むかしむかし

〇〇庁〇〇学校に通っていた時、

学校長が全校生徒の前で口笛で

ソロ演奏したのがそれはそれは

見事な口笛なので聞き入ったこと

があったのを思い出す


田舎出身で畑や山に囲まれた環境

で育った自分にはそれが新鮮で

また衝撃的で興味も沸いた


それは「海ゆかば」

歌詞はこうだ


かば かばね
やまかば くさかばね
おほきみの にこそなめ
かへりみはせじ


詞を訳すとこうなる

歌詞の大意は

「戦いで海に行くなら水に漬かる屍となり、

山に行くなら草の生える屍となろう。

天皇(大伴家持が仕えていた奈良時代の

「第45代 聖武天皇」)をお守りして死ぬのなら、決して後悔はしない。」といった内容です。


第二の国家とも言われたり、

出兵の歌、出征兵士を鼓舞する歌とも

言われるそうです


大伴家持(おおとものやかもち)は

聖武天皇に仕える武門の出であり

その忠誠を示しているとも言われる


戦争映画ばかり観ていてこの歌を初めて

聞いた時は、「水漬く屍」は海岸線に

無数に浮かぶ兵士の亡骸

※ノルマンディ上陸作戦(米→仏(独領))

上陸舟艇で着眼する前に次々に銃弾を

受けて海に落ちる歩兵、工兵の屍


「草生す屍」は山積みにされた無数の

兵士の遺体をイメージしてしまった

(300スリーハンドレッドみたいな死体の

山で壁をつくるみたいなw


当然ながら現在の天皇皇族と国民の

関係性とは違うのかもしれない


現在では天皇は

日本国民統合の象徴であるわけで

かつて自分の親兄弟息子孫たち親族が

戦争に詔勅され学徒動員でカスリの

モンペで竹槍持って憎き鬼畜米英!

という時代を生きてきた人たちが

ウラメシヤ皇族とはならずにこころを

ひとつにできたのも日本人の持つ

心の不思議さ美しさにあるのだろう


終戦時、昭和天皇が敗北を受け入れ

ポツダム宣言を受諾しまた米国も

日本を占領地、植民地扱いしなかった

マッカーサー元帥の影響も少なくない


農地改革、婦人解放、労働改革

それらを民主化を軸とした国民主権と

平和主義の新憲法を作った


自分が生まれる前のことだね

日本の真珠湾攻撃が1941年12月7日

1945年8月6日 広島原爆投下

1945年8月9日 長崎原爆投下

ポツダム宣言受諾が1945年8月14日

調印は東京湾停泊中のアメリカ戦艦ね

ミズーリの中だったという


そしてあの玉音放送

「耐え難きを耐え…忍び難きを…」


年配の方々の中には

昭和天皇が降伏したから今の平和がある

とおっしゃる方が少なくありません