武器学校・土浦駐屯地開設記念行事2015 ② | どるにえ北多摩製造廠

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ここ数日の間、仕事→風邪の療養で終わってしまいました。
海自の事前公開にも行けず、本番である観艦式の抽選も当然のように外れたので
昼飯をとりつつニコ生で気分を味わっていました。ブルーのファンブレイクは美しいなあ(←



さて、そんなわけですでに一週間前の出来事ですが、土浦のレポ後半です。
今回はなるべく以前と被らないように選んでみました。




まずは小さめのところから。



日本ではマレー作戦で馴染みの深い、ブレンガンキャリアの由来にもなった
ブレンガンこと、ブレンMk.1軽機関銃が存在感を放っていました。




イギリスの兵器としてはかなりの長寿を全うし、湾岸戦争まで使われました。
中東などのイギリスと縁の深い国では、今でも現役の高精度を誇る軽機銃です。
 

 


そのブレンMk.1の後継でもあり、歩兵用軽機関銃として数多くの国で主力を担っている
MINIMI。もちろん日本でも採用されています。ライセンス生産ですが、担当企業である
住友重機械工業があろうことか、過去10年以上にわたりMINIMIやM2重機において、
発射速度や命中精度等、根幹となる性能を不正に改竄するという事件が明るみに出た、
いわくつきの装備品だったりします。やたらとジャムるしなあ…。



軽機に続いて重機もいくつか。



すでに制式採用から80年以上が経った今も不動の地位を確立している、M2重機。
そのシンプルな機構ゆえ抜群の信頼性を発揮し、あらゆる場面で使用される汎用火器です。
今回で言えば、装甲車、戦車等にも広く装備されています。






M1919のA4(右)とA6(左)。
A4から車載型を想定して作られ、A6では見ての通り二脚を備えており、
歩兵分隊用に軽機関銃として使えるように改良されましたが、15kgはさすがに重すぎたのか
後期モデルとしては生産数も少なめでした。


さて、武器学校では、M2とM1919を同時に装備する兵器が結構たくさん見られますが、
その代表格ともいえるのがこちら。



以前も紹介した、M4A3E8、シャーマンイーズィーエイトです。
砲塔上部にM2を1挺、車体と砲塔にM1919を各1挺ずつ装備するのが
米軍の戦車としては当時一般的でしたが、M26パーシング以降車体機銃は
防御面等の理由から廃れていき、主砲同軸+砲塔上部が一般的になります。



ここまで米英のばかりというのもなんなので、たまにはそれ以外のものも。





AK-47系列色々。上からイスラエルのガリル、北朝鮮の58式自動歩槍、中国の56式自動歩槍。


ガリルはAK-47をベースに独自の改良を加えていますが、下2つはほぼ丸コピー。
イスラエルはともかく、東側のは年代的にベトナムの鹵獲品でしょうか。





これもよく分かりませんが、恐らくノモンハンで鹵獲したShVAKではないかと。
ShVAKは1939年当時、ソ連戦闘機などによく採用された航空機用20mm機関砲です。
性能は米英のものと比べそれほどでもないので、あまり見るべき所はなかったのかも。



あのRPG-7の祖先、RPG-2です。完全な無反動砲で、パンツァーファウストの発展系。
歩兵自身の力で自軍戦車を破壊してくる、ドイツ擲弾兵に余程悩まされたのでしょう。



さて、今度は日本の火器に戻ります。





八九式重擲弾筒。歩兵の支援火力に乏しかった日本陸軍にとっては、
山砲や歩兵砲などよりも身近な、敵陣地攻撃には欠かせない火力の一つでした。


発射角度は写真の通り45度固定で、射距離はねじ操作による腔内容積調整で行います。
地面に固定する足部分の形状が大腿にフィットするからと、鹵獲品を足の上に置き
発射する事故が多発、後にマニュアルではっきり禁止されたというのは有名な話ですね。




一式十二・七粍固定機関砲(ホ103)。陸軍の一式戦闘機「隼」一型乙以降
大戦後半に入るまで、大半の制式戦闘機に搭載されていた主力機関砲です。


上でも紹介した、アメリカのM2の航空機型のコピーですが、威力はオリジナルに劣りましたが
そこそこの実用性を発揮し、より高火力であるホ5が登場するまで、様々な機体に
採用され、新型弾も開発されました。



九五式射爆照準器。大戦初期の艦爆に装備されました。
零戦などに搭載された九八式は反射式(光源から反射した映像を見ながら照準する)でしたが
こちらは旧式の光学式で、密着しないと照準ができず、視野が狭くなるという欠点が…。


急降下爆撃を行う艦爆乗りにとって非常に不便だったであろう事は
容易に想像がつきます。そこを練度で補っていたわけですね。





九七式車載重機関銃。口径は7.7mm、九七式中戦車以降のほとんどの戦車、装甲車に
搭載されました。上の方が防弾カバーもあるなどして、車載で使われたものに近いですが
照準眼鏡が外されているのが惜しい所です。まあ仕方なかったとはいえ。





三式中戦車で言えば機銃は車体の向かって右側に装備され、通信手が機銃手を兼ねます。
アメリカのような主砲同軸機銃はありません。最後の五式で奇妙な重武装を計画はしたけどw


そんな事より、車両の前にトラロープが張られていて奥に行けません!
前来た時はエンジンルームまで覗けたのに、実に残念なことです。
絵になるアングルとしては、↓このぐらいが限界ってところでした。







まあ、現存するたった一つの歴史的資料ですから、あまりベタベタ触ったり
いじられたりするのは本来好ましくないですし、文化財を損傷させる事件が起こる昨今、
致し方ないかなとは思いますが。



それでは、最後に屋外展示の大型機材を取り上げます。







やっぱり、土浦に来たらこの八九式と三式の二両を見ない事には帰れないですよね。




国内で現存する唯一の有名人といえば、ラッチュバムさんも忘れちゃ駄目ですね。

ZiS-3 76.2mm野砲です。相変わらずいかつい。
敷地内に60式自走無反動砲in偽装陣地なんて展示もされてますが、
対戦車砲の横に偽装を施した写真とか置いてあったら最高ですね。





トリは12式地対艦誘導弾。名称の通り最新式の地対艦誘導弾システムで、
88式地対艦誘導弾の後継機種にあたります。


近年の艦艇の対ミサイル能力に対応した、とても利口なミサイルシステムです。
まだ富士と武器学校の、教導や整備教育を専門とする部隊にしか配備されてません。
そう考えるとかなりレアな機材かも知れませんね。



横から見た図。発射時と移動時の違いという事で。





さて、長々と書き連ねてきましたが、土浦武器学校レポは以上になります。


今回は都合により予科練平和記念館には行きませんでしたが、
雄翔館は時間の許す限り見学してきました。


兵器や戦史はもちろんですが、過去の人々がどう生きていたのかを考える上で
とても意義深い場所だと、ここに来るたび感じます。東京から少々遠いので
前日土浦入りなんて事をしましたが、次回来る時は予科練平和記念館の方を
メインに見て回りたいですね。余裕があれば霞ヶ浦のおいしいものとかも。