前回はマクロスΔのヒーロー「ハヤテ・インメルマン」の“ハヤテ”の部分にスポットを当てて語ってみたけど……
今回はインメルマンの方に焦点を当ててみたいかも🍎
神話バレ注意かも
マクロス公式によると……
ハヤテ・インメルマンのネーミングの由来は……
名前:ハヤテ
第二次世界大戦時の日本戦闘機
「中島飛行機・陸軍四式戦闘機・キ84・疾風」
家名:インメルマン
第一次世界大戦におけるドイツ帝国の撃墜王マックス・インメルマン
まずはドイツの撃墜王マックス・インメルマンについて……
マクロスはモデル人物の人生なんかも物語に反映される可能性があるから……例えば一条輝様のように……念のためチェックしておきたいかも🍎
マックス・インメルマン
Max Immelmann
1890~1916
第一次世界大戦初期の戦闘機黎明時代にフォッカー戦闘機(Fokker Eindecker E.III)を駆ってインメルマンターンと呼ばれる空戦機動の生み出したドイツ帝国陸軍航空隊の伝説的エースパイロット
1890年9月21日にドレスデンの実業家家庭に生まれ……
15歳のときドレスデン士官学校に入学、卒業後は少尉として鉄道連隊に所属し士官候補生として任務に就く
1912年に軍を離れて機械工学を学ぶも、1914年、第一次世界大戦勃発に伴い予備役将校候補として機関銃大隊に配属後、ドイツ陸軍航空隊に転属🛩
1914年11月からパイロットとしての訓練が始まり、翌1915年2月に初の実戦参加……このときの乗機はLVG複葉機……最初の数カ月は全くの未勝利で、逆に6月には初の被撃墜も何とか自陣営に着陸することができ、当時はまだ貴重な航空機機体を保存したという理由で二級鉄十字章を授与されてるそうな……
7月下旬から新型機フォッカー戦闘機(Fokker Eindecker E.III)に機種転換し、8月初日には初の撃墜スコアを記録……
その後1915年12月に6機撃墜時にホーエンツォレルン王家勲章を授与
Fokker Eindecker E.III
そして翌年1916年1月12日、彼を一躍有名にしたドイツ最高の軍事栄誉であるプール・ル・メリット勲章・戦功章を皇帝ヴィルヘルム2世から直接授与されることに……これが青い勲章“ブルー・マックス”誕生の原点
でも第一次世界大戦は戦闘機が初めて実戦投入された時代……
当時の戦闘機は機械的信頼性が低く、機体構造も脆弱で防弾装備も皆無、落下傘などの緊急装備も無かった……
第一次世界大戦時はパラシュートはまだ実験的なもので、いくつかの破壊工作で使われたのみ……不便で重くてかさばる当時の落下傘は航空機用緊急脱出用具としてはみなされてなかったらしい……
そんなこともあって初期のエースはインメルマンを含めて多くが戦死・事故死している……
マックス・インメルマンも1916年6月18日に英軍との空中戦で戦死……
英独両方の記録から判断すると……英国航空機の攻撃もしくは機銃同調装置故障、味方対空砲誤射等の理由によるプロペラ損壊による激しい振動で脆弱な機体が空中分解しての墜落だったみたい……
最終的な撃墜スコアは15機~17機……最終階級は陸軍中尉……
プール・ル・メリット勲章
マックス・インメルマンの名を一躍有名にしたのが、プロイセン王国時代の1740年から続くプール・ル・メリット勲章(Pour le Mérite)・戦功章を航空機パイロットとして初めて授与されたこと……
同時受章のライバルエースのオスヴァルト・ベルケとともに大々的に宣伝されたらしい……
この勲章は青色だったので、第一次世界大戦時にドイツ帝国が大々的に宣伝したマックス・インメルマンの活躍と勲章授与が契機になって、ドイツ軍内部での非公式な名称としてブルー・マックス(Blue Max・独:Blauer Max)という呼称が使われるようになり、後に世界的に知られるようになったらしい……
受賞者は勲章を身に着けるのが義務だったらしく上のインメルマン氏の広報用ポートレート写真でも首元に付けている模様……🍎
1916年1月12日、皇帝ヴィルヘルム2世直々の受章式ではライバルのエースパイロットであるオスヴァルト・ベルケも同時に勲章を受け取っているらしい……彼はインメルマン戦死後も戦い続けて最終撃墜スコアは40機……
