでいっぱいです。子供は親に自分の家族を見せてあげることが何よりの孝行だと、父を急に失った今、痛感しています。

 

私の場合、父にとってダニエルが孫であり、私にとって宝物の家族でした。

 

失って改めて父の偉大さ、寛容さ、愛情が次々と思いだされ、2週間が経とうとしている今も、どうしても泣いてしまいます。

時間が取れるようになったら、時間を遡ることになりますが、父が病と闘った日々の記録と想い出をノートに記して行こうと思っています、

 


父さん、

ごめんね。大丈夫良くなってる、早く家に帰ろうだなんて無理を押し付けて。

 

ごめんね、いい娘じゃなかったよね。留学や仕事で飛び回ってて心配ばかりかけた。喧嘩もよくしちゃった。

 

そっちにいる妹やジョン、ダニエルに会えた?

そっちでまた、みんなと家族として幸せに過ごせるね。

でも四十九日法要が終わるまでは、まだこっちで一緒にいてね。

 

父さん、大好きだよ。

あなたの娘で幸せでした。

ありがとう。感謝しても仕切れません。