自分の目標や夢をきめると やらなくちゃ と力が入って最初は突っ走りますが、目標達成するまて継続する必要がありますが、なぜか途中で、いろんな誘惑や、雑念がでてくるものです。とくにはっきりと目標をきめた後などは、余計です。


そんな経験ありませんか?


私事ですが、今日、通っている英会話学校でチェックテストがあり(TOIECではありませんが、レベルチェックテストです)、受講してきました。先週からテストを受講することはきまっており、勉強をしたのですが、どうも別のことが気になったり、やたら不安になったり、自信がなくなったりしました。これは受験すると決めた後で感じた気持ちです。


「目標を絶対達成させるんだー」と 気合を入れるのいいのですが、それが達成できなかったらどうしよう、とか、

うまくいくのかなーとか不安になる人もいるかもしれません。(私もそうです)


その不安な気持ちをもったまま。あるいは無視したまま、「目標を達成するんだ」と気合をいれても

自分の不安な気持ちはきえません。ですのであえて、自分が不安な気持ちをもっているんだとはっきりと認識したほうがよいのです。 「自分はXXXに不安なんだ」 と なぜ不安なのでしょうか。達成できないとどうなりますか?

できるだけ原因に近いところを自分自身に問いを発してください


なにかを実現しようと決めたと単に、まあ いいかとか、XXがあるのできない XXのせいで やめたほうがいいかも とかマイナスの方向に考えてしまうことがあります。

それが本心からでていることで、自分の心の素直な気持ちならよいのですが、やりたいけど、やらないでいい
言い訳にしていませんか?(これは私も含めてです)

私の例ですが、私は英語がうまく話したい・映画も英語のまま自然にみたい、会社で英語をつかうことがあるからもう少し上手になりたいと思って、英会話を習いたいとおもいました。最初は通信教育だったのですが、
自分で途中で投げ出したことがなんどかあり、英会話学校に通いました。(すこしは強制力があるとおもったからです)たしかにちゃんと通いました。でも上手にはなれていません。これは英会話学校の問題ではなく、
わたし自信の学ぶ、姿勢に問題があったからです。

私の目標をきめていました(いや決めたつもりだった)

でもその目標は、あいまいなもので、いつまでにXXXを達成したという具体的なものではありませんでした。だから、途中でなげだしても、「まあいままでと同じレベルでもいいか」とか勝手に自分で言い訳して、勉強を怠けていました。上手になれないのは当たり前です


いつまでにどの段階まで達成するか決める(時間の制限も入れる)これがないといつかやろうという逃げ道を自分でつくることになります。



15年前まではインターネットに接続できるPC などはごくわずかで、PCでも表計算や、文書作成、ゲーム以外にほとんどすることがありませんでした。
人間も同じで、どんなにすばらしい才能をもっていても、どんなにすばらしい技術を持っていても、それ受け取る人がいなければ、素晴らしい能力も有効なものになりません。


今はスマートフォンで外出先でもいつでもネットにアクセスできる便利な世の中になりました。個人の意見が自由に発信でき、いろんな意見を直接言えます。(私もそうです (●^o^●))
まず人間として生きるためには、食事をする必要があり、自分の体の外で作られたものを自分に取り入れて、外に排出しなければなりません。これが体の維持です。
次に、精神的な交流が必要になります。


私はたまたま、両方ができているので、本当にありがたいです。私たちは、大勢の人たちの仕事、恩恵や、目に見えない存在から受けて愛を受けて生きることができるのです。 

空気や水が汚染されて初めて気がついた人もいるでしょう。

私たちは、生きているのではなく、生かされているのです。今、生きていることに感謝して、自分仕事や、生活を悔いのないよう過ごしたいものです。