でも彼はエースパイロットとしてよりも世界初の戦闘機戦術マニュアル「ベルケの訓戒」で個人空戦技術だけでなく編隊戦に関する戦術を紹介するなど、戦術指揮官や教官・指導者としての評価の方が高いみたい……
マックスもオスヴァルトも当時は世界的に喧伝されたそうだけど、一般大衆への印象はインメルマンの方が強かったみたい🍎
しかしそんなベルケも味方機との空中衝突で死亡
マックス・インメルマンの死後、1917年に入ると戦闘機の性能も上がり、作戦に投入される航空機数も飛躍的に増えた影響でエースパイロットの撃墜スコアは急上昇………マックスよりも撃墜スコアが高いエースが第一次世界大戦終結までに世界で40人弱生まれることに……
でも80機撃墜のレッドバロンことマンフレート・フォン・リヒトホーフェン(ドイツ)も53機撃墜の美雲様の名前の由来になったジョルジュ・ギヌメール(フランス)も戦死………
マクロスワールドでは“只の天才”マクシミリアン・ジーナス様の呼称がマックスだったことあって、彼を象徴するエースカラーがBlue Maxの色である“青色”になったという説もあるらしい……
でもやはりマックス・インメルマンの影響が大きいキャラクターはハヤテ・インメルマン🍎
確かにハヤテのイメージも青い髪に青い機体に青いパイロットスーツだけど……
何と言っても……ハヤテ・インメルマンの公式誕生日はマクロス歴2050年9月21日……これはマックス・インメルマンの誕生日1890年9月21日と月日が同じなんだよね
これは決まりでしょ
しかも……
この9月21日は東方正教会の生神女マリヤ生誕祭(聖母マリア生誕祭・聖書等古典資料ではマリアの生誕日は不明)でもある……
特にロシア正教には東方系キリスト教であるにもかかわらずバイキング的伝統……キリスト教が敵視弾圧したはずの北欧神話的価値観が色濃く残っているように思える……
『絶対LIVE!!!!!!』で北欧神話「ロキ・フレイヤのイズン奪還物語」と聖書神話「生神女・聖母処女懐胎劇」を同時進行で演じたハヤフレには運命の日かもしれない……
さらにさらに……
9月21日は“秋分の前日・前々日”……つまり“夏の最後の日”……と言う意味がある……
“終焉と再生”の物語でもある北欧神話には終末論にあたる……“神々の黄昏・ラグナロク”……がスゴク有名かも🍎










大規模火山噴火による“火山の冬”説……いまだにどこの火山噴火だったか分からない……
はたまた小惑星の落下説によるという説や……小惑星落下が大規模火山爆発を誘発したミックス説も最近は有力らしい……
また北欧神話の原型が生まれた北欧青銅器時代が終了する原因となった紀元前600年頃にあった大規模な気候変動が伝わったもの……ラグナロクの初めに太陽と月が天狼に食べられたのは日食・月食とみなしてその時期を特定しようとする研究者もいる……でもコチラの節は最近の地質学的研究等から否定されつつあるらしい……
北欧神話ではこの“フィンブルの冬”が始まる前日が“最後の夏の日”、つまりハヤテの誕生日9月21日とも位置付けできるかも……
一部文献によるとフィンブルの冬は3つの冬(風の冬、剣の冬、狼の冬)に分かれるらしいけど……最初に来る激しい“風の冬”はまさしく“疾風の冬”・“ハヤテの冬”とも呼べるもの……
ハヤテが劇場版マクロスΔ『絶対LIVE!!!!!!』にて演じた北欧神話の巨人ロキはラグナロクにおいて巨人側の先頭に立ちアースガルドに攻め込み北欧神話世界の終焉を招いた神話キャラクター、その名前Lokiの古ノルド語語源は「終わらせる者」を意味する……
まさに9月21日生まれのハヤテ・インメルマンは「マクロスワールドの夏を終わらせる者」「プロトカルチャーの原罪に呪われたマクロスワールドに終焉の冬とラグナロクをもたらす者」……と言う意味に繋がる可能性もあるよね
撃墜王マックス・インメルマンの誕生日・東方正教会生神女マリヤ生誕祭日・秋分前日の夏の最後の日……
これらがすべて同じ9月21日
この奇跡的な偶然が重なる日に生まれた我らがハヤテ・インメルマン
マクロスはこの奇跡的に重なった特異日の意味をハヤテに注ぎ込んでいる気がするかも……
インメルマンに関する考察はまだ続くけど……次回かどうかは未定かも🍏
