(1巻64番 原詩)

De nuict soleil penseront avoir veu,
Quand le porceau demy homme on verra,
Bruit, chant, bataille au Ciel battre aperceu
Et bestes brutes à parler on orra. 

 

(直訳)
 夜の太陽に 彼らは望みを持っていると考える
 豚の水の半数の人が それを見るとき
 騒ぎ 歌 天への論争が戦いを起こす
 そして 野獣化した家畜が その人にオーラを話す

 まず、1行目ですが「夜に太陽」が見えるわけありません。ところが、ここでは見えていて、その太陽に「望みがある」と考えるようです。
 じゃあ、その「太陽」は何なのか、というと、2巻41番の詩に出てきた「雲が2つの太陽を見せる」の「太陽」だろうと思われます。
 そして、ここで言う「望み」は「命を救ってもらう」というとこだと思われます。

 2行目の「豚の水」というのは、正確には分からないのですが、ヨーロッパの水没によって陸地に入り込んできた水が、放射線などに汚染されているため、汚れた水という意味で「豚の水」と言っているのではないかと考えています。その中で溺れている人たちが、その「太陽」を見るのではないかと思われます。

 3行目ですが、今まで見たことがないものを見るわけですから、当然「騒ぎ」が起きるでしょう。大事なのは、その次のフレーズ。
 まず「歌」ですが、溺れかかっているような人が多数いる状況ですから、普通、この状況で歌など歌いません。となると、何の歌なのか、ということですね。
 それで、ここで「イエスキリスト」見えているとすると、皆がここで歌うのは「讃美歌」ではないかと思われます。

 次の「天への論争」ですが「天」は「神様」ですから、天に現れた「イエスキリスト」を指していると思われます。ただ、当然、UFOが見せているキリストですから、それが本物なのかどうか、そのキリストに救ってもらって、本当にいいのか? そういう論争になるでしょう。おそらく、敬虔なクリスチャンは「これこそが、キリストの再臨だ」と考えて、神に自分の身を委ねようとするでしょうし、懐疑的な者たちは「侵略のためにきている」と判断して、気を許さないようにするでしょう。
 そして、このゴタゴタが思った以上に長く続くようです。初めて経験することですから、なかなか結論が出ないということですね。それで小田原評定のような状況が続くと思ってください。

 このように、現実的にはあり得ない「夢」というか「SF」のような話なのですが、突き詰めていくと、どうしても、このようにしか解釈できないんですね。

 

(直訳)

 夜になって光っているUFOを見て 救ってもらえるのではないかと人々は考える

 2行目 不明

 (前半不明) UFOに救ってもらうかどうか、という議論が起こる

 4行目不明