村山市林崎にある居合神社
正式には『熊野居合両神社』といいます。
全国唯一の居合道にまつわる神社で
御祭神は、居合道の始祖である
林崎甚介重信という方だそうです。
1542年 現在の村山市に生まれる
室町時代で鉄砲やキリスト教が
伝来した頃になります
(wikipediaから)
幼少の頃に父の浅野数馬(楯岡城6代
城主に使えた武士)が1547年、
坂一雲斎に恨まれ、夜更けに碁打ちの
帰宅中を闇討ちされます。
(※林崎夢想流)第十七代宗家奥山勧禅によると
(林崎甚介が流派を名乗ったことは無いが)
1559年、元服
林の明神に百か日参籠し、仇敵坂上主膳を
打ち、父親の無念を晴らさんと請願し、
家伝の大刀三尺二寸三分を腰に帯、
抜刀を日夜練磨した。
満願の暁、夢中に林の明神が示現し、
抜刀の秘術卍抜を授けられ」
1561年、齢19にして仇討ちを果たした
(本懐を遂げたのは1560年とも言われる。
これは古来、年齢は数え年で数えられて
いたため)。
その後、諸国を廻国修行する傍ら幾多の
弟子を育てていて、その途中で加藤清正に
招かれ加藤家の家臣を指南したとも伝え
られている。
1562年、母親が無くなると再び旅に出て居合を
広めたとされている。
赤い鳥居は西を走る国道13号からも見え、
南進車線からは左折で入れるのだから今は
付近の道路が工事中のため旧道から回る
ことになります。
鳥居前には、勝利を祈念して奉納された
のぼり旗が参道に沿って立ててありました。
ここの狛犬吽行は右足で子獅子を
押さえつけてますw
手水舎はこんな感じです。
御由緒、沿革を書いた立て札には
石仏についての記載があり甚介が母を供養した
石仏がちかくにあったという。
我が母校である村山農業高校(現:村山産業高校)
のさらに前は簡易農学校といい、墓所の一部も校地の一部になったらしい。
初めて知りました。
おみくじはどこで帰るんだろう?
見る人が見ればわかるのでしょうが
見識のないオイラには分からず仕舞い
施錠されてます(残念)
お墓なのでしょうか?
墓型の石碑なのでしょうか
参道左手にある建物は展示室(資料室)で
ガラス越に展示品が一部見えましたが無人
閉鎖ちゅうでした。
駐車場右手には「村山居合振武館」という
建物があります
武道館ですね
おそらく居合、抜刀の稽古が主でしょうね。
神社の管理は別なのでしょうか。
御朱印はある?ない?
サムライ体験とか
毎月第三土曜10:00悪運斬り祈願とか
お知らせも垣間見えるので、それに
合わせて来たらまた違う光景が見えるかも
出直しますw
杖術指南みたいな記述も見た気がする
刀をいなして4尺の杖一本で身を護る…
こちらの方が興味があるなぁw
近場には杖道を習える道場はないのかな